人はなぜ、時に自分に似合わない服を着たいと思ってしまうのでしょう。フリルやレースがたくさんついた服を着る、おばちゃんとか。度胸も器量も足りないのに社長になりたくて起業しちゃった、おじちゃんとか。なぜ?…
(1)似合っていないことに気付いていないから。
(2)似合っていないとわかっていても、好きだから。
(2)は、ある意味、無敵。似合っていないとわかっていても、着たいから着る。そこまで開き直れたら、自分の幸せ感はゆるぎない。(1)はどうだろう。似合ってないんだよね…見てるこちらがつらいんだよね…ってことを、周囲が本人に隠し通してくれたら、無敵。はだかの王様、かもしれないけれど。でも、はだかであることに気付かなければ、自分は幸せ。
で、一番つらいのは、似合ってないよって言われちゃって、それを否定するほど盲目にもなれなくて、でも好きなんだから何を言われようと関係ない!って開き直ることもできなくて、という状態。
…そのつらさから抜け出すには、じゃあ、どんな気持ちを持てばよい?
…(1)いつかは似合う自分になろうと努力を続けよう…うん、大事。自分に期待や希望を持つことは、自分自身を成長させる原動力になる。でも努力でなんとかなることもあれば、ならないこともあるなぁ。大きすぎる期待は、自分を苦しめることになる。努力でどうにもならなかったときは、どうすれば?
…(2)ベストじゃないがベターなものでよしとしよう。全身フリルは似合わないけれど、靴下はフリルにしよう。リーダーは似合わないけれど、サブリーダーならばうまくいくかもしれない。
“好き”と“似合う”は、違う。“やりたい”と“できる”も違う。大人になるにつれて、この違いに自分で立ち向かっていかなきゃならない。なかなか大変だけど、その先に「自分なりの幸せ」っていうのが転がっているように思う。
みんなが、自分の幸せを自分で作り出せる人になってくれたらなと思う。