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職員室リレートーク

「湘南国際マラソン ~人は極限状況において何を思い、走り続けるのか。 」伊藤先生(中学部長・国語科/創発科)

投稿日2023/12/18

2度目のフルマラソン。 

 

西湘バイパスを封鎖しての海沿いのコース。 

これは爽快だろうなと。 

さらに、給水用のマイカップ・マイボトルを持参しゴミを削減、サステイナブルな大会をめざすという趣旨もステキ。というわけで、2年ぶりのフル出走。 

 

目標は密やかに「サブ3.5」。 

(注1「サブ3.5」・・・フルマラソン42.195キロを3時間30分を切ってゴールすること) 

 

2年前の初フルは、前半順調に走るも、後半足が攣り大ブレーキ。両足のあらゆる筋肉が悲鳴を上げ、止まりに止まり、歩きに歩いてゴール。 

記録は3時間58分。サブ4という達成感など微塵もなく、ただただ辛さだけが体に刻まれたレースだった。 

その日は3月初旬ではあったが気温は20度越え。前日まで10度以下だったので、体感的には猛烈な暑さ。 

初フルとはいえ、無知にも程がある。 

走行中の水分補給は「のどが渇いたら飲めばいいんだよね」くらいにしか考えておらず、初給水は20キロ過ぎであった。 

レース後、なぜ足が攣るのか調べてみれば、水分の喪失が大きな原因とわかる。 

42.195㎞、遥かな距離である。 

なめていた。ハーフの記録の2倍ちょっとくらいで走れるだろうと高をくくっていたのが大きく裏目に出た。 

身から出た錆。初フルマラソンは苦行でしかなかった。 

 

で、湘南国際マラソンである。 

エントリーしてからは自ずとレースを意識せずにはいられない。 

記録的猛暑の8月は1日10キロを課し、せっせと310キロを走った。 

ところが、10月にはインフルエンザに感染、さらに11月には風が吹くと痛いあいつが20年ぶりに右足を襲撃。 

練習も思うようにならず、特にロング走は全くできず。 

それでもレース前一週間は酒を断ち、本番の日曜日。 

(注2「ロング走」・・・マラソンの練習として、20~30キロを集中して走ること) 

 

朝は5時に起床。立川からバスが出るというので予約し、会場の大磯プリンスホテルへ。陽が昇り、鮮やかな陽光の中、現地到着。多くのランナーが続々と集まり、豊富に設置された仮設トイレの前はすでに長蛇の列。 

 

やはり肝心要なのは足攣り対策だ。 

ネットやら雑誌やらと首っ引きになって、 

 

前日から体内に水分を保つべく補水を心がけ、離尿作用のあるお茶やコーヒーは控える。 

当日は朝からアクエリ500mlを一口ずつ2時間かけて補給。 

朝食にバナナを一本。糖質と、足攣り防止につながるミネラルを摂取。 

お守りとして足攣りに効く漢方薬芍薬甘草湯のスティックを携帯。もしもの時はすぐに摂取することにする。 

と、とにかく少々調べてできることを自分なりに対策する。 

 

しかしながら、師走の朝、気温5は五十路には過酷であった。 

一度のみならず二度催し、長蛇の列に並んでせっかく蓄えた水分をリリース。 

身支度を整え荷物を預けて、スタートの集合場所へ向かう。 

スタートは、エントリー時に申告した完走タイムに基づいてA〜Gのゾーンに分かれて場所が指定され、各々整列することとなる。 

私はDゾーンからのスタートであり、参加ランナー約15,000人のうち、ちょうど真ん中くらいの場所から走り始めることになる。 

 

スタート時刻の30分前から列に並ぶ。 

両車線とも全く車両が消えた西湘バイパス。その上り車線をスタートを待つランナーたちが埋め尽くす様はなかなか壮観である。 

中にはサンタさんやゲームやアニメのキャラなど、コミケ会場か?と思うほど趣向を凝らしたコスチュームで参加しているランナーも多い。 

そんな余裕など全くない自分には、正直縁遠い世界だ。 

ひしめきあう中、個人に与えられた空間は狭い。 

その中で各自がストレッチをしたり、グループで出走する人は雑談したり。 

個人参加の私は、少しでも筋肉を伸ばしておこうとスペースを探っては余念なくストレッチ。 

あとはひたすら呼吸を整える。 

 

9:00、いよいよスタート。 

D地点からスタート地点まで5分ほどを要す。スタートゲート通過。気を取り直して、ここからいよいよレース開始である。 

 

