2025年2月18日(火)
2024年12月16日(月)~20日(金)、高2学年は沖縄へ修学旅行に行きました。16日(月)には、ひめゆり平和祈念資料館、沖縄県立平和祈念公園、クラスごとにアンティラガマ・師範健児の塔・ヌヌマチガマ・山城本部壕・糸数壕などの南部戦跡を見学しました。17日(火)午前には、コース別研修として、リバートレッキング、マングローブ観察とカヌー体験、シーカヤックとビーチ探検、サバニとバナナボート体験、琉球グラスの絵付け体験、シュノーケリング、グラスボートの乗船と万座毛の散策に取り組ました。17日(火)午後は、5つのグループに分かれて、浦添市、沖縄市、読谷村、宜野座村、金武町へ出向き、米軍基地周辺を見学しながら、各市町村の取り組みにつて学びました。17日(火)の夜、沖縄の若者たちと米軍基地と沖縄の生活についてディスカッションをしました。18日(水)の午前は、沖縄海洋博公園、美ら海水族館を見学しました。18日(水)午後から20日(金)午前にかけて民泊です。大宜見村ビジターセンターにて入村式を行いました。生徒たちは、5~6名の班になり各家庭へ行きました。19日(木)は、沖縄本島の北部、国頭村、大宜見村、東村、名護市にて民泊をしました。沖縄の家庭で沖縄の日常を体験しました。20日(金)の朝、大宜見村ビジターセンターにて離村式を行い、那覇に向かいました。首里城公園を見学し、国際通りを散策しました。午後に飛行機に乗り、無事に東京に帰りました。
3学期が始まり、英語検定試験、漢字検定試験、河合塾模試を受け、いよいよ学年末試験が近づいてまいりました。毎年のことですが、修学旅行が終ってから、大学受験を経て、卒業式までの日々が、とても早く感じます。今日は修学旅行委員が、修学旅行のまとめをしました。修学旅行で集めた資料、現地で撮った写真、生徒たちが書き綴った感想文やレポートを整理して、模造紙に貼り付けました。今年の秋に開催される学園祭にて、沖縄修学旅行について展示ができればと考えています。が、学園祭の開催は9月の下旬です。その頃には、本学年の生徒たちは、高校3年生として、大学受験に向けて、入試問題演習にいそしんでいるはずなので…。今のうちに、沖縄修学旅行の資料を展示物としてまとめ、学園祭の時には展示会場の設営、学園祭日の案内、撤収のみで乗り切りたいと考えております。
高2A組 コバ 沖縄戦
沖縄修学旅行で沖縄戦について学び、その過酷さや深い悲しみ、戦争の悲惨さを初めて具体的に知ることができました。特に、ひめゆり平和記念資料館を訪れた際、戦争に巻き込まれた若い学生や県民の体験を知り、その惨状に言葉を失いました。彼らの写真や日記から戦時下の状況が生々しく伝わり、見る人全てに戦争の悲惨さを訴えかけるような気がしました。しかし、それらは戦争の悲惨さだけでなく、絶望の渦中においても、希望を求めて、もがき、奮闘する姿が伝わり、私たちにどんな状況下でも諦めない大切を教えてくれるような気もしました。また、沖縄平和祈念資料館を訪れ、展示内容を通して、平和の大切さを深く学びました。沖縄戦で命を落とした人々の写真や遺品、当時の生活を再現した展示があり、そのひとつひとつから戦争がもたらした残酷な現実が伝わってきました。修学旅行を通して、戦争の恐ろしさと平和の尊さを改めて実感しました。このことは、今後自分の人生において、大きな影響を与えると思います。
高2A組 タカ 民泊
民泊が修学旅行で一番興味関心を持てまた。民泊は、その地域で有名な場所や沖縄の伝統料理、ブレスレットづくりなど普段では経験できないことをたくさんすることができました。気づいたことは沖縄のテレビを見ると東京のことも少しやっていたけどほとんどが基地のことをニュースで報道していた。また建物をみると二階建ての家はあまりなく、低い建物が多かった。多分米軍の飛行機がたくさん飛んでいるから低くしているのだと思った。東京と比べると沖縄の人は地域の人たちととても仲が良かった。普通に友達の畑だからと言ってパイナップルを取ったりしていて驚いた。このように東京では経験できないことをたくさんすることができて良い思い出になりました。
高2A組 タナ 沖縄の米軍基地
沖縄の米軍基地に関する問題は、解決しないのかと気がかりでしたが、これまでの旅行で実は本物を見たことがありませんでした。今回の修学旅行は、それに特化した内容になっていたため、本格的に問題を考えるきっかけになりました。私は読谷のツアーで、米軍基地が住宅地と共存している様子を見ました。黙認耕作地と称して、沖縄の農家さんが基地を畑として借りていると聞き、ものすごく関係が悪いわけではないと知りました。何より、現地の方から意見を聞くことができたのは大きかったです。騒音や墜落の危険性は恐ろしく感じているが、基地で開かれるイベントは楽しんでいるとのことで、一概に肯定や否定をされているわけではないことが分かり、新たな視点を得ることができました。また、民泊をしている時にも、米軍基地の影響を感じる場面がありました。国頭村を歩いていたところ、オスプレイが2機飛んでいるのを3度見ました。読谷で基地のすぐ近くにいた時より音は小さかったですが、日常生活で気になるだろうな、と思いました。家で食事をとっていたら、テレビで米軍兵による性犯罪のニュースが放送されており、これを阻止しない限り、沖縄の方々の怒りは収まらないのだろうと思いました。米軍基地は日本各地にありますが、沖縄には特に集中しており、そのことが難問を生んでいるので、均等に県外や国外へ分散できたらいいのに、と考えます。また、米国で廃止されたオスプレイは、日本でも使わない方がいいのかな、と思います。事故を防ぐためには、緩衝緑地を設けるといいと思います。
