2024年12月16日(月)
羽田国際空港-(日本航空)-那覇空港-(琉球バス)-優美堂・昼食…ひめゆり平和祈念資料館-(琉球バス)-沖縄県立平和祈念公園・島守の塔・平和の礎・沖縄県営平和祈念資料館-(琉球バス)-アンティラガマ・師範健児の塔・ヌヌマチガマ・山城本部壕・糸数壕-(琉球バス)-ホテル・夕食・班長会議・消灯
本日は修学旅行1日目です。高2学年全体で沖縄へ行きました。最初の難関は朝の集合です。朝7時前に羽田空港第1ターミナル太陽の塔に集合です。日頃の学園生活で、時間をきちんと守っているかが試される時です。高2担任団は、いそいそと6時過ぎに集まりました。片津を飲んで生徒たちを待ちわびていると、6時30分頃時から生徒が集まりだし、全員揃って搭乗手続きが出来ました。ホッと一息ついて飛行機に乗って、富士山を眺めながら那覇空港へ向かいました。
琉球バスに乗り換え、ひめゆり平和祈念資料館の真ん前にある優美堂で昼食を食べました。昼食後、A~D組はひめゆり平和祈念資料館、沖縄県営平和祈念公園、E~H組は沖縄県営平和祈念公園、ひめゆり平和祈念公園の順に見学しました。生徒たちは、沖縄県営平和祈念公園で、摩文仁の丘、島守の塔、平和の礎、沖縄県平和祈念資料館で沖縄戦に関する資料を見学しました。ひめゆり平和祈念資料館では、様々な証言に関する資料や映像を観ました。最後に、クラスごとにそれぞれアンティラガマ・師範健児の塔・ヌヌマチガマ・山城本部壕・糸数壕を、ガイドさんの案内で見学しました。
ガマは大変過酷な環境で、出入りするのも一苦労で、73歳のガイドのお婆さんに生徒たちが付いて行けませんでした。ガイドさんより、「このガマの中に1000人もの負傷者を収容されたが、麻酔もなく、多くの方が亡くなりました。」と解説されました。生徒たちは、事前に沖縄戦についても学び、映画「島守の塔」を観ていたので、思うことがあったのか、いつもより神妙な態度でした。
ガイドさんより、「若いあなた方には、これからやってみたい事が沢山あるでしょう。戦争が起きている世の中は、やってみたい事が自由に出来ない世の中です。沖縄戦について学んで、『可哀想』と思うのだけではなく、これから平和な世界を築いていくことを考えなさい。」と伝えられました。
南部戦跡を見学した後、琉球バスに乗って、今日の宿泊地、リザンシーパークホテルを目指しました。バスガイドさんからは、沖縄について様々な事を解説されました。沖縄の「こんにちは」は、男なら「ハイサイ」、女なら「ハイタイ」。「ハイタイ、グスヨ。」でこんにちは、皆さん。那覇から見える慶良間諸島の渡嘉敷村にはハブがいるが、慶良間村にはケラマシカがいる。慶良間諸島近海にはザトウクジラが子育てに来る。沖縄本島中部の普天間や嘉手納には、様々な国籍の子供が小学校に通い、円もドルも使えるお店がある。色んな文化が交じり合ったチャンプルー文化が根付いている。国頭村、東村、大宜見村は、山原(やんばる)3村と言われ、世界自然遺産にも登録されている。沖縄本島の北部は酸性の赤い土が分布し、果物が栽培されている。パパイヤは、青いうちに収穫し、しりしり(細切り)にして食べる。沖縄本島の南部には、アルカリ性の赤土が分布している。沖縄の野菜と言えば、夏バテ対策のゴーヤ、ちゅらへちまなど。自動車道の中央分離帯に植えられている木は、琉球たこの木、アダンです。沖縄夾竹桃の実は、いかにも美味しそうに見えるけれど絶対に触ってはいけない。排気ガスには強いが有毒植物で、沖縄夾竹桃の実を触った手で目をこすると、目が痛みます。そんな話を聞いているうちに、ホテルに着きました。凄く立派な大きなホテルで、夕食は中華バイキング、暖かくふかふかのベットでゆっくり寝ました。
生徒たちが書き綴った16日の感想 一部
高2A組 オグ
今日見学した場所は3つあります。ひめゆりの資料館、平和の礎、ガマです。私が特に印象に残った場所はひめゆりの資料館です。ここに置いてある資料を見ると実際インターネットで調べるより詳細に、リアルに知ることができました。その資料の中に冊子が置いてあり内容が戦時中の実体験が記されていました。戦時中はこんな悲惨な出来事が起きているのかや、この時の気持ちなど詳細に知ることができ戦争はもう二度と起こしてはいけないことだと再認識しました。またガマに入ってみることでその時の人が見ていた景色を少し知ることができました。ガマの中で息を殺して何日も耐えることを想像したらとても私にはできることではないと感じました。