大渋滞の中、当然のことながら思うようには進めない。 

前回のレースは、とにかく行けるところまで行こうと、ハーフを走る時とあまり変わらず、キロ4分30秒くらいにペースを設定して走った。 

20キロ過ぎまではそのペースで走れたが、25キロ過ぎで足攣(つ)りが出たのは前述のとおり。 

今回はもう少し落として4分45秒〜50秒に設定することにした。 

レース1週間前、最後のペース走でも4分45秒くらいなら疲労を感じることなく10キロを走ることができた。 

 

スタートからしばらく続く渋滞では、当然なかなかそこまでペースが上がらない。 

やむを得ず、コースの左右の端を走行し、外側からうまく人を抜きながらペースを作っていく。 

コースは大磯プリンスホテルの脇を走る西湘バイパスを江ノ島方面へ東に向かう。前半は湘南の海を右にしながら進む。 

渋滞の中コースを選んでいくことに気を取られ、景色を楽しむ感じではない。 

ただ、風はさほど強くはなく、よく晴れた空はひたすら心地よい。気を許せば上がりそうなペースをしっかり抑えながら慎重に足を運ぶ。 

やがて西湘バイパスを後にして平塚、国道134号へ。西湘バイパスにしてもこの辺りの道にしても、行楽で何度も通ったことのあるお馴染みの道である。 

その道を車ではなく我が足で走るのだから、なんとも爽快である。 

 

5キロ地点を超え、やがて相模国の大河川、相模川の河口にかかる大きな橋を渡る。 

以前、神奈川の人の気質は相模川を越えると大きく変化すると聞いたことがある。 

曰く、相模川以西はそれまでの東が持っていた都会らしさが減退し、一気に「田舎らしさ」が強まる、と。 

橋を渡れば、なるほどそこは「砂混じりの茅ヶ崎」である。 

 

最初の給水。 

諸々の情報によれば、給水は5キロごとに100ml〜150mlを取れば良いと。 

さらには、水よりもスポーツドリンクのほうが足攣り対策になると。 

湘南国際マラソンは昨年の大会から紙コップでの給水を廃止し、ランナーは給水のためのマイボトルを携帯し、各所に置かれた給水所にてジャグから自分でボトルに給水しなればならない。 

大会公認のソフトタイプのボトルもあって、私もエントリー時にそれを購入したが、デザインもなかなか素敵である。 

それを丸めて、ランパンのポケットに入れて走る。 

 

給水所はほぼ200メートルごとに設置しているというから驚きだ。 

もちろん、マイボトルにドリンクを自分で注ぐためには、そこで走りを中断して立ち止まる必要がある。 

シビアに記録を狙うランナーにとっては、わずかなタイムロスも看過できないだろうが、実際のところどうなのか? 

 

初の自己給水である。 

すっと立ち止まり、ジャグのタップをクイっと傾けて給水。 

液体の落ちるスピードも早く、ほんの2秒ほどの補給で必要な量はゲットできる。 

後は走りながらソフトボトルに入れた飲料を口にし、飲み終えたら再びポケットに丸めてしまう。 

やってしまえばなんてことのない動作で、一安心。 

これを5キロごとに忘れずに行い、進むのだ。 

 

あれよという間に10キロ通過、2回目の給水。 

ここまで平均ペースはキロ4分45秒で到達。 

両脚の疲労も心肺の苦しさも全くなく、冬晴れの中、ひたすら心地よい。 

沿道にはたくさんの応援する方々が出ていて、掛け値なしの声をかけて下さる。 

 

「ああ、出走して良かった」 

 

多幸感ですでに胸が溢れるばかりだ。 

辻堂のあたりでは、サーフボードを横に積んだ自転車を漕いで歩道を行くサーファーの方々もちらほら。 

この辺りの海岸って高校の頃とか初日の出見に仲間と来たりしたっけ。 

そういえば、大磯の海岸も来たことあったよな。 

あの時一緒だったのは確かあいつとか、あの娘とか、いや、あいつだっけ、いやあの娘だろ、などなど、およそいまさら取り返しもつかない、取り止めもない思い出の残像を、風とともに後にしながら、江ノ島入り口で折り返し地点に到達。 

軽やかに折り返し、すぐに20キロ地点を通過。この10キロも前の10キロと同じペースで走り抜けた。 

爽快な気分で、今度は134号線を大磯を目指して西に向かう。 

 

