部活動

鉄道研究部

土曜日の放課後や休日を利用して、鉄道のイベント、鉄道会社の車両基地、車両工場、検車区などを取材しています。イベントで見学したこと、鉄道会社で取材したことを詳しくまとめ、学園祭で展示発表しています。
鉄道研究部公式HP http://www7b.biglobe.ne.jp/~suzuki3309/

部活動・委員会一覧
2018-03-26

JR四国と高松琴平電気鉄道 2018年3月25日(日)

ホテル・松山駅―(予讃線)―観音寺駅―(予讃線)―多度津駅―(土讃線)―琴平駅…電鉄琴平駅―(琴平電鉄)―仏生山駅・見学―(琴平電鉄)―高松築港駅…高松駅―(予讃線・瀬戸大橋線・宇野線)―岡山駅―(山陽本線)―姫路駅―(山陽本線・東海道本線新快速)―米原駅―(東海道本線)―大垣駅―(ムーンライトながら)―豊橋駅

本日は、予讃線、土讃線の普通電車を乗り継いで、松山から琴平へ行きました。予讃線の線路や駅がよく整備されていて、単線で列車の交換などがあっても、凄くスピーディーに観音寺駅や多度津駅まで行きました。途中、石鎚山登山の下車駅となている伊予西条駅に25分程停車しました。四国鉄道文化館があり、ホームから大きなカラス窓越しに中に保存されているDF50が良く見えました。駅に隣接する鉄道歴史パーク in SAIJOでは、子どもたちを乗せて小さい汽車を走らせるイベントが開かれていました。部員たちは、25分の間に素早く走り回り、伊予西条駅を通過する8600系や鉄道歴史パークの様子を撮影しました。8600系は、2014年6月に特急「いしづち103号」と「いしづち104号」として高松 - 松山間に投入された特急電車です。JR琴平駅から少し歩いて、琴電琴平駅へ行きました。金刀比羅宮へのお客さんで賑わっていました。ことでんに乗り、仏生山駅へ行きました。仏生山駅は、琴平線と以前走っていた塩江線の分岐駅です。今は、大きな車両基地があり、仏生山駅のホームから沢山のことでん車両が撮影できます。部員たちは、懐かしい元阪神、京浜急行、京王電鉄の車両を撮影しました。仏生山駅から少し離れた引き込み線には、レトロ電車もありました。レトロ電車は、イベント以外でも、休日には運行されているそうです。
仏生山駅の車両基地を見学してから、ことでんに乗り、高松築港駅へ行きました。高松築港駅は、ことでんが高松城跡のお堀に沿って走り、高松城跡の入り口の真ん前にあります。高松築港駅から高松港を右手に眺めながらJR高松駅へ歩きました。高松駅の駅舎は、2001年に建設された4代目の駅舎で、ガラス張りの巨大な建物です。駅前の広場では、何人もがギターなどの演奏をして賑わっていました。JR高松駅は、香川県の県庁所在地である高松市の玄関口で、ことでん(高松琴平電気鉄道)の瓦町駅とともに高松市の2大ターミナル駅となっています。高松駅は、徳島・松山・高知などを結ぶ特急列車が発着する駅です。80年間、四国と本州を結ぶ鉄道連絡船「宇高連絡船」の接続駅だったので、その名残で線路が全て当駅で行き止まりになる終着駅になっています。4面9線の頭端式ホームがある地上駅で高松港に隣接します。頭端式であるため、駅周辺の道路や駅前広場からホームまで一切の段差がないバリアフリー構造となっています。部員たちは、素早く讃岐うどんを食べ、高松駅を往来する列車の撮影に励みました。
高松駅から、快速「マリンライナー」に乗って、岡山駅へ向かいました。坂出駅から巨大な本四連絡橋が見えてきました。今日は天気が良くかったので、「マリンライナー」は順調に瀬戸内海を駆け抜けました。車窓から坂出港、コスモ石油の製油所、瀬戸内海の島々と船の往来が良く見渡せました。
岡山駅で山陽本線の普通電車に乗り継ぎ、姫路駅へ出ました。姫路駅から新快速電車に乗りました。新快速223系電車は、フカフカのクロスシートで、凄いスピードで一気に米原駅まで駆け抜けました。米原駅では、隣のホームに豊橋行き快速電車が待っていて、2分の接続で出発しました。お陰で、かなり余裕を持って大垣駅に到着しました。大垣駅で買い物をして、卒業していく高校3年生部員を囲み集合写真を撮りました。夜行の臨時快速「ムーンライトながら」に乗りました。部員たちは、リクライニングシートを倒し、「ムーンライトながら」がスウッと発車すると、岐阜や名古屋の夜景を眺めながら、ゆったりと寛ぎました。

高1C組 トミー 金刀比羅宮について
「こんぴらさん」の呼び名で親しまれている、香川県仲多度郡(なかたどぐん)の金刀比羅宮。その最大の特徴は、御本宮まで続く長い長い石段です。参道入口から御本宮まで石段の数は785段(奥社まで行けばなんと1368段)。登るのはもちろん大変ですが、ここには登った人たちを皆笑顔にする何かがあります。
江戸時代の人たちの憧れ「こんぴら参り」
古くから信仰の地となっていた金刀比羅宮への「こんぴら参り」が全国に広まったのは江戸時代のこと。当時は庶民が旅をすることを禁じられていたのですが、金刀比羅宮や伊勢神宮を始めとした社寺への参拝の旅は、その限りではありませんでした。金刀比羅宮も「一生に一度はお参りしたい場所」として、多くの人々の憧れのまとでした。農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など、さまざまな神徳を持つ神様として、現在も厚い信仰を集めています。
ちなみに「こんぴら」というちょっと変わった響きのある名前は、サンスクリット語の「クンビーラ」(ガンジス川に住むワニが神格化されたものを指す)が語源だと言われています。
スタート地点はJR琴平駅。赤い屋根の駅舎は、大正時代に建てられたレトロな欧風建築です。
駅を出るとすぐ正面に狛犬と灯籠が並んでいて、遠くには鳥居も立っています。神社はまだまだ先なのに、ここからもう、こんぴら参りの雰囲気があります。

