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職員室リレートーク

「正義と狂気のアントニオ猪木」伊藤先生(高1副担任・創発科・国語科)

投稿日2022/11/16

先月、アントニオ猪木が亡くなった。
難病を患っていたので、どうなるかと思っていたが、79歳、まだまだ早い死であった。
生徒諸君には馴染みがないかもしれない。
反り返った立派なアゴを持つ異形の大男。
もしくは芸人のモノマネの対象として知っているくらいだろうか。

昭和の終盤に少年期を過ごした私にとっては、プロレスのスーパーヒーローであり、スーパースターであった。
今では考えられないが、かつてテレビのゴールデンタイムにプロレスの中継が毎週あった時代があったのだ。
日本にプロレスを根付かせたのは力道山。そして彼が率いる日本初のプロレス団体、日本プロレスである。
その門を叩くこととなったのが、ジャイアント馬場であり、アントニオ猪木であった。
2人は日本プロレスの両輪として、力道山亡き後、プロレス人気を不動のものとした。
その後2人は日本プロレスを離れ、アントニオ猪木は新日本プロレス(新日)を、ジャイアント馬場は全日本プロレス(全日)を旗揚げする。

最初にテレビのスターになったのはジャイアント馬場であった。
馬場のプロレスは一言で言えば、予定調和。
彼が愛した時代劇同様、「勧善懲悪」の展開である。
ヒール(悪役)レスラーの反則も含む「ヤンチャ」な攻撃に劣勢を強いられつつ、最後は馬場の16文キックが炸裂して勝つ。
人々は水戸黄門の紋所に溜飲を下げるのと同様に、馬場の、あるいは全日のプロレスを楽しんだ。

その後、アントニオ猪木の新日も遅れてテレビでの中継が始まる。
私がプロレスに熱狂した小学生から中学生の当時、全日は土曜日の夕方5時半から日本テレビ(4チャンネル)、新日はテレビ朝日(当時は10チャンネル、今は7チャンネル)で、金曜日の夜8時からの放送だった。
猪木の新日の放送は、週末のいわゆるゴールデンタイムだったのである。

スマホもインターネットもない時代。
SNSもネトフリもアマプラもない時代。
家族は1つのテレビを一緒に視聴した。
「チャンネル争い」という言葉があった時代。
家父長は少しずつその権威を失いつつあった。

ゴールデンタイムのテレビ中継を維持するのは大変である。
どうしたって視聴率を求められる。
猪木はそこで勝負したのだ。
新日のプロレスはエンターテイメント性をどんどん獲得していく。
アニメの人気者だったタイガーマスクを実写さながら、リアルに登場させる。
猪木の弟分藤浪辰巳と長州力の確執を演出する。
闘魂三銃士、獣神サンダーライガーなど、若手を育てガンガン表舞台に立たせる。
新日のプロレスは全盛期を迎え、プロレスそのものもその頃が最高潮だったのではないだろうか。
その中心にいつも猪木がいた。

その後、ジャイアント馬場の死もあり、全日と新日という分かり易いカテゴリーだけにとどまらず、総合格闘技なども含めて、様々な競技、団体が現れ、格闘技も多様化していった。
私もすっかりプロレスや格闘技への興味を失っていった。あまりに複雑になり、さらにプロレスの持つ虚構性もどこかに追いやられ、よく分からん、というのが本音であった。

それで、我らがアントニオ猪木である。

猪木の試合で、忘れられない光景がある。
小学生高学年か、中学校に入ったばかりの頃だったろうか、まだタイガーマスクや獣神サンダーライガーがリングを飛び舞っていない頃。
今では決まり文句となった「元気ですか!」や「1,2,3、ダーッ!」というパフォーマンスも、まだしていなかった頃の話しである。

それは、金曜日、夕食を終えた8時のプロレス生中継であった。
ゴングが鳴り試合開始早々、猪木が隠し持っていたフォークを使って、試合相手を滅多刺しにし始めたのだ。
相手レスラーが誰だかもはや忘れた。
しかし、猪木はフォークを手にして、逃げようとする相手を執拗に追い回す。
レフリーは制止するのだが、お構いなし。
金曜夜8時のお茶の間、家族がそろってブラウン管を見つめる中、新日のスーパースターが血まみれの相手をフォークを握りしめて追い回すのだ。
それも生中継。
試合は当然猪木の反則負け。
勝敗が決しても、まだ相手に襲いかかり続ける猪木。
ここで放映時間が終了し、映像は途切れ、視聴者はその後を知る由もない。

あんぐり、とはこのことである。
10代になったばかりの私には、衝撃的であった。
猪木にいったい何があったのか。正統派ストロングスタイルのプロレスを正義とするヒーローの「乱心」を理解できるはずはない。
例えば、今をときめくBTSのリーダーが突然、気に食わないタレントをテレビ放送中にフォークで滅多刺しにしたら、何を思うだろうか?
いや、ちょっと違うか…。

今もあの時の映像が頭に残っている。
取り憑かれたようにフォークを握りしめて追いかける猪木。
少しだけ猫背の彼はネコ科の猛獣さながら、何者にも止められない獰猛な姿で相手に牙を剥ける。そしてその目が追いかけていたのは、相手選手をかすめた先にある何かではなかったか。
その時私は、アントニオ猪木に潜む「狂気」を目撃したのだ。

人は成長するにつれて、それまで正しいと思っていたものが、そんなに単純ではないと気づく時がある。

「偉大な大人」だと思っていた先生の、ビターな人間性を垣間見たり、とか。
本来利他的であるべき政治家たちの、利己的な行為に憤る、とか。
ハッピーエンドで終わると思っていた物語が、アンハッピーで終わってしまったり、とか。
それまで純粋に打ち込んでいたものに、素直に打ち込めなくなったり、とか。

それを大づかみで乱暴な言葉でまとめるなら、「大人になる」というのだろう。
私にとって、人間や社会がそんなに単純なものではない、世界は時に理解を超えた複雑さに満ちているということを最初に教えてくれたのがアントニオ猪木なのである。

その後、猪木はプロレスラーとして活躍しながら政治の世界へも進出、何度も北朝鮮へ足を運び、何とか関係性を作ろうとし続けた。

そのうち「闘魂注入」なるものが流行りだし、その映像がテレビでも放映された。猪木にビンタをしてもらい、「気合い」を入れてもらうというものだ。
よく予備校生たちが進んで「注入」してもらっていたと記憶している。
「下らないことをするなぁ」くらいにしか当時の私は思っていなかった。
ある日、なんと無しにテレビでその映像を眺めていると、学生と思しき若者が、猪木にビンタをしてもらった後、調子に乗って猪木にビンタを仕返したのだった。
猪木はどうしたか?
ひと呼吸の間をおいて、その若者に一度目より強烈なビンタをお見舞いしたのだ。
その時の表情は、イベントの際の「お遊び」というものではなかった。

一瞬ではあるが、私はあの金曜の夜に目撃した、狂気を宿した猪木の目を見た気がしたのだった。

巨星落つ。
荒ぶるアントニオ猪木の魂の、鎮まることを祈らん。


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