全国津々浦々、開催されるフルマラソンの楽しみのひとつとして、エイドで供給される食料の充実というのがあるらしい。 

湘南国際マラソンでは、湘南ご当地銘菓の提供があってランナーの人気を集めていたが、江ノ島入り口折り返し地点過ぎのエイドではなんと「しらす」の供給があった。 

さすがに「生」ではないが、走っている最中にしらすを口にいれ咀嚼して飲みこむ。 

運動中の行為としてはいささか受け入れがたく、普通にスルー。 

いっそゴールしてから振るまってくれたらいいのに。 

 

そろそろ前回足攣りした距離に近づいてきた。 

実は、20キロ地点あたりから、右のお尻(臀部)のあたりに少しだけ「張り」を感じていた。 

しかし、それも半分を過ぎたあたりで気にならなくなった。 

だましだまし走っていればなんとかなるだろうと思っていたら、本当に張りは消えてしまったのだ。 

しめしめであった。 

 

なので、左の太腿(ふともも)に感じるちょっとした張りも、だましだまし走法でそのうち消えるだろうと高を括っていた。 

しかし、ペースは少しずつ落ち始め、いつしか5分を切るのが難しく感じるようになってきた。 

それでも、呼吸に辛さを感じはしなかった。 

なので、少々ペースを落としてもこのままいけるだろうと思っていた。 

しかし、再び砂混じりの茅ヶ崎に入り、25キロを過ぎた時、とうとう左の太ももの筋肉が硬直したのだった。 

太腿は臀部と違って、そんなサトシにだまされてはくれなかったのである。 

 

25キロ時点での給水のタイミングで、足を止めて、携行していた足攣りに効くという芍薬甘草湯を、祈る気持ちで服用。 

少々ストレッチして走行を再開。 

しかししばらく走ると、たちまち同じ箇所が張ってくる。 

張りがピークになってくる、つまり痛みがつのってくると歩き、歩いても治らなければ立ち止まってストレッチ。 

緊張した筋肉をわずかばかりでも弛緩させ、再び足を前に運ぶ。 

 

以後は、この繰り返し。 

残りの距離は15キロほど。 

もはや100メートルさえも、長く感じる。 

そして、張りはやがて太股のみならず、ふくらはぎへと移っていく。そして、じわりじわりと左足の太腿も右へ倣(なら)えとばかり硬直を始めたようだ。 

 

ああ。またやってしまった。 

2回目にして毎度おなじみの足攣りである。 

結局、前回のフル初体験と同じ目にあっているのだ。 

一体なんなんだ。 

2年ぶりのフルも、このままペインフルな結果となってしまうのか。 

前半の多幸感は完全に消え失せた。 

あとに残るのは、言いしれぬ徒労感と無念ばかりである。 

それでも、この足を前に運ばなければ決して終わることができない、当たり前のように待ち受ける、すでに決定している前途の猛烈な苦しさ。 

やんぬるかな。もはや全てが恨めしく感じられる。 

 

Apple Watchのランニングアプリが「平均ペース5分01秒です」と。 

この先、今よりもペースを上げて走る力など脚には残っていない。 

この時点で、もはやサブ3.5の夢も完全に消えていった。 

ただ、すでに走ることへの希望を失い、やさぐれつつある重々しい意志と、もはや単なる荷物と化した上半身を乗せて、我が両足に最後までそれを運び切る力が残っているか否か、それだけが問題であった。 

 

と同時に、うかつにもApple Watchの充電が切れてしまった。 

こんな思いをして懸命に走っているレースの詳細が決して記録されることはないという、泣くしかない事態が失望に追い打ちをかける。 

え、キミ前回は最後まで持ったじゃん⁉ 

 

つまらないと言えばつまらないことではあるが、楽しかったこのレースの前半の詳細なスプリットも残らない。 

誇らしげなキロあたりのスピリットタイムが並ぶ様を見てニヤニヤする機会も失った。 

くだらないと言えばくだらないことではあるが、後で振り返って、ああここで足が攣ったんだよなあ、この後ここでやる気を取り戻して、タイム上げてるわ、おいらよくやったじゃん、などと自分を愛でる材料も、全く残ることはないのだ。 

 

そんな思いで絶望しかかった時、レースの神様か天使か悪魔か知らんけど、甘い声で囁き始める。 

 

「キミ、リタイヤしちゃいなよ」 

 

もう、やめちゃえば楽になれる。 

I shall be released. 

ここで、走るのをやめれば、この苦しみから解放される。 

今まで、よくやってきたじゃない。 

ここでやめたって誰も責めはしない。 

I shall return. 