高1D組 ニッシー 予讃線について
予讃線は、瀬戸内海と宇和海に沿って香川県高松市の高松駅から愛媛県松山市の松山駅を経て、愛媛県宇和島市の宇和島駅に至る四国旅客鉄道(JR四国)の鉄道路線(幹線)です。このほか愛媛県内の向井原駅から内子駅までと、新谷駅から伊予大洲駅までの支線を持ちます。この2つの支線は、内子駅から新谷駅までの内子線を経由してつながっており、向井原駅 - 伊予大洲駅間を結ぶ短絡ルートを形成しています。
日本国有鉄道(国鉄)時代は予讃本線と呼ばれていましたが、民営化後の1988年にJR四国は線路改称を改正し予讃線に改称しました。瀬戸大橋の開通後、本州・四国間連絡を担う区間の一部である高松駅 - 坂出駅 - 宇多津駅間には本四備讃線・宇野線とともに「瀬戸大橋線」という愛称がついています。また、2014年3月15日から伊予市駅 - 伊予大洲駅間の海回り区間に、「愛ある伊予灘線」の愛称がついています。
四国の瀬戸内海沿いを走り、香川県の西部と愛媛県を縦貫する路線です。JR四国の路線では距離が最長です。
高松駅 - 松山駅間はJRの前身である国鉄の時代から四国の重要幹線として位置づけられ、早くから一線スルー化やRC(遠隔操作)化でスピードアップに取り組んでいました。さらに1986年、向井原駅 - 伊予大洲駅間について内子経由の新線が完成し、これまで伊予灘に面した伊予長浜経由の従来線で運転されていた特急・急行列車は、内子線を含めた内子駅経由の短絡ルートに変更され所要時間が短縮されました。民営化後も高松駅から伊予市駅までの電化による電車の投入や重軌条化、未改良だった駅構内の一線スルー化、弾性分岐器化により高速化が図られ、単線区間を運転する列車の表定速度は日本でもトップレベルです。
内子駅経由の新線の開通により、従来線でしばしば起こった台風上陸などによる運転見合わせが殆どなくなりました。2005年夏に、相当な豪雨のため、並行する松山自動車道や国道56号、長浜経由の旧線と並行する国道378号が全て不通になった時もこの路線だけは不通になりませんでした。しかし依然として八幡浜駅 - 宇和島駅間は、旧線と同じくらい険しい道のりです。2006年夏に八幡浜駅 - 双岩駅間で倒木に上り特急列車の先頭車が接触し損傷してからは、旧線が運転見合わせになった場合、ほぼそれに合わせて徐行または運転見合わせをするようになりました。
近代的な線路と裏腹に、通票閉塞時代の面影を残す駅が多いです。伊予大洲駅 - 宇和島駅間の交換駅は双岩駅、伊予石城駅以外Y字ポイントで一線スルー化されておらず、特急停車駅でない駅のホーム嵩も低く当時の様子を残しています。
JR四国は2006年に国土交通省交通政策審議会・交通体系分科会の地域公共交通部会に提出した資料で、長期的に望まれる投資として伊予市駅 - 内子駅 - 宇和島駅間の電化と高縄半島の付け根を結ぶ伊予西条駅 - 松山駅間の短絡線建設をあげています。
高松駅 - 多度津駅間はIC乗車券「SHIKOKU ICOCA」の広島・岡山・香川エリア(香川地区)に含まれているキロポストは、新線経由も内子線区間も含め高松駅からの距離の表示となっています。

中2A ショータ 高松琴平電気鉄道について
今回は、高松琴平電気鉄道について話します。
高松琴平電気鉄道通称琴電は、高松築港駅から、高松琴平駅を結ぶ路線総延長は、32.9?の鉄道です。
琴電開業前には、琴平街道沿いのルートを取る計画でしたが、仏生山を経由するルートに変わりました。
1943年11月1日に讃岐電鉄、琴平電鉄、高松電気起動が、合併し高松琴平電気鉄道が走足しました。その後、様々な改良、改造、変更等をして、最近2013年12月15日に綾川駅が開業しました。
高松琴平電気鉄道には、沢山の中古列車が走っています。まずは、600形、元名古屋市営地下鉄250形、1000系2編成4両、1070系元京浜急行電鉄600形、元京浜急行電鉄1000形(初代)、元京王電鉄5000系等の昭和の名車両が走っています。
そして、高松琴平電気鉄道のマスコットキャラクターのイルカのことちゃん)が、ラッビング電車として走っています。

高1D組 ナベ 瀬戸大橋線について
瀬戸大橋線は、瀬戸大橋を通り、岡山県岡山市北区の岡山駅と香川県高松市の高松駅とを結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)と四国旅客鉄道(JR四国)の鉄道路線の愛称です。当時の瀬戸大橋ブームも相俟って、指定席がグリーン車のみで即日完売となるなど人気が集中したことから、瀬戸大橋線開業当日には「マリンライナー」2号の続行で2本の臨時列車(1本はキハ181系で茶屋町駅まで)が運行されたほか、翌4月11日からもJR西日本持ちの115系・JR四国持ちの111系などを使用した臨時快速が岡山駅 - 宇多津駅・坂出駅・高松駅間(一部は岡山駅 - 茶屋町駅・児島駅間の普通を延長運転)に運行されました。当初、これらの列車は市販の全国版時刻表には掲載されておらず、沿線で配布された修正時刻表にのみ記載される列車でした。その後もバブル景気もあり、瀬戸大橋線の利用が好調であったことからスーパーサルーン「ゆめじ」編成のクモロ211形+モロ210形電動車ユニットも繁忙期を中心に増結に入るようになり、同年7月からは普通車にも指定席を設定するとともに、大型連休・お盆などの多客期の一部の列車は終日12両編成や11両編成で運用されました。さらにJR西日本の117系100番台(指定席あり)や115系3000番台などを使用した臨時「マリンライナー」や、167系や115系を使用した臨時快速が岡山駅 - 高松駅間に設定され、213系の増備落成にともなう増発が実施される1989年3月までの間、毎日運転の臨時列車として運行されました。臨時「マリンライナー」はその後も繁忙期に運行された時期があり、JR西日本の221系が使用されたこともありました。

