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職員室リレートーク

「0-129の敗北から」添田先生(高2担任/国語科/料理・焼き菓子部 )

投稿日2024/7/11

3月の中学校卒業式。お招き頂きました謝恩会にて、「先生の中学時代は?」というテーマでお話させて頂く機会がありました。

この場をお借りして、保護者の皆さま素敵な謝恩会をありがとうございました。数日前にオーストラリア語学研修から帰国したばかりの中3生の写真が映し出される中、保護者の皆さまたちとお子様の3年間の成長ぶりについて歓談させて頂き心温まる会でした。これからまた3年間、どうぞよろしくお願いいたします。

〈中学校卒業の日、謝恩会〉

そのとき、ふいに向けられましたマイク、思いがけず、「先生は、バスケットボールに夢中な中学生でした」「バスケのことばかり考えていました」そんな言葉が、口をついて出ました。

記憶の糸をたぐり寄せながら、数十年ぶりに蘇った中学校時代でした。物語の続き、少しお話させて頂きますね。

中学校に入学したとき、漫画「SLAMDUNK」の流行りにのって、友人たちと、男バスしかなかったその中学校に「女子バスケットボール部」を立ち上げ、テニス経験しかないという担任に顧問になってくれるよう頼み込みました。30代、国語科、新婚Y先生。

5月の初公式戦、もちろん負けました。それも、0対129で。トラベリングの嵐、誰もレイアップすらまともにできないのですから。大会会場は失笑です。中体連地区予選、札幌市。歴史に名を刻む大敗です。相手チームは2軍・・・3軍・・・と出してきて、もう楽勝ゲーム、点の取り放題。顧問は穴があったら入りたいくらい恥ずかしいものでしょう。コールドゲームはないのですね、バスケットボール。

でも、試合を終えたあとY先生は言いました。「笑うなよ。誰に笑われても自分で自分を笑うなよ。自嘲は最も恥ずべきことだ」と。・・・ジチョウ?ああ、自嘲、か。文学オタクっぽいこと言うな、と小生意気な中学女子の私。でも結果として、その言葉はあれから30年間、私の心を離れません。

そしてY先生は、「めちゃくちゃ練習するぞ。2年後、絶対勝つぞ」とも言いました。バスケ素人のくせに(自分たちも)。文学オタクのくせに(先入観)。そのときの私は、そう思いました。それこそ、存分に自嘲しながら。

 

―それから2年半後、区で三位のチームへと成長しました。選手たちはというと、私は区代表のPGとして推して頂き札幌市選抜セレクションへ(落ちましたが)。チームメイトは見事通過し、札幌市選抜と、北海道選抜選手にまで(遠征先はロシアへも。さすが北海道)。

0-129の敗北でスタートした私たちはいつの間にかバスケにのめり込み、本当に猛練習したのでした。

それにしてもY先生は、どんな魔法を使ったのだろう。謝恩会の日から、時々ふと考えるようになりました。

 

私たちは決して、聞き分けのいい素直な女子中学生でもなかったのに。一番「自嘲」しがちな年代の女の子たちを、「バスケ」で見事に一つにさせた。

「もっともっと上手くなりたい」といつの間にか思わせて、「やりたいことを親や教師に文句言われないためには、やるべきこともきちんとやらないと」と思わせた。いつからか皆、勉強まで夢中でやるようになっていました。

私は足も遅いし、背も低いです。ジャンプ力もなく、ある公式戦で、「添田以外リバウンド入れぇ!」とY先生が叫んだときは、思わずベンチを振り返りました。・・・先生声大きいです。飛べないこと、敵にバレます。

2年半それらはたいして変わらなかったですし、それでも先生は、他校の顧問たちの目に留まる選手を何人も育てました。

先生は、バスケに関しては本当に素人でした。「集合しました」職員室に呼びに行くと、「バスケの基本」とか、「指導者の心得」とか。そんな類の本を真剣に読み耽っていたりしました。照れくさそうに、困ったようにそっと閉じて、席を立っていたことも思い出されます。

でも、一つだけY先生が群を抜いていたこと。あの頃は日常に散りばめられ過ぎて、気がつかなかったこと。曲がりなりにも同業者となった今は、はっきりとわかります。

Y先生は、「課題を見つけさせること」が非常に得意な先生でした。国語もバスケも、あの時代にはたぐいまれな、「あまり教えない」先生なのでした。

1か月も猛練習すれば、ドリブルは手につくようになり、数か月もすれば、1on1で抜けるようになってくる。得意になって攻めて得点する。ちょっと無理にでも攻める。外すときもあれば、決められるようにもなってくる。そんなときY先生は、選手を隣に呼んで聞くのです。

「添田、ドリブルとパスってどっちが速いと思う?」

「パスを学べ」と教えるのではなく、試合中唐突に「今はパスだろう!」と大声が飛んでくるのでもなく、です。

―ああ、そうか。PGはパスを覚えなきゃいけないんだ。練習だ。

課題と答えはいつも自分の中から湧き出すように、問いかけてもらっていたのでした。

練習の仕上げのゲーム中、ピッーとY先生のホイッスル。プレイしていた選手だけでなく、コートの外の1年生にまで振り返って、先生は必ず全員に問いかけるのです。

「今の3Pは打つべきじゃないな、入ったけど。なんでだと思う?」

みんな、脳裏の3秒前・・・、5秒前・・・、の記憶を頭の中で必死にリプレイし、考えます。

「オフェンスリバウンドが十分じゃなかったからです」

「リバウンドを取られていたらどうなってた?」

「そのまま速攻されていたらどうなってた?何人戻れていた?」

答えられない。ということは見てなかったんだ。見ておかなきゃ。今みたいなときだけじゃない、敵も味方も、逆サイドも、バックコートもだ。いつも広く、見ておかなくちゃ。

全員にそう思わせる、そんな指導者でした。自分の頭で考えさせる、そんな指導者でした。

そうして、選手たちの視野は広がり、一つひとつ課題を見つけてはクリアするための猛練習を繰り返していたのでした。

 

あれから数十年。

地元の友人からは時々、「子どもの担任、Y先生になったよ」「Y先生、今〇〇中のバスケ部顧問なんだって」と報告があったりしましたが、一番最近のお話では、北海道の中学校の校長先生をしていらっしゃるようです。

お会いして積もる話でも…なんて思いつつ、私も今は目の前にいる生徒たちの未来を一緒に見つめる毎日、きっとこれからも、そんな機会はなかなかないのでしょう。

でも「ゼロから創る楽しさ」を教えて頂いた私は、6年前、男子校に「料理・焼き菓子部」を創りました。有志中学生たった5名でスタートしたそれは今、中高50名ほどのクラブに成長し、にぎやかに楽しく活動しています。

「自嘲は最も恥ずべきことだよ」多感な時期にそう教えて頂いた私は、いくつになっても生徒の夢を決して笑わない先生でいたいと思うのです。どうしたら実現できるか。答えの押し付けではなく、日々問いかけたいと心から思うのです。

「気がついたら夢中で勉強していた」「自分に必要な学問が見えてきた」そんなふうに生徒を導き、自ら課題と答えを見つけさせることこそ、と考えるのは、あの頃の思い出の欠片なのかもしれません。

 

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