マッカーサーだって一度撤退したよな。 

 

仕事だって、何度も辞めたいと思ったけれど、君は続けてきたじゃないか。 

良いんだよ、辞めたって。 

よくやった、人はきっと称賛してくれるさ。 

Take a lord off ,fanny! 

重い荷物を下ろして、楽になる、それの何が悪い? 

 

早くリタイヤして、しらす丼食べに行きなよ。 

 

しらすといえば、白洲次郎は吉田茂の部下だったよな。 

吉田茂の大別荘は大磯にあって、すでに火事で焼けてしまったけれど、しらすと関係あるのかな。 

ちなみに吉田茂は日本学園のOB。 

そういえば白洲次郎はマッカーサーを叱りつけたことがあったよな。 

 

なんか、妙に繋がってる? 

 

体が極限を迎えると、思考を司る脳も、どうでもいいこと、けれど何だか物事の本質に迫るようなこと(?)を考え始める。 

きっと、思考の強度を高めることで何とか両足の痛みを忘れたいのだろう。 

フルマラソン中の思念には、カオスとコスモスを共存させる可能性があるのかも知れない。 

いや知らんけど。 

(注3「カオス」・・・混沌(こんとん)  注4「コスモス」・・・秩序) 

 

とにかく、走る。 

やめたい、その思いの中で走り続ける。 

強い意志? 

いや、やめ方がわからないのだ。 

「走るのをやめます」と誰かに宣言すればいいのか? 

きっとそうだろう。沿道には何ヶ所も救護所が用意されている。 

そこに身を寄せて、一言「やめます」といえば救護してくれるのだろう。 

だが、それができない。 

それをしたくない、というよりは、本当にして良いのかわからない。 

あるいは、やめるという行為そのものに感じる恐怖。 

きっとそれは仕事なんかも同じなのだろう。 

 

それでももし本当にやめてしまったら、一体どうなってしまうのだろう。  

 

国道134号線、視線の向こうには、まだらに冠雪した霊峰富士の巨大な姿が。 

これって、正月の駅伝でよく見る感じの映像!とわずかばかり気持ちも上がりはしたが、茅ヶ崎を過ぎ、這う這うのていで相模川を超え、平塚へ。 

 

すでにスピードダウンした体には、師走の海風は冷たく感じる。 

思わず湘南乃風にタオルを投げたくなる。 

 

ここ平塚の海岸は、かつて海岸プールだった跡地の開発計画が持ち上がり、134号線の内側に住む住民の暮らしを海風から守り続けてきた樹林帯も伐採される内容だという。 

3年ほど前、平塚市議会議員の江口とも子さんに案内していただき、うちの生徒を連れて平塚の海外の清掃と樹林帯のスタディツアーに参加したことがある。 

 

廃墟となったプール跡地を過ぎると左手に樹林帯が現れる。 

夏、樹林帯の中では、蝉がうるさいほど鳴いていた。 

その樹林帯が防風林や砂防林となり、ランナーは海風をほとんど感じない。 

木立の切れ目では容赦なく風が襲いかかる。 

その樹林帯は確実に湘南国際マラソン30キロ地点で苦しい思いをしているランナーを海風の冷たさから守ってくれている。 

サステイナブルを標榜する湘南国際マラソンが、さらに持続的で人々や自然にとってウェル・ビーイングな大会であるためにも、樹林帯の伐採が行われないことを切に望む。 

 

「あとキロ」「あと◯︎キロ」。 

頭の中は残りの距離が減っていくことでいっぱいだ。 

私はカウンターになりたい。 

単なるカウンターになれればどんなに楽か。 

何とか残り10キロを切った時の喜び。 

いつも走っている多摩川の土手、あの10キロのコース、あと、あと、これを1回走れば、それでいいんだよ。 

初めて終わりが見えた気がする。 

コースの至る所で、私と同じように足を止めてストレッチをするランナーがいる。 

かといえば、疲れを感じさせない走りでスイスイと追い抜いていくランナーもいる。 

もはや給水は5キロごとなどと言っていられない。 

頻繁に給水所に足を止め、ひたすらクエン酸ドリンクの入ったジャグにすがりつく。ただただ疲労回復を図り続ける。 

そして、エイドのバナナ。 

ねっとりしたこの糖質で何とか燃料を補給し、さらにはミネラルが痙攣を起こしている筋肉組織に届いてくれることを祈る。 

 