臨時快速「ムーンライトながら」 2018年3月26日(月)

豊橋駅―(ムーンライトながら)―東京駅・解散

名古屋駅を発車したところで、車掌さんが指定券の確認に来ました。部員たちは、指定券を提示したら、そのままスウッと深い眠りにつきました。目が覚めると「後、5分で横浜駅に到着します。」と車内放送がかかりました。「ムーンライトながら」がピューっと走り、あっと言う間に品川駅に到着。部員たちが荷物を整理している間に、終点の東京駅に到着しました。東京駅で青春18きっぷを振り分けてから、解散しましました。松山から東京まで、在来線の普通電車や快速電車を乗り継いで東京まで戻って来ました。全列車が時刻表通りに動いたおかげで、無事予定通りの行程で東京へ帰れました。高校3年生部員は、いよいよ卒業、それぞれの進路へ進みます。全列車が時刻表通りに動くということは、鉄道会社の皆さんが任務を果たしているということ、お客さんのマナーが良いということです。これから先、そういうことを忘れずに、進学先でも、就職先でも活躍しましょう。

2018-03-25

伊予鉄道に乗って松山を散策 2018年3月24日(土)

ホテル…広島駅―(広島電鉄)―広島港―(瀬戸内海汽船)―松山観光港…高浜駅―(伊予鉄道高浜線)―古町駅・撮影―(伊予鉄道高浜線・横河原線)―横河原駅―(伊予鉄道横河原線・郡中線)―郡中港―(伊予鉄道郡中線)―松山市駅―(伊予鉄道市内線)―道後温泉駅―(伊予鉄道市内線)―JR松山駅…ホテル・宿泊

本日、鉄道研究部は、広島港から瀬戸内海汽船に乗り松山へ行きました。松山観光港行きのフェリーは、途中呉港に寄港しました。海側から呉港に停泊する船や造船施設を眺めました。倉橋島と本州の間にある音戸瀬戸でゆっくりと橋を潜りました。その後、真っすぐ松山を目指しました。沢山の船が往来していました。天気が良く、海が穏やかで、船は殆ど揺れませんでした。
松山観光港から興居島の景色を眺めながら、海沿いに伊予鉄道の高浜駅まで歩きました。高浜駅から伊予鉄道に乗り、古町駅へ行きました。古町駅は、伊予鉄道の路面電車である市内線と鉄道線である高浜線の結節点です。大きな車両基地があり、路面電車と高浜線が平面で交差します。路面電車や郊外電車が行き来する古町駅で伊予鉄道を見学しました。
古町駅を見学した後、伊予鉄道横河原線や郡中線に乗りました。松山の市街地は、なかなか広く、伊予鉄道の沿線には、マンションが点々と建ち並んでいました。伊予鉄道郊外電車の三線と市内線が集まる松山市駅は、松山市中心の繁華街にあり、伊予鉄道の利用客が凄く多いなと感じました。
鉄研部員たちは、市内線に乗り、松山市駅から道後温泉駅へ向かいました。車内は、多くのお客さんで賑わっていました。坊ちゃん列車も2編成が、松山市駅と道後温泉駅を行き来していました。坊ちゃん列車の客車を牽引する蒸気機関は、車体自体にジャッキアップ装置が付いていて、松山市駅と道後温泉駅で転車出来る様になっていました。
道後温泉駅からお土産物店が立ち並ぶアーケード街を10分ほど歩くと、道後温泉の浴場に着きました。凄い数のお客さんで、大盛況となっていました。
部員たちは、伊予鉄道の1Dayパスを利用して、松山の町を散策しました。

高1D組 リョー 松山について
松山市は、愛媛県のほぼ中央にある松山平野に位置しています。
松山市の気候は温暖な瀬戸内海気候で、年平均気温16.5度です。年間降水量は約1300mmで、6月に多く12月に少ない夏雨型となっています。全体に降水量は少なめで、積雪もごく少量、台風の通過も太平洋側の高知県や徳島県に比べれば少なく、穏やかで恵まれた気候条件です。
松山市は、北西部の瀬戸内海に浮かぶ中島から高縄山系のすそ野の平野を経て、重信川と石手川により形成された松山平野へと広がっています。
松山市は、明治6年愛媛県庁が設置され、県都となり、明治22年12月15日市制を施行以来、政治・経済の中心都市として成長し、また、俳人正岡子規をはじめ、多くの文人を輩出するなど地方文化の拠点としての役割を果たしてきました。昭和20年、市街地の大部分を戦災により焼失しましたが、今日では総合的な都市機能を備え、平成12年4月には中核市へと移行し、平成17年1月には北条市・中島町と合併し四国初の50万都市となりました。

