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職員室リレートーク

「伊藤さん、教員は熱くないと」伊藤先生(中学部長・国語科/創発科)

投稿日2024/4/11

M先生が亡くなった。

 

その報を受けたのが4月4日。

定年退職して十数年、近年の体調不良を年賀状にて知ってはいたので、このような日が来るかもしれないという思いも微かにはあった。

しかし、報を聞いて一瞬にして頭は空っぽに、同時に言葉では言い尽くせない思いが、一気に胸を埋め尽くす。

 

私が日本学園で教員になってすでに30年。

私は多くの魅力ある先輩教員に恵まれた。

そして、すでに全員がこの学校を去った。

 

中でも、同じ国語科としてそばに身を置かせてもらったM先生は別格であった。

 

教員としてにっちもさっちも行かなかった頃、実に多くの教えを与えてくれた。

今となっては恥ずかし過ぎる、若かりし私の言動を、絶対に否定せずに聞いてくれた。

 

声を荒げるなどしない人だった。

生徒を「お前」なんて呼ばない人だった。

同僚を責めるなど絶対にしない人だった。

 

いつも生徒が先生を囲んでいた。

一見、およそ「情動」とは縁遠い人。

けれど、教育における不正義、働く場における不正義とは、静かに、徹して戦う人だった。

 

「伊藤さん、教育で大事なのは熱さだよ」

温和で冷静な人柄に、沸々たる情熱が脈動していた。

 

遅くまで学校で仕事をしている姿など見たことはない。

だけど、国語科で入試問題を作ったら、いつ作るんだって思うくらい、いつの間にか見事な問題案が出てくる。

 

とにかく色々な話をさせてもらった。

難しい言葉を使うこともなく、それでも話は深遠さに満ちていた。

私が知る限り、真に知的であるとはこういう人のことだと。

 

映画
古い映画でも今の映画の話でも、向ければ絶対に話を返してくれた。

 

音楽
教員になる前は音楽出版を生業としていたとのことで、ロックの話だってなんだって答えてくれた。

 

無類の読書家
本への愛情、途中でつまらないと思っても絶対に最後まで読む、という言葉が忘れられない。

 

小説
執筆した何編もの作品は素人のそれでは全くなく、そのふくよかな味わいにしみじみと胸を打たれた。

 


京都祇園で大晦日の夜をむかえる、いささか艶っぽい話もあなたは楽しそうにしてくれた。

 

食べ物
伊藤さんに世の中で一番うまいトンカツを食わせてあげるよ、という約束は結局果たされなかった。

 

野球
軟式野球部の顧問として、選手のすべての活躍を記録、整理しまとめて部員に示していた。自身でも草野球チームをもつほどの野球狂。

 

軟式野球部の合宿引率で、夜2時3時まで、布団に寝転びながらいつまでもあーでもないこーでもないと。

少々奇妙ではあるが、人生の中でも実に豊穣な時間であった。

 

あの日々は二度と帰らない。

 

定年退職した後、シュタイナー教育を実践する学校で再び教員を続けようとした際、採用のための模擬授業で、私の竹取物語の授業を参考に授業をやってみた、採用されたのは伊藤さんのおかげだよと。

 

慈愛と共感に満ちた言葉。

泣きたくなるほど嬉しかった。

 

何かあると、いつも相談していた。

絶対的な助言をしてくれるわけではない。

だけど、話を聞いてもらうだけで、相談事はほとんど解決した気持ちになっていた。

 

こういう人になりたい。

 

ロールモデルなどという言葉では尽くせない。

先生ならどうするんだろう。

先生ならどんな言葉で生徒と話すんだろう。

常にそうやって自分を確認する。

 

こういう人にはなれない。

今までもこれからも、私の中でずっと生き続ける。

 

けれども、どうしても渇望してしまうのだ。

 

もう一度、私はあなたと話がしたい。

どんなことでもいい。

ただただ話がしたい。

 

話を向けた時の、あのなんとも面白がってくれる感じ、その時の先生の表情や語気。

それらを思い浮かべると、懐かしさと寂しさの中に涙を滲ませずにいられない。

いや本当のことを言うと、慟哭してしまう。

 

感謝だって伝えることができずに、あなたは逝ってしまった。

 

伝えられない思いは。

 

それは他なる他者へ。

あなたが情熱を注いだ同じものへ向けるばかりである。

 

この四月に。

別れと出会いと。

M先生が退職された年に実施した教職員ソフトボール大会にて。終了後、先生を真ん中に撮影。

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