コースは再び西湘バイパスへと。 

残りは7キロ。 

視界は開け、左に広がる水平線と雲一つない青空の中、ハイウェイのその先を目指す。 

気持ちは上がるかに思われたが、足が思うように前に進まない。 

強烈な向かい風が、わずかに残った両脚の推進力を削ぐ。 

海沿いの素晴らしい風景と引き換えに、風を遮ってくれるものなど視界に何ひとつない。 

最後にしてこの試練。 

ペースはさらに大きくダウンし、いきおい、歩くことも増える。 

歩くことはもはや避けられない。ならば歩いても必ず速歩きをするようにして風に対抗する。 

ほとんどのランナーが向かい風に難渋してペースを落としているようだ。 

 

この西湘バイパスを西へ向かい、大磯を通過して二宮まで行き折り返し、再び大磯に戻ってゴールなのだが、二宮での折り返しまで5キロの道のりの長いこと長いこと。 

走っても走っても(歩いても歩いても)、前方の折り返し地点が見えてこない。 

途中、反対車線ではすでに折り返したランナーたちが軽快にゴールへと向かって行く。 

すでに前へ推し出す力を失った脚を、むりくり前へ運ぶ。 

脳の指示がほとんど伝わらなくなった脚の筋肉を、どうにかこうにか動かしている感じである。 

苦渋に満ちた表情をしているのが、自分でもよく分かる。 

ここはフルマラソン地獄の3丁目。 

誰も他のランナーの苦悶に目を向けることもない。 

 

コースの端に、そこかしことスタッフと思しき方が立っている。 

スケッチブックだろう、ランナーを励ますために書いた言葉をそれぞれ手にしている。 

ありがたいことである。 

 

「結局、メンタル」 

 

この時ほどこの言葉が沁みたことはない。 

 

なんだかんだ言って、最後はメンタル、気持ちで最後まで走り切れ……という理解ではない。 

二度のレースで偉そうに、と思うかも知れないが、フルマラソンにとってフィジカルでなんとかできることは、スタート前に決着しているのかも知れない。 

私は、レース前に42キロを走っても攣ることのない脚を持った身体を作ることができなかったのだ。 

フィジカルでは、すでに失敗していたのだ。 

それでこうしてボロボロになった身体を乗せて懸命にメンタルだけで走っているのだ。 

くどくどとあれこれとつまらないことを考えながら。 

 

確かに「結局、メンタル」なのであった。 

ならば、最後までメンタルで走るのみ。 

入るはずのない力が入り、 

「うをーりゃー!」 

などと、何度も大きな声を上げながらコースをひたすら前へ小さな歩みを続ける。 

 

やっとの思いで、最後の折り返しに到達。 

40キロ。 

 

それにしても、なぜフルマラソンは42.195キロと中途半端な長さなのか。 

40キロと切りのいい長さでいいではないか。 

ここで終わりでいいではないか。 

きっと、この半端な2キロこそが、フルを走るランナーの正価を決める重要な「余分」なのだろう。 

フルマラソンの歴史開闢以来、この距離まで走ってきた数え切れないランナーたちが、この言いしれぬ理不尽さにきっと身悶えし、そしてこれからも悶え続けるのだろう。 

とはいえ、有料道路の途中で、車線を変えて折り返すちょっとした特権に一瞬だけ心は踊る。 

苦しめられた強い向かい風はここで終わり、残り2キロ。 

昨日の敵は今日の味方。当然ここからゴールまでは強い追い風となる。 

これが最後と決めた給水、最後のクエン酸を体内に取り入れて最後の旅に挑む。 

ここからはゴールまで死んでも歩かない。 

いや、死んだら歩けないし、ゴールには辿り着けない。 

 

追い風の力を借りて少しだけスピードを上げてみる。 

すると、すでに両脚の筋肉という筋肉のあちこちが次から次へと痙攣し始めた。 

とうとう右足の薬指まで攣り始め、自分の意志では元に戻すことは全くできない。 

痙攣を司る電気信号はコントロールを失い、両脚のそこかしこに流れ、まるでパチンコ台のフィーバー状態の電飾のようだ。 

なんじゃこりゃ!? 

これ本当に50年を超える年月をともにしてきた自分の脚なのか? 