高3B組 コーチ 伊予鉄郊外線について
伊予鉄郊外線には3路線あり高浜〜松山市までが高浜線、松山市〜横河原までが横河原線、松山市〜郡中港までが郡中線である。
高浜線は全線600Vでラッシュ時最大4両編成の列車が走ります。終点の高浜港から松山観光港まで延伸計画あるが、現在は連絡バスが運行しています。ちなみに高浜駅は映画「真夏の方程式」で波瑠ヶ浦駅として登場しました。
横河原線は全線700Vでほとんどの列車が高浜線に直通運転しています。
郡中線は郡中港まで伸びる全線700Vの路線でかつては貨物扱いもしていました。かつては伊予立花駅からぶんきする森松線もありました。椿祭の開催日は臨時列車が出るほど賑わっていましたが普段は空気輸送状態でした。
車両は現在700系、610系、3000系の3種類がいます。
700系は110系、120系の置き換えのために導入された、元京王5000系で京王重機整備で改造のうえ3両編成7本、2両編成2本が在籍しています。足回りはモハ710形とモハ720形の内5両は東武2000系足回りで残りの3両は小田急2220形の足回りをつかっています。クハ760形は車軸交換してやり過ごしました。
朝ラッシュ時は3両で走りラッシュ後松山市で切り離し1両で小町の車庫まで回送します。
現在3両編成9両が廃車されそのうち2両が伊予鉄に譲渡されました。
610形は久々の自社発注車で2両編成2本が在籍います。ボディーは東武20000系に準じたアルナ工機製のステンレス車体で足回りは東武2000系のものを採用しています。足回りは700形と同一なので併結運転できると思いますがサービス機器が異なるためその様な運用はされていません。
3000系は800系と700系の一部を置き換えるために導入された車両で京王時代にすでに更新工事を施工いた編成が譲渡の対象でした。3両編成10本が導入されました。京王時代は界磁チョッパ制御でしたが譲渡される際にIGBT素子のVVVFインバータ制御に交換されています。ちなみに京王3000系の中間車も譲渡されたのは伊予鉄だけです。かつては800系や600系なども在籍していました。
800系は同時期に廃車になった初代1000系の台車や主制御などを取り付け軌間変更に対応した。そしてこれが京王重機整備による中古車両改造・譲渡の第1号です。
入線時はモハ-サハ-モハでしたが運用の効率化のためサハの高浜・郡中港よりに京王5000系に準じた運転台を京王重機整備の出張工事で実施されました。これやなより片側のモハを外して2両編成で走ることができるようになりました。2010年にさよなら運転を行いその内4両が千葉県の銚子電鉄に譲渡されました。
600形は高浜線開業70周年記念に高浜線専用車として2両編成1本が導入されました。その後輸送力増強のため、路線の地下化に伴う車両交換のため余剰になっていた長野電鉄モハ1102を改造しモハ603として3両編成になりました。
この時、高浜よりのモハ602を中間車に改造されています。ちなみに高浜線のホームは低かったので導入時はステップがついていましたがホームの嵩上げに伴い撤去されました。
その後は横河原線でも運用できるようになりましたが、高性能車でありながら非冷房であり末期は電気部品の不調が相次ぎ次第にニートレインなり610系に置き換えられるかたちで引退しました。引退後はモハ603は解体され残ったモハ601とモハ602は小町の車庫で倉庫として放置されていました。一時は保存計画もありましたが残念ながら3000系導入伴う車庫内の線路確保のために解体されてしまいまいた。時代に振り回され人知れず消えてった車両でした。
このように京王色強い車両が沢山いる伊予鉄です愛媛に来た際は是非乗ってください。
また引退した800形や700形に乗りたい方は銚子電鉄も合わせてご利用ください。

