週3日、体力トレーニングを行い、月例山行では奥多摩や丹沢などに行き、登山、沢登り、ロッククライミングを行っています。夏期合宿では北アルプス、冬休みには雪上訓練をし、春期合宿では八ヶ岳に行っています。2010年8月29日(日)
立川駅―(青梅線)―奥多摩駅―(京王タクシー)−海沢天地谷出合…(海沢下部瀑流帯60分)…井戸沢出合…(海沢下部瀑流帯40分)…海沢天地谷出合・昼食…(50分)…奥多摩駅―(青梅線)―立川駅・解散
今日は、奥多摩駅近くにある海沢の下部瀑流帯、天地谷出合から井戸沢出合まで沢歩きをしました。沢の中を歩き、滝つぼを泳ぎ、滝を登りました。部員たちは、滑らない様に足袋をはき草鞋をつけて歩きました。荷物を濡れないように、ビニール袋に二重に包みました。部員たちは、滝を流れる凄い勢いの水に少し圧倒されましたが、元気に沢の中を歩きました。とても暑い日だったので、滝つぼを泳ぐのも、気持ちが良かったです。井戸沢出合に着いたら、同じ沢を下りました。今度は、登ってきた滝を滑り降りました。みんな、凄い勢いで滝つぼに飛び込みました。部員たちは、たいへん喜びました。部員たちは、いざという時に備えてハーネスをつけ、カラビナやザイルも持って来ていました。今日はそれらを使わずに済みました。

2010年8月11日(水)
涸沢キャンプ場…東稜(230分)…北穂高岳(1306m)…本体と合流(120分)…涸沢キャンプ場・テント撤収…(120分)…本谷橋…(50分)…横尾…(50分)…徳沢…(50分)…明神…(40分)…上高地・小梨平キャンプ場・テント設営・飯盒炊爨
8月11日の朝、顧問の先生に「二人までなら東稜に連れていける」と言われました。僕は、こんな機会はもうないなと思ったので、タツキチ先輩と一緒に東稜に連れていってもらいました。まず、テントを張ったところから涸沢小屋まで行くのですが、タツキチ先輩が速いペースで歩くので大した距離じゃないのについていくのが大変でした。涸沢小屋で小屋の人から説明を受けた後また歩き始めました。途中までは北穂南稜とコースが同じなのですが石が少し細かくなったところで右に折れ雪渓を渡りました。雪渓を渡る手前でハーネスとヘルメットをつけました。雪渓を渡った時、先生とタツキチ先輩は普通に横断できていたのですが、僕は怖くなってしまいすごい遅れをとりました。何とか雪渓を渡った後、浮石だらけのところを登りました。そこは普段よく見るペンキさえありませんでした。浮石だらけでただでさえ疲れるのに、さっきの雪渓で僕は時間がかかったためとても太股が痛くなりました。そこを登りきるとやっと稜線に出られました。稜線に出られたところで5分間休みました。すごく綺麗だったので写真をたくさん撮ったのですが、風がすごく強くてしかも崖になっていたので怖かったです。休憩が終わったらハーネスにカラビナとスリングとエイト管と確保器とアッセンダーを付けて歩き始めました。歩き始めてすぐ道が狭くて足場の悪い箇所が続き、しかも風はなかなか止まないのでとても怖かったです。少し安定した場所につくと、そこで支点を作りロープ等をつけてさらに足場の悪い所を先生、僕、先輩の順番で次の安定したところまで確保しながら進みました。先生は、「自分が通ったところをよく見ておけ」と言いながらどんどん進んで行ってしまいました。岩の陰になってしまったり、霧が出てきてしまったりであんまり解りませんでした。そういう感じで先生はどんどん進んでいき、途中で支点を作り少し安定したところで自分自信を確保しました。次は僕の番です。最初は怯えながらも順調にいけたのですが、そこを乗り越えれば安定した場所にたどり着けるというところでクライミング的なことをしないと登れない岩が出てきました。しかもその岩は先生からは陰になっていて直接指示してもらえないのでとても怖かったです。でも、以前クライミングジムで何度も練習した甲斐あってすごく時間がかかりましたが何とか登れました。最後は先輩です。先輩もこういう所に来るのは初めてだと言っていたのですが、僕が苦戦していた岩も難なく登り普通にこっちまで来てしまいました。前からすごい人なんだなと思っていましたが改めてすごいなと思いました。そんな所がもう一ヶ所続きました。そこもさっきとほとんど同じような感じで登りました。さっきと違ったところは僕が先輩を確保したことです。クライミングジムの時やロッククライミング、アイスクライミングの時は人を確保したことがあるのですが、岩山での人の確保は初めてなのでとても緊張しました。そこを抜けると懸垂下降の場所に着きました。ここはわりと普通に降りられました。そこが終わると後は普通に登るだけで頂上です。だんだん人工物や●、×、→のペンキが見えてきて、それだけでうれしくなっていました。頂上の小屋が見えた時は本当にうれしくなりました。頂上では先生にポカリスウェットをおごってもらい登頂記念にTシャツを買いました。今回の北穂東稜は、本当は行く予定だった前穂北尾根よりも楽だと言われていたため正直少し甘く見ていたのですが、全然そんなことはありませんでした。前穂北尾根は自分にはまだ早かったと思います。行かなくてよかったです。今回の夏合宿は中学部長としていったのですが、北穂東稜に関しては完全にお荷物だったので、少しでも上にいけるようがんばりたいです。いい目標ができて良かったです。(山溪部 中3A ユウ)
2010年8月12日(木)
小梨平キャンプ場・テント撤収・合宿の反省会…西糸屋山荘・入浴…上高地・昼食・買い物―(松本電鉄バス)―沢渡―(貸し切りバス)―明大前…日本学園・団体装備を整理・解散
朝起きてから、朝食を作って食べ、テントを撤収しました。その後、ビジターセンターの大きな軒下で反省会をやっていたら、雨がどっと降り出しました。反省会では、今回の夏期合宿を通じて経験したことを元に、様々な反省点が挙げられました。今後の登山活動に生かせれば何よりです。反省会を行った後、西糸屋山荘で入浴をし、上高地バスターミナルで食事をし、お土産を買いました。その間、雨の勢いはいよいよ凄くなりました。沢渡まで松本電鉄バスに乗り、沢渡から貸し切りバスで明大前まで帰りました。みんなで日本学園に戻り、団体装備を整理し解散しました。部員たちは、今回の夏期合宿を通じて、様々な体験をし、少し逞しくなりました。