現在沖縄にはまだ不発弾が埋まっていて60年程経たないと完璧に撤去できないようです。またそのために住民が避難したりするのでたった3ヶ月の戦争で100年以上影響があるということを考えると戦争はその時だけの被害ではないのだと感じました。
高2A組 コバ
修学旅行1日目、私はいろいろなことを学びました。まず、最初に訪れたひめゆり平和記念資料館では、戦争の悲惨さをあらためて感じました。特に印象に残ったのはひめゆり学徒隊の顔写真や手記などで当時の戦争の状況を生々しく、そして鮮明に与えていてくれたのを覚えています。次に見学に行った平和祈念展示資料館では資料館に入る前に沖縄戦で戦死した人たちの名前が刻まれた礎をみてそのあまりにも多い犠牲者の数に息を呑みました。私たちは戦争の犠牲者の数をグラフや数字で知ることが多いですが、この平和祈念資料館では犠牲者一人一人の名前を刻むことによって、犠牲者の数を伝えやすくなっていて、私たちに沖縄戦が以下に凄惨な戦争だったのか改めて理解することができました。
高2B組 ワカ
今日の平和学習で印象に残ったことは戦争体験者が書いた日記を読んだことです。戦争の悲惨さがより心に沁みてつらい気持ちになりました。また、戦争被害者の体験談でも同じように悲しい気持ちになりました。そこで、もし沖縄の人が攻め込まれた時に集団で自殺するのではなく降伏を申し出ていたら沖縄の人の死者の数は減っていたのかなと思った。そして、戦争の悲惨さや体験を後世に語り継ぐために慰霊碑をみんなでお金を出し合って使っていて人の団結力を知れたと思う。ガマでは、普段使っていた食器の破片などが落ちていてリアルを体験できたということで良い経験になったと思った。
高2Ⅽ組 イワ
沖縄戦について事前学習をしてきていたが実際に行ってみると沖縄戦というものがとても残酷であったものなんだとわかりました。ひめゆりの塔では同い年くらいの女の人が手術の手伝いをしたり、介護をしたりと精神的にも肉体的にも辛い事をやっているということを知ってる心が痛みました。ガマでは小学生くらいの人が食べ物を探してそのガマに持ってきていると話を聞きました。実際に行ってみると断崖絶壁の場所に位置しており階段が整備してあるから簡単に行くことが出来たが海にも近く砲撃を喰らう可能性がある場所だったためとても大変な仕事だったんだと感じました。
高2Ⅽ組 トモ
私が、修学旅行1日目で最も印象に残った所は、『平和の礎』でした。理由として、事前学習で鑑賞した映画:『島守の塔』と、繋がる部分を多く見つける事ができたことだったり、資料館を回ったことで、沖縄戦の細かい内容まで理解することができたので、映画で見た時の島守の塔よりも、感じる物が大きく変わたのだと思います。また『黙想』に関しても、今までの柔道の授業で行っていた黙想とは、別の事を行っているかのように感じました。理由は明快ではありませんが、おそらくこれも資料館のおかげで、沖縄戦との向き合い方が、自分の中で変わったのだと思います。さらに、今日はガマにも見学しに行きました。私が予想していたガマとは大きく異なっていて、内心驚き続けながら、ガマの奥まで進みました。ガマからも、沖縄戦の歴史を感じ取ることができ、沖縄戦との向き合い方が変わりつつあることを実感しました。まだ修学旅行初日なので、残り4日間は体力を温存しながら、見学・民泊の際に相手に失礼のないよう過ごそうと思います。
高2D組 カネ
東京で話しを聞いたり、映像などを見たりした時とは全く感じ方が違く、戦跡などは現地に実際に行き肌で感じることでリアルに近い状態で学ぶことができると改めて理解することができた。ガマは映像で見ていた時よりとても暗くとても寒かった。当時のことを想像しながら話を聞いてると本当に過酷な日々を過ごしていたんだなと感じた。
高2E組 リュー