高2C組 ヨッスィー 伊予鉄道 松山市内線について
伊予鉄道松山市内線とは、松山市内を走る城北線(古町〜平和通一丁目)、城南線(道後温泉〜大街道〜西堀端)、城南線連絡支線(平和通一丁目〜上一万)、本町線(本町一丁目〜本町六丁目)、大手町線(古町〜JR松山〜西堀端)、花園線(松山市駅〜南堀端)の5路線1支線からなる。
※城北線は道後鉄道として開業したので免許上は鉄道線、他線は軌道線である。
市内線には系統が1〜6(4は欠番)の5系統からなる。
1系統は緑の幕で、松山市駅から花園線を通り、南堀端電停から城南線、西堀端電停から大手町線、上一万電停から城北線、平和通一丁目電停から連絡線を経由、そのまま上一万電停から城南線、花園線を通り松山市駅に戻る環状線である。
2系統はオレンジの幕で、松山市駅から1系統と反対方向に松山市→南堀端→大街道→上一万→平和通1→古町→JR松山→西堀端→南堀端→松山市、という環状線である。
3系統は赤の幕で、松山市駅から花園線、南堀端電停から終点の道後温泉電停まで城南線を通る系統である。
5系統は青の幕で、JR松山駅前電停から大手町線、西堀端電停から城南線を経て道後温泉に至る系統である。
6系統は黒の幕で、松山市駅から花園線、南堀端から本町線を通り、本町六丁目まで至る。基本的に運転間隔は10分、6系統のみ40分間隔である。
軌間は1067mmで、花園線以外の各線はそれぞれ改軌を経験しており、城北線は762mm→1067mm、その他路線は1435mm→1067mmという経緯をたどっている。
電化方式は全線架空電車線方式の600Vである。
大手町線には延伸計画があり、JR松山駅の高架化の後、JR松山駅の下に駅を設け、そこから南江戸の国道196号線までの700mを延伸するという計画である。またこの計画は、松山空港乗り入れ計画を見据えたものされている。
また、本町線を国道196号線沿いに山越・鴨川地区への延伸をする構想も存在している。
市内線の現有車両について
モハ50形
自社発注車(51〜78)
自社発注車は51〜69はナニワ工機(現アルナ車両)、70〜78は帝國車両工業で製造された。51〜61の前期形と後期形の62〜78に分類され、以下の7形態に分類できる。
前期形
前期形は51〜55は京都市電800形の866〜880号車を設計ベースに、56以降は広電500形を設計ベースに製造された。1979年に京都市電2600形の廃車発生品を購入し、直接制御から間接非自動制御に改造され、主電動機も50kwのものに取り替えられた。
51〜53 1951年製のボギー車、製造当初の集電装置はポールであったが、1953年にビューゲル、1966年にZパンタに交換されている。また、客用扉は前後端であったが、1969年に前中扉に改められた。
54,55 1953年製でビューゲル装備で前後端扉だったが、51〜53と同様にZパンタ化、前中扉化されている。
56〜58 1954年製でビューゲル装備の前中扉仕様で、側面窓がいわゆるバス窓となっている。
59〜61 1957年製で防音防振台車、ビューゲル、バス窓を装備。前面窓の中央窓が左右に比べてやや横幅の広いものになっている。
後期形
前面窓が鉄道線600系と同デザインに変更され、軽量構造を採用している。また、製造時から間接非自動制御、Zパンタ、50kw電動機を装備している。
62〜64 1960年製、当時のバス車体で主流のモノコック構造を取り入れた軽量車体で、側面にリベットとリブがある。
また、このグループは前扉が二枚引き戸である。
65〜69 1962年製で、前扉が一枚引き戸のほかは62〜64と同構造である。
70〜78 1964年に70〜73が、1965年に74〜78が製造された。
65〜69 とほぼどうこうぞうであるが、リベット・リブが無くなった。台車はコイルバネ台車を履いていたが、保守に手が掛かるため、1974年に名古屋市電1550系の廃車発生品に交換されている。
他社からの譲受車
1001〜1003 1959年製で、元呉市電。1967年の呉市電廃止前に譲渡を受けた。車体は62〜64とほぼ同型である。
81 1963年製で、南海電鉄和歌山軌道線の321形324号車で、1971年に譲渡を受けたが、使い勝手の悪さから1987年に冷房化されることなく廃車されている。現在、他社からの譲受車はすべて引退しており、1001号車のみ呉市電仕様に復元され、呉ポートピアパークに保存されている。また、自社発注車は51〜55・57〜59・61・66・68〜78の21両が現在も活躍している。
モハ2000形 モハ2000形は元京都市電2000形であり、1964〜65年にかけて2001〜2006の6両がナニワ工機で製造され、そのうち保存車になった2001を除く2002〜2006の5両が1979年に伊予鉄道に譲渡されている。伊予鉄道譲渡にあたっては台車枠をそのままに車輪のバックゲージを1435mmから1067mmに改軌し、主電動機の交換やワンマン化などモハ50形に準じた仕様に改造を受け、1979〜80年にかけて竣工した。また、1982年に冷房化された。設計ベースが51〜61号車と同じ京都市電800形であり、また51〜61号車が間接非自動制御化されたため、実質同型車として運用されている。
モハ2100形 モハ2100形は2002年に営業運転を開始した車両で、アルナ工機(現アルナ車両)によって2002〜2005年までに毎年2両ずつ、2006・2007年に1両が導入され、2101〜2110の計10両が活躍している。
モハ5000形 モハ5000形は2017年に5001,5002の2両がアルナ車両にて製造された。今後も増備をしていく方針である。
坊っちゃん列車 2001年より復元運転を開始した車両で、ディーゼル機関車と客車1〜2両を一編成としたものが2編成在籍する。第1編成はD1形1号車+ハ1形1号車,2号車の3両編成で、第2編成はD2形14号車と+ハ31形31号車の2両編成である。第1,第2編成共に新潟鐵工所製であり、D1形は甲1形をD2形は甲5形をモデルとしている。レプリカの蒸気機関車での運行が行われていた時期もあったのだが、市街地を走るためばい煙を排出しないディーゼル方式を採用し、ドラフト音はスピーカーから、煙突からは水蒸気が出るといった工夫がなされている。客車の屋根にはトロリーコンタクターを作動させるためのダミーのビューゲルが搭載されており、トロリーコンタクター付近のみ上昇させる。また、機関車を先頭にするように機回しをする必要があるが、スペースがないため軌道モーターカーと同じ油圧ジャッキによる方向転換装置が内蔵されており、入換時にはジャッキで機関車を持ち上げ、人力で方向転換をするという手法を採っている。運用時間外では、どちらかの編成が道後温泉駅前に留置され、観光客の記念撮影場所になっており、他方の編成は古町の車両基地で留置されている。
また、伊予鉄道は郊外線や市内線だけでなくバス事業も展開しており、伊予鉄バスと伊予鉄南予バスでかなり広い範囲を運行している。伊予鉄バス・伊予鉄南予バスでは、モノコックボデーの曰野K―RL321(1980年式)の国内唯一の動態保存車や、Pー規制の初代レインボーPJ(PーRJ172BA)、ブルーリボンHT(PーHT233BA)などの全国的にも希少な車種が現存(2018年3月現在)しており、レトロなバスに乗ることができる。
このように工夫を凝らした坊っちゃん列車や、さまざまな車両を運用する伊予鉄道に1度乗りに来てはいかがだろうか。
Pー規制のバスの撮影はお早めに。

2018-03-23

ムーンライトながらに乗って 2018年3月22日(金)

東京駅―(ムーンライトながら)―小田原駅

本日、南大沢文化会館主ホールにて、第24回定期演奏会が行われました。3月10日(土)に第126回卒業式が行われました。今日の定期演奏会は、高校3年生部員が現役部員として演奏する最後の演奏会です。寸劇を交えながら、「バビロンの川のほとりで」や「星に願いを」などを演奏しました。硬式野球部より花束が贈られました。「公式戦で応援の演奏を有難う。」とのこと。吹奏楽部の部長より、「前の大会では神宮球場まで連れて行ってもらいました。今度は甲子園まで連れて行って下さい。」とのこと。演奏会が佳境に入ると、吹奏楽部員たちから、引退していく3年生部員たちへ花束が贈られました。演奏会が終わってから、3年生部員を囲んで集合写真を撮りました。毎年、3月下旬に吹奏楽部の定期演奏会が行われます。定期演奏会が終わると、3年生が巣立ち、新年度が始まるんだなと実感します。ちなみに私と吹奏楽部顧問の土居先生は、同期に採用されました。ついこの間、出会った感じなのですが、あれから25年たったんだな。日がたつのは早い。
定期演奏会が終わってから、京王線・中央線を乗り継ぎ、東京駅へ行きました。本日は、鉄道研究部春期合宿の出発日です。夜に東京駅に集合し、夜行列車に乗って鉄道旅行へ行くのです。こちらも高校3年生部員と部活動をするのは最後です。皆で臨時快速「ムーンライトながら」に乗りました。夜行列車は、部員たちを乗せ、東海道本線を、西へ、西へと走って行きました。部員たちは、東京や横浜の夜景を眺めながら、眠りにつきました。