そんな他人行儀な……いや、他人そのものになってしまった両脚を一歩、また一歩と前にねじ伏せて、とうとうラスト1キロ。 

 

コース近くでは、鹿の頭部の被りものを身につけた女性〜歳のころは私と同じくらいかしら〜が沿道の声援に「ありがと〜」などと応え、ゴールを前にしてにこやかに明るく軽快に走っている。 

すごいな、あの人。 

自分とのあまりの違いにあっけにとられる。 

スコーンと一本取られた感じだ。 

 

レースはまだ終わらない。 

今度は両脚外側のふくらはぎの痙攣からか、足首の関節が思うように曲がらなくなり、足先が地面につっかかって思わず転びそうになってしまう。 

ほとんど、生まれたての子馬のおぼつかない足取りのまま、恐ろしく長かった西湘バイパスを走り切り、42キロ到達。 

 

それにしても、なぜフルマラソンは42.195キロと中途半端な長さなのだろう? 

よんじゅうにいてんいちきゅうごきろ。 

なんだよ、「.195キロ」って。 

きっと、この半端な0.195キロこそがフルを走るランナーの正価を決める重要な「余分」なのだろうって、うるせえよ。 

ごちゃごちゃ言ってないで、黙って走れよ。 

ここまできたら最後まで。 

 

走りますよ! 

ところが、ゴールゲートが設置された大磯プリンスホテルの構内への道は、わずかではあるが上り坂になっているのだ。 

坂の下で多くのランナーが最後の最後で歩行を強いられている。 

誰だ、こんなコース考えたのは? 

誰かに相談したのか?相談! 

フラットな西湘バイパス上をゴールにして、華麗にラストスパートしてもらって終わろうよ、という意見はなかったのか? 

スパートなど、そんな力微塵も残っていないけれど。 

 

両腿に鞭打ち、上がらない足をなんとか上げてわずかな坂を登り切る。 

視界はゴールゲートをとらえる。 

あとは直線にして数十メートル。 

長かった、本当に長かった、辛かった本当に辛かった、苦しかった本当に苦しかった。 

 

Apple watchはすでに電源を喪失しているので、ゴールに設置された時計を見ると、スタートからなんとか4時間以内でゴールできたようだ。 

そんなことよりも、本当に終わった、あの辛さが本当に終わったことに安堵した、というのが偽りのない気持ちである。 

 

ゴール後、足を止めて放心していると、先ほどの鹿さんの被りものを身につけた女性が、そばのランナーに「ねえ、一緒に写真撮りません?」と声をかけている。さらには、私にも「ねえ、写真撮ってくれません?なんなら一緒に撮らない?」 

レースを走り終えた感慨など浮かぶ間もなく、声をかけられあっけに取られる。 

 

けれど、なんかすごく良いなあと思ってしまったのだ。 

走っている間、皆それぞれに色々な思いがあって、でも終わったら、お互いにお疲れってちゃんと言う。そのために一緒に写真を撮る。 

 

「いいですね、撮りましょう」 

ゴールしたその場で3人で、互いのゴールを讃えて写真撮影。 

 

「鹿の被りもの、目立ってましたよ。沿道の声援に応えまくってましたよね。最後まで余裕ありましたね」と私。 

鹿さん曰く、 

「私、タイムなんてどうでもいいの。楽しいのが一番」 

「見て、こんなにエイドでお菓子もらっちゃった 

ポケットはエイドで供給されるお菓子で溢れかえっている。 

 

言葉はもう十分である。 

「楽しいのが一番」 

だからこそ、15,000人ものランナーがエントリーするのだろう。 

記録などは、後からついてくるもの以外なにものでもない。 

 

一緒に撮った写真は、直後にLINE交換して共有してもらった。 

レース後、大会情報を共有したり、足攣り対策について情報をいただいたりしている。 

なんかそれも嬉しい。 

孤独なランナーで十分楽しんでいたのだが、偶然の出会いで「ラン友」ができた(ラン友〜書いてみて、ちょっと恥ずかしい)。 

だって、その時同じ時間にゴールしなかったらこうはならなかったのだから。 

 

レースは散々で、相当めげたけれど、レース後楽しいことがあって救われた。 

2度目のフル、湘南国際マラソンは辛く苦くも楽しい大会であった。 

翻って公式記録は3時間50分31秒。 

だけど、これは全くフルマラソンを「完走」したものではない気がする。 

 

足の痛みが消えたらまた走ります。 

最後まで楽しく走れることを目指して。 

 

 

 

マラソン同様、文章も迷走、あっち行ったりこっち行ったり、なんだか長く書いてしまいました。 

なお、日本学園事務室の古谷さんもこの日湘南国際マラソンに出場し、自己ベストを1時間以上縮めて、4時間数分で走ったそうです。同じ日本学園教職員ランニング部のメンバーとして、大会報告をしておきます(写真はレース後に一緒に撮ったもの)。 

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