M先生が亡くなった。
その報を受けたのが4月4日。
定年退職して十数年、近年の体調不良を年賀状にて知ってはいたので、このような日が来るかもしれないという思いも微かにはあった。
しかし、報を聞いて一瞬にして頭は空っぽに、同時に言葉では言い尽くせない思いが、一気に胸を埋め尽くす。
私が日本学園で教員になってすでに30年。
私は多くの魅力ある先輩教員に恵まれた。
そして、すでに全員がこの学校を去った。
中でも、同じ国語科としてそばに身を置かせてもらったM先生は別格であった。
教員としてにっちもさっちも行かなかった頃、実に多くの教えを与えてくれた。
今となっては恥ずかし過ぎる、若かりし私の言動を、絶対に否定せずに聞いてくれた。
声を荒げるなどしない人だった。
生徒を「お前」なんて呼ばない人だった。
同僚を責めるなど絶対にしない人だった。
いつも生徒が先生を囲んでいた。
一見、およそ「情動」とは縁遠い人。
けれど、教育における不正義、働く場における不正義とは、静かに、徹して戦う人だった。
「伊藤さん、教育で大事なのは熱さだよ」
温和で冷静な人柄に、沸々たる情熱が脈動していた。
遅くまで学校で仕事をしている姿など見たことはない。
だけど、国語科で入試問題を作ったら、いつ作るんだって思うくらい、いつの間にか見事な問題案が出てくる。
とにかく色々な話をさせてもらった。
難しい言葉を使うこともなく、それでも話は深遠さに満ちていた。
私が知る限り、真に知的であるとはこういう人のことだと。
映画
古い映画でも今の映画の話でも、向ければ絶対に話を返してくれた。
音楽
教員になる前は音楽出版を生業としていたとのことで、ロックの話だってなんだって答えてくれた。
無類の読書家
本への愛情、途中でつまらないと思っても絶対に最後まで読む、という言葉が忘れられない。
小説
執筆した何編もの作品は素人のそれでは全くなく、そのふくよかな味わいにしみじみと胸を打たれた。
旅
京都祇園で大晦日の夜をむかえる、いささか艶っぽい話もあなたは楽しそうにしてくれた。
食べ物
伊藤さんに世の中で一番うまいトンカツを食わせてあげるよ、という約束は結局果たされなかった。
野球
軟式野球部の顧問として、選手のすべての活躍を記録、整理しまとめて部員に示していた。自身でも草野球チームをもつほどの野球狂。
軟式野球部の合宿引率で、夜2時3時まで、布団に寝転びながらいつまでもあーでもないこーでもないと。
少々奇妙ではあるが、人生の中でも実に豊穣な時間であった。
あの日々は二度と帰らない。
定年退職した後、シュタイナー教育を実践する学校で再び教員を続けようとした際、採用のための模擬授業で、私の竹取物語の授業を参考に授業をやってみた、採用されたのは伊藤さんのおかげだよと。
慈愛と共感に満ちた言葉。
泣きたくなるほど嬉しかった。
何かあると、いつも相談していた。
絶対的な助言をしてくれるわけではない。
だけど、話を聞いてもらうだけで、相談事はほとんど解決した気持ちになっていた。
こういう人になりたい。
ロールモデルなどという言葉では尽くせない。
先生ならどうするんだろう。
先生ならどんな言葉で生徒と話すんだろう。
常にそうやって自分を確認する。
こういう人にはなれない。
今までもこれからも、私の中でずっと生き続ける。
けれども、どうしても渇望してしまうのだ。
もう一度、私はあなたと話がしたい。
どんなことでもいい。
ただただ話がしたい。
話を向けた時の、あのなんとも面白がってくれる感じ、その時の先生の表情や語気。
それらを思い浮かべると、懐かしさと寂しさの中に涙を滲ませずにいられない。
いや本当のことを言うと、慟哭してしまう。
感謝だって伝えることができずに、あなたは逝ってしまった。
伝えられない思いは。
それは他なる他者へ。
あなたが情熱を注いだ同じものへ向けるばかりである。
この四月に。
別れと出会いと。
M先生が退職された年に実施した教職員ソフトボール大会にて。終了後、先生を真ん中に撮影。