今日は平和の礎、沖縄県平和祈念資料館、ひめゆり平和祈念資料館、山城本部壕を見学した。平和の礎には日本人以外の人たちも石に名前が刻まれていたことと、沖縄出身の人と沖縄出身以外の人をメイン通路を境に分 印象に残った事。今日は、今まで知らなかったことが知ることができた。沖縄戦での状況を詳しく知ることができて、戦争の怖さを再確認した。
高2E組 ユート
平和の礎では、24万人という数が行くまであまり想像がつきませんでしたが、犠牲者の名前が国内から国外まで石碑に名前が刻まれているのを見て改めてとんでもない数の犠牲者が沖縄戦で出たのだという事が分かりました。
沖縄県平和祈念資料館、ひめゆり平和祈念資料館では、当時の痛々しい写真や文献が資料として残っていたり亡くなった人達の写真や名前が載っていたのですが、顔写真が残っていない犠牲者もいたりしてとても心が痛くなりました。
ガマの中は予想以上に狭く天候によって気温や中の状態が左右されてしまうという事が実際に中に入って分かって当時の人がどれだけ過酷な状況に置かれていたという事がとても理解出来て良かったです
高2F組 キ
今日の沖縄戦の戦跡の物を見て思ったこと、印象に残ったこと、感想は、今の自分たちの年齢のときにもう戦場に行かされるというのは、すごく悲しいことだなと思いました。今と昔でそもそも学校とかでの教え方が違うのに驚きました。昔から戦争で戦死したら国にとって素晴らしいこと、幸せなことという教え方を学校の先生から教えられるというのが悲しく、切ないなと思いました。変な教えを国からされていて、戦争に関われるのが嬉しいという洗脳のようなものを昔からされるのがそもそも今と昔で違うところでひどく、最悪で、ありえないことだと思いました。ガマにはいってみて、暗くて、あんなに危ないところで過ごすということを昔の人がしていてすごいなと思いました。
高2G組 タク
今日は沖縄初日でした。沖縄初日では戦争のことについてたくさん学べました。島守の歌で見た記念碑を見たり、ひめゆりの塔を見に行ったりガマを見に行きました。一番印象的だったのはガマでの体験です。まだ戦争時に残ったガソリンで焼かれた後や戦争時に死ぬ直前の人がいた場所などで電気を全て消し戦争時の本当の暗さなどを体験することができたからです。平和記念資料館では戦争時の写真がたくさんあり、子どもたちがたくさんなくなっているすがたを見てとても気分が悪くなりこんな戦争をもう二度とかしてはいけないと思うことができました。ひめゆりの塔では、女学生一人一人の情報や、その時の日記などが書かれてあり自分と同い年やそれ以下の人たちが戦争に関わっていたことにとてもショックを覚えました。
高2H組 ハル
今日は沖縄戦争資料館とひめゆりとガマに行きました。沖縄戦争資料館だと数々の沖縄戦で残されていた遺品やどうやって殺されてしまったのか、亡くなったのかをことごとく知りました。僕はたくさんの一般人も亡くなったと知った時心が痛くなりました。ひめゆりは生徒や教師全体の顔写真や書き残したことがありました。自ら戦争をしたいという人はいないし無理やり参加されられたと思います。だからすごい辛いと思うし怖いと思うのがとても感じられます。最後にガマはとても衝撃が強かったです。16.17の女生徒を中心に戦争で怪我した人のケアなどを泣きながらしていたとききました僕はすごく胸が締め付けられるような感じになりました。
高2H組 トーマ
今日は、沖縄であった戦争についてたくさん学びました。資料館で見た資料や写真、当時の人の日記などを見てとても心が苦しくなりました。ガマを見学して、とても暗くて居心地が悪いと感じました。そんな中で働いている女学生や治療を受ける兵隊の人など自分が当事者だったらと考えようとしても考えられないほど悲惨なことだと思いました。麻酔なしで怪我した部位を切断していたと聞いて当時の大変さがわかりました。夜ご飯のバイキングは種類がたくさんあってとても美味しかったです。くらげのなんちゃらを食べて美味しかったことが印象に残っています。戦争などということがこれから一生起こらず、平和に暮らしたいとより思うようになれた1日目でした。