東海道本線・山陽本線を乗り継ぎ広島県呉市へ 2018年3月23日(土)

小田原駅―(ムーンライトながら)―大垣駅―(東海道本線)―米原駅―西明石駅―姫路駅―相生駅―岡山駅―福山駅―糸崎駅―(山陽本線)―海田市駅―(呉線)―呉駅…呉市海事歴史資料館・見学…呉駅―(呉線)―広島駅…ホテル・宿泊

目が覚めると、もう岡崎まで来ていました。名古屋鉄道と並走しながら名古屋を通過する頃までは真っ暗でしたが、金華山を眺めながら岐阜を通過する頃に夜明けとなりました。大垣駅から何回も乗換を繰り返しながら広島を目指しました。いい加減に飽きるだろうと思いましたが、阪急電車や山陽電車、明石海峡大橋や因島の景色を眺めながら乗っていたら、飽きることもなく呉まで行けました。
呉市海事歴史資料館を見学しました。呉は、戦前に軍港、海軍工廠の町として栄えました。呉の歴史と造船に関する展示を見学しました。部員たちは、乗り物や工場であれば、何にでも興味がわくようでした。今日はずいぶんと長い時間、電車に乗り続けたので、ホテルに入ってから、明日の打ち合わせをし、疲れを癒すためにすぐに寝ました。

高2B組 タクヤ 呉線の電車について
快速 安芸路ライナー 呉駅 - 広島駅間にて快速運転を行う列車として、朝には快速「通勤ライナー」が、その他の時間帯(概ね午前9時以降)には快速「安芸路ライナー」が運転されています。普通列車との所要時間差は15〜20分程度。「通勤ライナー」は主に227系(1本のみ113系)が用いられます。「安芸路ライナー」の愛称は、1997年2月7日から現在の「通勤ライナー」に該当する列車も含め使用しています。当初は広島支社発行の無料の時刻表のみ愛称が併記され、全国版の時刻表には併記されていなかったです。
普通 三原駅 - 広駅間では、日中は1時間に1本程度、105系電車を用いてワンマン運転がされています。朝夕は113系、115系、227系電車も運用されます。広駅 - 広島駅間では、日中は1時間あたり1〜2本程度運転されています。車両は主に113系・115系・227系電車が使用されています。
臨時列車「瀬戸内マリンビュー」 2005年に広島県の大型観光キャンペーンにより、3〜8月の土曜休日中心に「スーパーサルーンゆめじ」で快速「瀬戸内おさんぽ号」が運転されました。その後同年10月1日からキハ47系気動車の改造車を使用し、観光列車として快速「瀬戸内マリンビュー」が運転されています。なお、「瀬戸内マリンビュー」はNHK大河ドラマ「平清盛」の放送に合わせて2012年1月7日から「清盛マリンビュー」として運転されていました。2013年1月14日で「清盛マリンビュー」としての運転は終了し、同月19日から「瀬戸内マリンビュー」に戻されています。

高3A組 リン 呉市海事博物館について
大和ミュージアムは、2005年に開館した施設で、展示されている兵器、資料を通して平和の大切さを認識し、また科学技術の素晴らしさも認識してもらう、というのがこのミュージアムのコンセプトです。現在はジャパンマリンユナイテッドの造船所や海上自衛隊の泊地になり、護衛艦かがやひゅうがが停泊している所が、かつては大和を作ったドックがあったり榛名、伊勢、日向のような戦艦が停泊して対空戦闘を行った呉港が真後ろにあるので、終戦から73年を経てここまで変わったのか…という感慨を覚えます。
ここでは日露戦争頃から太平洋戦争までの戦史や戦後にかけての造船技術の発達についてなどに関連した資料の展示や、映像の放映がされています。高速戦艦金剛のボイラーや零式艦上戦闘機(通称零戦)の特攻に合わせ250キロ爆弾を懸架可能にした六二型、人間魚雷回天、特殊潜航艇海龍、戦艦陸奥の主砲や錨などの今では残っていない貴重な武器や装備があります。また、その名に冠しているように旧日本海軍の戦艦大和の10分の1の超大型の模型もあります。
ちなみに向かい側には海上自衛隊呉資料館があり、外には現在は退役した潜水艦が展示されています。

2018-02-24

2018年2月20日(火)
学年末試験の日が近づき、鉄道研究部の生徒たちも今年度最後の定期試験で1年分の十分な成績をとろうと、いそいそと学習に励んでいます。最後の試験でやらかすと、春期合宿がおじゃんになるので…。そんな折、卒業生が鉄研部の持っている鉄道模型を整備しに駆けつけてくれました。一日かけて、傷んだモーター車の修理と汚れたレールの洗浄を一心不乱にやってくれました。これで、次年度のオープンキャンパスや学園祭でも、全車両がスムーズに走るでしょう。有り難う。現役部員たちが、無事に学年末試験を突破したら、卒業生も交えて鉄研イベントをしましょう。

2018-01-13

2018年1月13(土)
3学期を迎えました。今年も、鉄道研究部は、図書室より少し古くなった鉄道雑誌と時刻表をいただきました。早速、鉄研部室へ持って行き、本棚に並べました。部室は、いつの間にか鉄道雑誌、時刻表、鉄道会社からいただいた資料、鉄研部で作った年間活動報告集、鉄道模型などでいっぱいになってきました。今年は、荷物を整理し、部室を綺麗に使いましょう。

2017-12-31

2017年12月31日(日)