2010年8月11日(水)
涸沢キャンプ場…(190分)…北穂高岳(1306m)…(120分)…涸沢キャンプ場・テント撤収…(120分)…本谷橋…(50分)…横尾…(50分)…徳沢…(50分)…明神…(40分)…上高地・小梨平キャンプ場・テント設営・飯盒炊爨
朝起きて雨が上がっていて、うれしかった。各テントごとに朝食を作りました。思った以上に作るのに時間がかかり、バリエーションコースを行くユウとタツキチ先輩が先に出発し、30分後に僕達が出発しました。今回のオーダーは、自分が先頭でした。早速道を間違えて、みんなに指摘されました。まだ登山道の隣の北穂高沢が雪に覆われていました。少し歩いていたら、なぜか僕だけに虫が大量に寄ってきました。それを払いながらに行ったが、歩くごとにどんどん増えていき、そのまま休憩をとったが虫のせいで休めませんでした。途中で他の登山者と対向した時に虫が全部移って行ったので、うれしいと言っていいのか、分からなかった。鎖場が出てきて、下りの登山者とのすれ違いが大変でした。ハシゴを登ると完全に虫がいなくなりました。登るに連れて寒くなってきました。霧までたちこめて最悪でした。道がどんどん険しくなってきました。雪が凍った場所もありました。3時間かけて北穂高頂上に着きました。北穂高岳の頂上には、まだバリエーションコース組は着いていませんでした。寒かったので、カップヌードルを食べました。9時30分まで待って先輩達が来なかったので、先に出発しました。北穂高岳は、登るのよりも降りるほうが大変でした。降りている間、雨が降ってきて大変でした。途中で、バリエーション組みに追いつかれました。テントに着いたけど、びしょびしょだった、撤収したら来るときよりも二倍に重くなっていました。ザックに詰めて上高地を目指しました。しばらく歩くと、すぐに足と腰と肩が痛くなりました。上高地につく頃には、足がボロボロでした。立って居られないくらい、足全体が靴ずれをしていました。今回は最後まで自分の荷物を持つことが目標だったので、その目標を果たせて良かったです。(山溪部 中3A ヨシキ)

