2024年6月9日(日)
西武新宿駅-(西武新宿線・拝島線)-萩山駅・撮影-(西武拝島線)-小川駅・撮影-(西武国分寺線)-東村山駅-(西武園線)-西武園駅…多摩湖駅-(西武山口線)-西武球場前駅-(西武狭山線)-西所沢駅-(西武池袋線)-所沢駅・撮影・昼食-(西武新宿線)-本川越駅…川越市駅・撮影…時の鐘・見学…本川越駅-(西武新宿線・乗車したら特急小江戸)-高田馬場駅・西武新宿駅・流れ解散
今回の校外活動は、西武新宿線に乗り、多摩湖や川越を散策しました。まず、西武新宿線、拝島線を乗り継いで、萩山駅へ行きました。西武拝島線と多摩湖線の結節駅です。萩山駅で行き来する各車両を撮りました。
西武鉄道9000系9108F編成を撮りました。2020年に10両固定編成から4両固定編成に短縮され、多摩湖線の営業運転に投入された車両です。次に、小川駅へ行きました。小川駅は、西武拝島線と国分寺線の結節駅です。西武多摩湖線は、1968年に現在の形態になりました。小平駅 – 萩山駅は、多摩湖鉄道が旧・西武鉄道線への接続のために1928年に支線として開通した路線です。その後、多摩湖鉄道、武蔵野鉄道は旧・西武鉄道と合併し、村山貯水池への観光客輸送を目的として1958年に萩山駅を移設し、小平駅 – 萩山駅 – 多摩湖駅間の直通運転が始まりました。
小川駅 – 玉川上水駅間は北多摩郡大和村(現在の東大和市)にあった日立航空機立川工場への専用鉄道として開通した路線です。第二次世界大戦後に西武鉄道が取得し、1949年に上水線として開業しました。1962年に小川駅 – 萩山駅間が開通し、同時に小平駅 – 萩山駅も上水線に編入されました。小平駅 – 萩山駅 – 玉川上水駅間の直通運転、新宿線直通列車も設定されました。
国分寺線は、1894年に川越鉄道が敷設しました。西武鉄道で最も古い路線です。最初は国分寺駅 – 川越駅(現在の本川越駅)間が本線でした。川越鉄道は、もとは甲武鉄道(今のJR中央線)の子会社で、現在の国分寺駅を経由して、飯田町駅 – 川越駅間を走る列車もありました。1927年に東村山駅 – 高田馬場駅間(村山線、現在の西武新宿線)が開業すると国分寺駅 – 東村山駅間は分離され支線となりました。
次に、西武園線に乗り、西武園駅へ行き、多摩湖駅まで歩きました。多摩湖、狭山湖は、20年ほど前、日本学園が競歩大会を行っていた所です。多摩湖駅近くの堤防が競歩大会のゴールでした。多摩湖駅から西武鉄道山口線に乗りました。山口線は、1950年に開業した多摩湖ホテル前駅とユネスコ村駅を結ぶ「おとぎ線」を走る、「おとぎ電車」または「おとぎ列車」と呼ばれた遊戯施設で軌間762 mmの軽便鉄道でした。1952年に「おとぎ線」を地方鉄道に転換し「山口線」と改称しまし。当初は蓄電池機関車が牽引する列車でした。1972年に日本の鉄道100年を記念して蒸気機関車の運行を始めました。私も小学生の頃、この蒸気機関車が牽引する赤い「おとぎ列車」に乗りました。1984年、施設と車両の老朽化、多摩湖線から西武ライオンズ球場(現在のベルーナドーム)へのアクセスを改善するために、路線の改修工事が行われました。
1985年に、起終点駅が変更され、案内軌条式鉄道(AGT)として開業しました。西武球場前駅は、開業当初の駅名は村山公園駅でした。その後、村山貯水池際駅、村山駅、狭山湖駅と改称して、西武ライオンズ球場の開設前の1979年に現駅名になりました。ユネスコ村や狭山スキー場などのレジャー施設への輸送を担う駅でした。1978年に西武園球場をプロ野球公式試合が開催できる施設へ改装する工事がすすめられたので、当駅も西所沢方へ300m移設され、2面2線の駅から球場観客の輸送に備え3面6線の駅になりました。1985年には多摩湖線方面から西武ライオンズ球場へのアクセスを改善するために、山口線の終着駅となりました。
所沢駅で食事をしました。所沢駅は、西武鉄道池袋線と新宿線の結節駅です。2番線新宿線西武新宿方面と3番線池袋線池袋方面が隣り合うホームなので、朝の通勤時間帯の新宿線・池袋線の上り電車の乗り換えが便利です。