ホテルルートインGrand上田駅前…上田駅−(しなの鉄道)−軽井沢駅−(タクシー)−熊ノ平駅跡…(アプトの道)…横川駅―(信越本線)−高崎駅―(湘南新宿ライン)―新宿駅・解散

本日は、横川駅―軽井沢駅間にある、アプトの道を散策しました。上田駅から、しなの鉄道に乗り、浅間山の景色を眺めながら小諸駅へ行きました。小諸駅で、小海線で運用されているハイブリッド車両を撮影し、湘南色の電車に乗り換えました。軽井沢駅からタクシーで熊ノ平駅跡へ行きました。そこから、かつての横軽区間、アプト式路線跡の遊歩道を横川駅まで歩きました。熊ノ平駅跡には、旧アプト線跡と信越本線跡がありました。架線柱に野生の猿がいて、部員たちがたじろぎました。野生の猿は何もせず、優雅に座っていたので、その下を潜って、アプトの道のトンネルに向かいました。部員たちは、煉瓦で積まれたトンネルやめがね橋などを見学し、大いに盛り上がりました。とうげの湯駅で一休みしました。明治44年に建設された旧丸山変電所を見学し、旧信越本線戦に沿って、碓氷峠鉄道文化むらまで下りました。それでは、良いお年を。

高1D ナベ 横軽区間
横軽とはJR東日本信越本線にかつて存在した一部区間の通称である。群馬県と長野県の県境にある碓氷峠を超える区間の事である。高崎〜長野〜直江津〜新潟間を結んでいた信越本線の最後に開業した区間であり当時は上越線も開業していなかった為、東京・新潟、北陸へ向かうメインルートだった。国鉄最大の急勾配があった為アプト式という特殊な方法が用いられていた。

2017-12-30

2017年12月30日(土)

高尾駅―(中央本線)―甲府駅―(中央本線)―松本駅―(篠ノ井線)―篠ノ井駅―(信越本線)―長野駅―(信越本線)―安茂里駅・信越本線・しなの鉄道撮影―(信越本線)―長野駅―(信越本線・しなの鉄道快速)―上田駅…ホテルルートインGrand上田駅前

鉄道研究部は、2017年の最後に冬期合宿として信州へ行き、しなの鉄道を撮影しました。朝、高尾駅に集合し、中央本線に乗り、長野を目指しました。帰省ラッシュで新宿駅や東京駅が混雑していると話題になっていましたが、下り普通電車がすいていたので、私たちは富士山、甲斐駒ケ岳、八ヶ岳、諏訪湖などの景色を眺めながら、のんびり電車を乗り継いで、甲府駅、松本駅へ向かいました。松本駅で昼食を食べ、篠ノ井線に乗りました。途中、姥捨駅から、雪が積もり白くなった長野盆地の絶景を眺めました。篠ノ井駅、長野駅や安茂里駅近くで、信越本線を行き来するJRやしなの鉄道の電車を撮影しました。名古屋駅と長野駅を行き来する特急「しなの」、横須賀色や湘南色に塗装された、しなの鉄道の懐かしのカラー車両も撮影できました。

中2A ショー 湘南色
湘南色の始まりは、かつて東海道本線を走っていて、それは80系まであった。同系列は、1950年当初から黄かん色 緑2号の塗り分けで 運行開始した 。それ以前は 、国鉄旅客車両の 塗装が客車も「ぶどう色」となった 。初期の湘南色では、目立色・識別容易であるということからオレンジ色と目立たない濃い緑色が使われた。しかし、オレンジ色は「錆止め塗料か」と批判があり、オレンジ色に変更された、それ以来 JR東海では「黄かん色」「緑2号」が使用されることとなった。その後、国鉄は湘南色を 直流電化区の近郊型と急行型の車両正式色とし地域関係なく広まった。東海では、80系をはじめとし 80系クハ85形、111系、113系、115系、 153系、155系、165系、185系、OM3編成、211系、E217系、E231系、 E205系、600番台、E233系、3000番台、キハ11形、キハ40形、などの車両に使われている その中でも E205系 E211系、E217系、E231系、E233系では 窓下やドア などに湘南色をイメージした テープを 貼付 をしてある。

高2C ヨッスィー コカ・コーララッピングについて
「コカ・コーラ」レッドカラー塗装は昭和62年のJR発足と共に誕生した全国初のフルラッピング電車である。長野地区の115系1編成に塗装変更が施され、車内にコカ・コーラ社の自動販売機が設置されたこともあり人気を博したが、約4年の運行を経て終了した。しなの鉄道では信州デスティネーションキャンペーンの一環の115系復刻塗装化の一部としてクラウドファンディングを活用し、このコカ・コーラ電車を復活させようというプロジェクトをスタートさせ、2ヶ月で目標の290万円を大きくこえる約396万円を集めることに成功した。現在、当該のS11編成をコカ・コーラ電車にすべく準備が進んでいるものとみられる。幻のコカ・コーラ電車が見られる日も近いのでこれからのしなの鉄道からは目を離せない。

高2A ハヤト 長野色
1963年より111、113系の山岳路線用車両として大量に製造された国鉄115系電車は従来、オレンジと緑色を纏った所謂「湘南色」、クリーム色と紺色を纏った所謂「スカ色」を中心に製造されました。しかし1987年、国鉄が民営化しJRとなって以降は地域ごとに独特の塗装を纏う車両が増え、長野支社もまた例外ではありませんでした。長野支社は当初、アイボリーホワイトをベースに、さわやかな山をイメージした緑、紅葉と県民の暖かさをイメージした赤の2色を纏っており、今の「初代長野色」と呼ばれる塗装でしたが、1998年の長野オリンピックの開催に向けて、塗装変更して10年足らずの1993年以降、アルパインブルーとリフレッシンググリーンの2色に再変更されました。この色は現在「長野色」と呼ばれる他、初代長野色と区別するため「新長野色」や「信州色」、「新信州色」などと呼ばれています。115系と169系から始まったこの長野色の塗装ですが既に169系は全廃、115系もしなの鉄道のS15編成3両1本が残すのみで、中央東線を中心に走る211系や篠ノ井線、大糸線を走るE127系100番台にその塗装が継承されています。