2010年8月10日(火)
涸沢キャンプ場…(140分)…穂高岳山荘…(30分)…涸沢岳(3103m)…穂高岳山荘…(50分)…奥穂高岳(3190m)…(40分)…穂高岳山荘…(90分)…涸沢キャンプ場・飯盒炊爨
今日の山行は、涸沢キャンプ場にテントを置き、涸沢岳と奥穂高岳を目指しました。早朝は雲ひとつない快晴でしたが、天気予報では松本市が午後より雷雨となっていました。私たちは、5時に急いで出発しました。登りは、涸沢小屋の前を通りました。いよいよ涸沢岳や奥穂高岳の頂上が近づいてくると、ザイテングラート、岩壁の側面の支稜に差し掛かりました。クサリやはしごを伝って登る岩尾根の急登に時間がかかりました。やっとの思いで、白出のコルに着きました。白出のコルから、北アルプスの山々が良く見渡せました。しかし、松本盆地には、びっしりと雲が張っていました。部員たちは、早速穂高岳山荘に入り寛ぎました。でも、穂高岳山荘で天気予報を見て、まもなく天気が崩れることを確認し、急いで涸沢岳に登りました。涸沢岳の頂上に着くと、槍ヶ岳、北穂高岳、奥穂高岳、前穂高岳が見渡せました。しかし、瞬く間に下から雲が追って来て、あたり一面が真っ白になりました。雲の中、穂高岳山荘に降り立ち、即座に奥穂高岳を目指しました。穂高岳山荘を出てすぐに、クサリとはしごを伝って登る急崖です。部員たちを3人ずつのグループに分け、急崖を下る登山者とスムーズにすれ違える様な体勢で登りました。でも、このはしごでずいぶん時間をかけました。そのうちに、天気が曇りから霧雨になってきました。奥穂高岳の頂上では、登山客の人たちが代わる代わる記念写真を撮影していました。私たちが頂上で休んでいると、霧雨が本降りになって来ました。私たちも、みんなで記念写真を撮りました。景色もなく雨がザーザー降り出したので、部員たちの表情がいまひとつうかない。急いで、穂高岳山荘に戻りました。下りは、クサリやはしごが濡れていたので、緊張しました。穂高岳山荘に一息入れているうちに雨が止みました。雨が止んでいる隙に、涸沢キャンプ場まで下りました。下り道は、雪渓を通るパノラマコースを選びました。雪渓の上は少し滑りやすく、部員たちがけっこうはしゃぎました。昼過ぎに涸沢キャンプ場に着きました。テントに入ったら、すぐに雨がドバッと降り出しました。外でみんなと一緒に飯盒炊爨をするのは無理ということで、各テントごとにニョッキを作って食べました。そして、明日の北穂高岳に向けて、午後はテントの中でゆっくり休み、早めに寝ました。雨足がいよいよ強くなり、そこかしこから稲光と雷鳴が…。

2010年8月9日(月)
横尾…(55分)…本谷橋…(110分)…涸沢・テント設営・飯盒炊爨
朝3時、目覚ましの音ともにみんなスッと起き、寝袋を片付け各テントの中で朝食を食べました。今日は、パン、スープ、リンゴを食べ、最後に紅茶を飲みました。急いでテントを撤収しました。横尾キャンプ場を出発する時には、すっかり夜が明けていました。横尾谷に沿って涸沢カールにある涸沢キャンプ場を目指しました。横尾から、本格的な山道となります。部員たちは、全員元気に良く歩きました。途中、本谷橋という吊り橋で横尾谷を渡りました。本谷橋には、ちょうど部員たちが休憩できる広さの河原があります。私たちは、河原の大きな岩の上で一休みしました。本谷橋を過ぎると、いよいよ急な登り坂となります。右手に横尾本谷、手前に涸沢カールが見えてきます。そして木の合間から目指す涸沢キャンプ場にある涸沢ヒュッテの建物が見えます。木の下の急な坂を登りきると、視界が開け涸沢にそう緩やかな坂道が続きます。もう目の前に穂高の山々がそびえ、その下に涸沢カールに張られた赤や黄色のテントまでもが見えてきます。部員たちは、テントをはじめ多くの団体装備をしょいながら歩いていたので、この大きな岩の上をダラダラと上がる登り坂が、けっこう長く感じました。途中に雪渓が残っていて、部員たちは緩い雪の上の登りに気を使いました。いよいよ涸沢ヒュッテの発電機の音が、どこからともなく聞こえてきました。ちょっとした樹林帯の前で、登山道が涸沢小屋方面と涸沢ヒュッテ方面への分岐になります。私たちは、涸沢ヒュッテ方面の道を選んで、樹林帯に入り階段を登りました。すると突然、涸沢ヒュッテの入り口に出ました。そこは、奇麗なトイレと水場、穂高連峰を眺めながらゆっくり休めるテーブルとイス、ラーメン、ジュース、おでんやお菓子も販売しているお土産さんなどがあり、この時の部員たちにとっては夢の様な素晴らしい所でした。早速ザックを置き、穂高岳を眺めながら、ゆっくり休憩しました。まだ、10時頃でしたので、テントを設営してから屏風の耳に行こうかと考えました。涸沢ヒュッテに問合せてみると、今日はまだ、道の状態が良くないということでした。また、午後には雨が降るという天気予報でした。今日はテントを設営し、飯盒炊爨をした後、明日の涸沢岳・奥穂高岳登頂へ備えて、ゆっくり休むことにしました。