所沢駅を行き交う西武鉄道・東京メトロ・東急電鉄各電車を眺めながら昼食を食べた後、本川越駅へ行きました。江戸時代、川越は、新河岸川の舟運により、江戸とつながっていため繁栄しました。1893年に大火が起き、土蔵96棟が全焼、237棟が半焼しました。川越商人は、焼失から免れた建物の多くが蔵造りであることに着目しました。蔵造りが防火に有用であると考え、店蔵・袖蔵が増えました。特に、通りに面した店蔵は、江戸情緒を残した街並みになり、現在の川越が小江戸、蔵の町とよばれるようになりました。1895年に甲武鉄道の国分寺駅から分岐して川越まで、現在の西武鉄道新宿線と国分寺線の一部からなる川越鉄道が開通しました。1906年には川越電気鉄道(後の西武大宮線。現在は廃止)が路面電車として、川越の中心部に近い川越久保町と大宮駅間に開通しました。1914年には、池袋から川越街道に沿う東上鉄道、現在の東武東上線が開通しました。1940年には、鉄道省、後の国鉄、現在のJR東日本の路線として、大宮から川越、高麗川を結ぶ川越線が開通しました。川越線開業によって川越電気鉄道が廃線となりました。1927年には、東京へ進出するため村山線として高田馬場駅-東村山駅間が電化複線として開通しました。同時に川越線、東村山駅-川越駅間も電化させて、村山線と直通運転が開始され、現在の西武新宿線の路線が出来上がりました。川越は、鉄道が集中する埼玉県の一大拠点となりました。
川越は、江戸時代には親藩・譜代の川越藩の城下町として栄えた都市で、小江戸ともよばれます。城跡・神社・寺院・旧跡・歴史的建造物が多く、関東地方では鎌倉市、日光市に次いで文化財が多いです。歴史まちづくり法により、埼玉県内唯一、国から「歴史都市」に認定されています。戦災や震災を免れたため歴史的な街並が残り、市内の観光名所には年間約732万人もの観光客が訪れます。
今日も大変混み合っていました。早速、時の鐘に行きました。時の鐘は、1627~1634年に川越城主酒井忠勝が、多賀町(いまの幸町)の現在の場所に建てたものが最初といわれます。創建された江戸時代の初期から、時を告げてきた川越のシンボルです。現在の鐘楼は、1893年に起きた川越大火の翌年に再建されたものです。
部員達は、時の鐘近くにある「大学いも川越いわた」のお芋のソフトクリームにはまりました。その後、新河岸川を渡り、ヤオコー川越美術館を見学しました。
ヤオコー美術館は、スーパーマーケットチェーンストアのヤオコーが、2010年に同社の創業120周年の記念事業として、本社がある川越に2012年に開館しました。ヤオコーの社会貢献活動の一環です。
ヤオコー美術館は、川越の総鎮守で川越祭りを執り行なう氷川神社の北隣、新河岸川の桜並木に面しています。ヤオコー美術館の中には、カフェがあり、ピアノの演奏も聴けました。部員達は、絵画の感想を書きました。
ヤオコー美術館を見学した後、隣にある川越氷川神社に立ち寄りました。氷川神社は、室町時代後期に関東地方で活躍した武将である太田道灌以来、川越の総鎮守とされ、川越藩主ら歴代領主の篤い崇敬を受けました。氷川神社に古くから伝わる「境内の玉砂利を持ち帰り、大切にすると良縁に恵まれる」との言い伝えがあります。夏には境内に飾られた2000個以上の江戸風鈴に、願いを書いた短冊を結ぶ祭事である「縁むすび風鈴」が行われます。部員達は、氷川神社を散策しました。江戸風鈴を眺めました。境内地下に水脈があり、そこから汲み上げている御神水を見ましした。御神水は心身を清め、邪気を祓うものとされてきました。御神水から小川が流れていました。この小川に「人形(ひとがた)」とよばれる和紙を流して、心身の穢れを祓う「人形流し」が行われていました。最後に大鳥居の前で写真を撮りました。平成のご大典奉祝行事として建立された、高さ約15m、木製の鳥居としては日本一の大きさです。
氷川神社を散策した後、時の鐘の前、蔵づくりの街並みを歩き、西武新宿線の本川越駅へ行きました。本川越駅から、西武新宿線の座席指定特急、「小江戸」の乗り、帰りました。
「小江戸」は、1993年から製造された10000系電車New Red Arrow (NRA)という特急車両により運行されています。老朽化した特急車両5000系の置換え、また新宿線に新設される定期特急列車「小江戸」に使用することを目的に導入されました。部員達は、「小江戸」に乗り、西武新宿線からの景色を眺めながら、飲食をし、高田馬場駅、西武新宿駅で解散しました。