2017-11-05

2017年11月4日(土)
オープンキャンパスを開催しました。鉄道研究部も部活体験会場を設営しました。オープンキャンパス当日、鉄道研究部員も朝早めに集合し、鉄道模型のレイアウトに電車を並べ、路面電車のレイアウトにバスを並べ、パソコンを用意し鉄道クイズの準備をしました。
大勢の小学生を招き、2つのグループに分け、鉄道模型の運転会と鉄道クイズを交互に行いました。最後に、鉄道研究部の活動報告集を手渡しました。来年度より、日本学園に入学していただき、一緒に鉄道研究部の活動を出来れば何よりです。
オープンキャンパスが終わってから、個人の鉄道模型を並べ、暫くの間遊びました。皆、夢中で電車を走らせ続けました。最後に、サッと後片付けをし、冬合宿の打ち合わせをし、解散しました。今日一日、楽しく過ごしました。

2017-11-02

2017年11月2日(木)

11月4日(土)にオープンキャンパスが開催されます。小学生たちを招いて、日本学園の授業や部活動を体験していただく日です。鉄道研究部も、部活動体験を実施します。明日は、11月3日、文化の日です。そこで、本日の放課後に、鉄道研究部の部活動体験会場を設営しました。授業が終わってから、会場となる高3B組教室を預かり、早速今年度の日学祭で作った展示会場を再現しました。日学祭で作った展示物を鉄研部室から展示会場に運び、サッと展示しました。部員たちは、日学祭で一度やった手順なので、手早く教室の壁や窓に鉄研の1年間の活動を紹介する模造紙を貼り巡らし、教室の真ん中に鉄道模型を設営しました。明日の文化の日には鉄道模型の試運転をして、オープンキャンパスの日には小学生たちと鉄道模型を走らせたり、鉄道クイズをしようと計画しています。実は、今の鉄研部員の何人かも、小学生の時に日本学園のオープンキャンパスに来ています。鉄研部員一同、大勢の小学生たちを招いて、楽しい一時を過ごしたいと願っています。鉄道に興味のある小学生の皆さん、是非、日本学園鉄道研究部へお越し下さい。

2017-10-08

2017年10月8日(日)

浜松町駅―(東京モノレール)―昭和島駅…東京モノレール車両基地・見学…昭和島駅―(東京モノレール)―
―羽田空港第2ビル駅…羽田空港散策・解散

本日、鉄道研究部は、東京モノレール沿線お散歩1dayパスを利用して、昭和島駅にある東京モノレール車両基地で開催された「東京モノレール祭り」を見学しました。
東京モノレールは、1964年に開業しました。東京都内で東京国際空港(羽田空港)アクセスモノレール路線「東京モノレール羽田空港線」を経営する鉄道会社で、今はJR東日本グループの一つです。
昭和島駅は、昭和島車両基地への職員の通勤利用のため一部の列車が停車するのみでした。1985年2月に乗務区などの現業部門を浜松町から昭和島車両基地へ集約し、基地周辺に工場利用者などの利便促進もかねて設置されました。島式ホーム2面4線を有する地上駅で、東京モノレールの車両基地が併設されています。
開業時は相対式ホーム2面2線の駅でした。2007年3月18日のダイヤ改正で快速が増発され、「空港快速」と「区間快速」に変更されたのに伴い、待避線の使用が開始され、現在の島式ホーム2面4線のホームになりました。主に空港快速が普通を追い抜くのに使用されています。かつて、東京モノレール羽田線(当時)で快速が設定される以前に昭和島駅を通過する普通がありましたが、天王洲アイル駅が開業した1992年6月のダイヤ改正で全列車(当時は普通列車のみ運行)が停車するようになりました。
私達は東京モノレール車両基地に入ると、まず整備工場へ行き、ヘルメットをかぶり、整備中の2000形電車の床下危機を見学しました。SIV静止形インバータ、砂撒器、揺れ枕、断流器、中心ピン、元空気溜など、各装置の役割について解説されていました。次に台車、走行輪や案内輪、台車の部品など、モノレールの台車の仕組みについて見学しました。
次に車両基地を見学しました。電力貯蔵装置の解説コーナーでは、実際に架線から電気を受けてモノレールが走る様に改造されたプラレールが走っていました。部員たちは、その仕組みに興味を持ちました。その隣では、運転士適正検査が行われていました。鉄研部員たちも、即座に色に反応してスイッチを押すテストや、時計を見ずに時間を図るテストに挑戦しました。最後に、昭和島駅ホームから、モノレールの転轍機や各車両を撮影してから、東京モノレールに乗って、羽田空港へ行きました。
昭和島駅を出発すると、直ぐに東京湾を埋め立て作られた羽田空港が視界に広がりました。広大な敷地に、滑走路、格納庫や整備場が点々を見渡せました。東京国際空港は、東京都大田区羽田空港にある日本最大の空港です。通称は羽田空港です。1931年に「東京飛行場」として正式開港以来、現在では羽田空港は世界の空港の中で5番目に旅客数の多い空港といわれています。日本航空と全日本空輸、スカイマークの国内線ハブ空港です。年間の航空機発着回数は約38万4000回、航空旅客数は約6670万人で、それぞれ国内最大。航空貨物取扱量は約84.4万トンで国内第2位。定期乗り入れ航空会社以外のチャーター便やビジネスジェットの乗り入れも行われています。
羽田空港についてから、昼食を食べ、展望デッキで、滑走路を離陸、着陸する飛行機を眺めました。多くの旅客で賑わっていました。最後に第一国内ターミナル、第二国内ターミナル、国際ターミナルを往来するバスを撮影してから解散しました。