2010年8月8日(日)
明大前―(貸し切りバス)―沢渡―(松本電鉄バス)―上高地…(45分)…明神池…(45分)…徳沢…(45分)…横尾・テント設営・飯盒炊爨
今年度の山溪部夏期合宿は、穂高連峰で実施されました。合宿初日、上高地から梓川に沿い、横尾まで歩きました。今回の夏期合宿では、中学1年生から高校2年生まで14名の部員が参加しました。団体装備や食料など多くの荷物になりました。上高地から横尾までの道程は、平坦でとても涼しかったので、明神池や明神岳の景色を眺めながら、余裕をもって歩けました。横尾キャンプ場に着いてから、テントを3つ設営しました。そしてみんなで夕食のぺペロンチーノを作りました。オリーブオイルを使って上手に作りました。明日から、3時起床、5時出発の行程が続きます。手早く食器やなべを洗い、荷物を整理し、早々に消灯しました。

2010年8月2日(月)
今日の活動は、夏期合宿に向けての体力つくりということで、午前中に日本学園と多摩川を往復走りました。まず、日大文理学部から水道道路に出て、真っ直ぐに日大商学部まで走り、世田谷区立総合運動場を経て、岡本三丁目の東京富士見坂まで行きました。東京富士見坂は、国分寺崖線にある富士山が良く見える急坂です。山溪部は、たまにここまで走って来て、坂道ダッシュをします。今日は蒸し暑かったけど、みんなで走り登りました。その後、砧本村停留所近くの多摩川河川敷で、ゆっくり休憩しました。帰りは、生育医療センターの近くにある大蔵団地の中の坂で、坂道ダッシュを何本かやりました。この坂は、東京富士見坂ほど急ではありませんが、たいへん長いです。自動車が少なく、木におおわれているので、山溪部のトレーニングには、ちょうど良いです。大蔵団地で何度も坂道ダッシュをやった後、小田急線に沿って豪徳寺駅まで走り、日本学園に戻りました。みんな、汗まみれとなり、クタクタになりました。午後は、以前に行った搬送訓練のおさらいをしました。ザック、雨具とザイルを使って事故者を背負う段取りを、みんなで代わる代わる行いました。最後に、夏期合宿での食事について再検討しました。今日は、蒸し暑い中よく走りました。しかし、夏期合宿での道程は、更に過酷です。体調を整え、ベストコンディションで夏期合宿にのぞみましょう。

2010年7月31日(土)
今日のトレーニングは、夏期合宿へ向けての体力強化ということで、日本学園から神田川に沿う遊歩道を走って、井の頭公園へ行きました。午前中でも大変蒸し暑かったので、部員たちはすごく汗をかきました。途中の公園で水を飲みながら井の頭公園まで走りました。井の頭公園は、井の頭池を囲いさくらなどの多くの木におおわれていて、とても涼しいところでした。私たちは、井の頭池のほとり、お茶の水の前で一休みし、再び日本学園を目指して走りました。永福町辺りで、だんだん黒い雲が迫って来て、雷が鳴ってきたので、学園に戻ってから筋力トレーニングをしました。午後は、教室で夏期合宿のしおりを作りました。中学部長のユウが、今回の合宿の行程について説明をし、それに沿ってみんなで団体装備や食料について考え、しおりの下書きをしました。

