最近、娘が大きくなり、言葉をよくしゃべる。何を言っているのか、わからない言葉の時期は過ぎ、最近は意味ありげなセリフをよく発する。
先日、勤労感謝の日に「ぱぱ、いちぃもありがと」と言われた。あきらかに妻に仕込まれたのは言うまでもないのだが…感動。が、しかし、その後一呼吸おいて「とても、すばらしい世界でぇし。」と意味深なセリフを吐いた。・・・感動が一瞬にして笑いになった瞬間だった。
言葉とは、「“意味”をあらわすために声で発したり、字に書いたりすること」らしい。今の世の中ってすごく便利。グーグルを開いて“言葉とは”って検索したらすぐに出てきたもの。言葉って気持ちや感情を抜きにしても、その言葉から相手に意味を渡すということだ。それは、その意味が相手に何かしらを伝えていくのだ。何気なくでも、真剣でも、言葉は意味を持ってしまうということ。もちろん、話す時なら、抑揚のつけ方、速度、文章ならば記号を用いたりすることで、“伝わり方”は変化するが、言葉の意味は変わらず存在する。
しかし、娘は言葉の意味は、よくわかっておらず「ぱぱ、いちぃもありがと…とても、すばらしい世界でぇし。」という言葉を発したのだろう。けれど、その言葉を受け取った私は、感動半分、笑い半分で言葉の意味は十分伝わっているのだ。
しかし、何度考えても「とても、すばらし世界でぇし」は、なぜ出てきたのだろうか・・・。何かのセリフ?いろいろなアニメのセリフがつなぎ合わさったのか、それとも本当は私に何かを伝えたかったのではないだろうか。深読みしてみた・・・。
そもそも普段、私たちは言葉をしっかりと選び、意味を踏まえて相手に伝えようとする機会が、どれだけあるのだろうか?また、その言葉の意味をしっかりとわかっているのだろうか。
哲学的な話になりそうだが、言葉足らずの私は、ごちゃごちゃになるのが目に見えている。この場で偉そうに何かを評論したいわけではなく、シンプルに、相手にどう伝わるかを意識し、自分の言葉を発信しているかは疑問だなと感じた。
世の中はどんどん便利になり、スマホの所持は中高生でも9割を越え、ラインやメール、SNSなどのツールを通し、言葉を簡単に発信することができる時代だ。便利な反面、言葉の意味をあまり考えず、“なんとなく”発信してしまうことが多々あるのではないだろうか?言葉に無頓着になっていないだろうか。それが日常の何気ない会話で、相手のことを思いやる気持ちや、どう伝わるかをあまり考えなくなってしまっているのではないだろうか。そして、時にそれが言葉の暴力になることもあるのかもしれない。
教員という立場になり、日々を過ごし、生徒たちと触れ合い、当たり前の毎日から、相手にどう伝わるかをあまり気にせずに言葉を発信しているかもしれない。そんなことを思う今日この頃。
高校生くらいだと、ノリや勢い、その場の雰囲気であまり後先考えず行動をすることも多いと思う。何も考えずに言葉を発信していると、その言葉が時に、暴言になってしまうこともある。暴言とは、「他を傷つける意図がある言葉」だそうだ。相手にどう伝わるかなんて考えずに言葉を発信している、そこの諸君。言葉は意味を持ち、その意味が相手に伝わります。自分の発信する言葉の意味を踏まえて、発信することが時には大切なのかもしれません。
そしたら、相手を傷つけるような暴言は、この世から消えてなくなり、きっと「とてもすばらしい世界」になるのではないだろうか。
※ 写真は布施先生クラスの日学祭の様子です。