2010年7月26日(月)
夏期合宿へ向けて、体力トレーニングに励んでいます。今日は日本学園の近所にある羽根木公園で、全員が走り続ける仕組みの鬼ごっこを10分間ずつ、計5回やりました。みんな最初のうちは笑顔で走っていましたが、だんだんきつくなってきました。仕舞いには、身体中汗まみれになりました。新聞やニュースでは「最近の猛暑のせいで、熱中症で倒れる人が多い」と報道されているので、休憩時間にはじゅうぶんに水を飲みました。夕方、濃い雷雲が出てきたので、学校へ帰ってから筋力トレーニングをやりました。一通り運動した後、教室で今まで学習した天気図のおさらいをしました。最後に、夏期合宿のしおりを作る打合せをし、前回の山行、富士登山の感想と反省を書いて解散しました。夏期合宿まであと2週間。準備万端整えて、良い夏期合宿としたいものです。

2010年7月19日(日)
明大前―(貸し切りバス)―富士宮口五合目・休憩
2010年7月20日(月)
富士宮口五合目(2400m)…(90分)…新七合目御来光館…(45分)…元祖七合目山口山荘(3010m)…(50分)…八合目御来光拝観所(3250m)…(30分)…九合目萬年雪荘(3460m)…(70分)…浅間神社(3740m)…(30分)…剣ヶ峰・富士山測候所跡(3776m)…(10分)…浅間神社…(30分)…御殿場口八合目…(60分)…七合目…砂走り(30分)…五合五勺…(30分)…御殿場口新五合目―(貸し切りバス)―山中湖・紅富士の湯・入浴―(貸し切りバス)―明大前…(10分)…日本学園・反省会・解散
今回は富士山に登った。富士山は前に登ったことがあったのだが、今回はいつもと違って夜間に登る登山だった。夜間といっても、小屋に泊まって1時2時に登り始めるわけではない。夜通し登るものだった。だから響きとしては変かもしれないが、要するに「0泊2日」で頂上まで行って、それでそのまま帰ってくるものだった。しかも今回はトライアスロン部と合同で登ることになっており、「山を登る部」の者としては、トライアスロン部よりも先にばてることはできなかった。夜間でしかもすぐには疲れた姿を見せられない(トライアスロン部の皆様は大変強そうですぐにばてそうになかったので)、という状況だった。後者は何とか頑張って耐えるとしても、前者の夜間に発生する「眠気」に勝てるかどうかは少々怪しいものだった。「夜通し」というのは文字どうりの意味はもちろん、「日が昇ってからも行動を続ける」という意味もふくんでいたからだ。だから、前日はたっぷり寝て、当日は昼寝、バスでの移動時間も寝た。とにかく眠くならないよう最善を尽くした。そのおかげで登り始める直前はかなり目がさえていた。「もしかすると、一晩中眠くならないんじゃないか」と思うぐらいだった。が、それは甘い考えだった。確かに登り始めてすぐ、1,2時間は、周りの人と話すくらいの余裕もあったし、意識もはっきりしていた。しかし1時間、2時間、3時間と時間がたつにつれて、意識はぼんやりとし始め、口数も減ってきた。直感で「止まったらすぐに眠りの世界に行ってしまう」と思ったので、そこからは意識しなくてもほぼ自動的に動く手と足をひたすら止まらないように励ますばかりだった。そしてそこからさらに時間がたつと、今度は自分がまるで宙に浮いているかのような錯覚に陥るようになって、宙に浮いては自分を引き戻す事を繰り返した。そのうちに考える気も起きなくなってくるとそこからが本当の勝負だった。そうなると周りの音はすべて意味を成さないものとなって、「聞こえてるのだけれども、聞こえない」という不思議な感覚がした。それがまたちょうどいい具合に眠気を誘って、つらかった。「もうだめかもしれない」と思ったところでやっと東の空が白みはじめた。そこで何がどう変わったわけでもないのだが、突然に意識がはっきりしてきて、それに同調するかのように身体のほうも元気になったような気がした。何を思ったのかふと「山頂でご来光を見たい」と思い立って、後は間に合うようにひたすらスピードを上げて登った。どこからこんなにやる気が出るのか不思議なぐらいだった。その後は無我夢中で登った。とにかく記憶に残ったのは、頂上に着いて見た日の光だった。あの時のなんともいえない達成感は、とても複雑なものだ。しかし全体では予定よりも大幅に遅れていた。本当ならば日が昇る2時間ぐらい前についているはずだった。その原因はやはり行動が遅かったせいだろう。眠かったからか、どうも一つ一つの行動が遅くなってしまったのだった。その後の下山も同じように遅れてしまった。たとえ夜通しであったとしても、もたもたしていいわけはない。むしろこういうときこそ、すばやく動くべきだった。楽しいことやよかったこともあったが、たくさんのぼろが出た山行でもあった。 (山溪部 高1B タツキチ)