高2B組 マツ
修学旅行で沖縄に行って、一番興味関心を持ったのは、沖縄の歴史と文化です。特に、戦争の歴史やその影響について学び、実際に平和祈念公園や沖縄戦跡を訪れたことで、沖縄が経験した厳しい歴史に対する理解が深まりました。
沖縄戦跡では、戦争の残酷さや多くの命が失われたことを感じ、戦争がもたらす悲劇的な影響に心を痛めました。実際に現地に足を運んでみると、教科書で学んだことがより具体的に感じられ、目に見える形でその歴史を体験できたことが印象に残りました。
また、沖縄独自の文化や風習にも興味を持ちました。特に、伝統的な音楽や踊り、そして地元の食文化に触れ、沖縄の人々が大切にしている文化を尊重する姿勢に感銘を受けました。
沖縄の自然も非常に魅力的でした。美しい海や豊かな自然環境は、沖縄ならではの魅力であり、自然との調和を大切にしている地域の人々の生活態度に共感を覚えました。
この旅行を通じて、沖縄の歴史、文化、自然に触れ、平和の大切さや多様性の尊重の重要性について改めて考えさせられました。これからの自分にとって、大切な教訓となる経験だったと思います。
沖縄修学旅行で最も興味関心を持ったことは、沖縄戦の歴史とその影響でした。沖縄戦は、日本本土と比べて多くの命が失われ、沖縄の人々にとって深い傷跡を残した戦争でした。平和祈念公園や沖縄戦跡を訪れることで、戦争の悲惨さやその後の沖縄の人々の苦悩を、教科書やテレビで見る以上に深く実感することができました。
特に印象的だったのは、平和祈念公園内の「沖縄戦の歴史資料館」で見た数々の展示物でした。そこには戦争によって破壊された街並みや、家族を失った人々の手紙、兵士たちが使った道具などが展示されており、これらを目の当たりにすることで戦争が人々の生活にどれほど多大な影響を与えたのかを実感しました。また、沖縄戦の戦跡や慰霊碑を訪れる中で、ただ過去の出来事を知るだけでなく、現在の沖縄の人々がどれほど戦争の悲劇を忘れずに次世代に伝えているのかということにも気づきました。沖縄戦の記憶が今も生き続けていることに、強い感動を覚えました。
また、沖縄の自然や文化にも大きな関心を持ちました。沖縄の海はとても美しく、澄んだ水と白い砂浜が広がっていました。その美しさに感動する一方で、自然環境の保護の大切さを改めて感じました。沖縄の人々は自然を大切にし、持続可能な観光や地域づくりを進めていることを知り、私たちも地元の自然環境を守る責任があることを痛感しました。
沖縄の伝統文化も、修学旅行を通じて深く学びました。特に伝統的な音楽や舞踊、工芸品に触れることができ、沖縄の人々が大切にしてきた歴史や精神を感じることができました。沖縄独自の文化が、厳しい歴史を経て今も息づいていることに感銘を受けました。例えば、エイサー踊りを見たとき、そこには沖縄の人々の強い精神力と、何百年も続く伝統を守り抜く姿勢を感じました。
この修学旅行を通じて、私自身は沖縄の過去と現在、そして未来に対する考え方が変わりました。沖縄戦で多くの命が失われたことを知り、戦争の悲惨さを深く理解しました。そして、沖縄の人々がその苦しみを乗り越え、今なお平和を祈る姿勢に感銘を受けました。沖縄の美しい自然や文化を守るために、私たち一人ひとりができることがあると感じ、これからの生活に生かしていきたいと思いました。
沖縄を訪れたことは、単なる旅行ではなく、歴史や文化を学び、平和の大切さを再確認する貴重な経験でした。私たちの世代が沖縄戦の教訓を忘れず、平和を守り続けるためには、どうすれば良いのか、これからも考えていかなければならないと強く感じています。
高2C組 トモ 平和の礎を見た上での沖縄
私が、最も興味・関心を持った場所は、『平和の礎』です。私たちが、沖縄へ修学旅行する前に事前学習として鑑賞した、『島守の塔』。そこには、終盤に平和の礎が映りました。その時の私は、平和の礎が何を象徴しているのか、何の意味があり作られたのか分かりませんでした。その上、当時はその建造物に興味がなかったのです。でも、修学旅行を終え、平和の礎が沖縄戦で亡くなった人々が、眠っている場所だと理解した今では、過去の自分を思いっきり殴ってやりたいくらいです。修学旅行の時のガイドさんは、たくさんの笑顔で案内してくださりましたが、過去にあれだけの悲惨な出来事があるとすれば、笑顔を維持するだけで精一杯なはずです。我々日本人が今、安全に海外との輸入・輸出を行えているのは、沖縄のおかげです。いかに、平和の礎が偉大な存在なのか、私たち日本人はしっかり理解するべきだと思いました。それだけではありません。沖縄弁の一つ、イチャリバチョーデーが、平和の礎と深い関係性を持っていることも理解できました。イチャリバチョーデーとは、『一度出会えば、兄弟関係』という意味です。このような意識があるからこそ、沖縄は平和に毎日過ごせている。実に、素敵な沖縄弁だと感じました。また、平和の礎には沢山の墓が設備されていました。それにより、過去の重みもしっかりと感じる事ができました。これ以上、墓が増えないためにも、イチャリバチョーデーをしっかり意識すべきだと、私は考えました。大人になったら、もう一度沖縄へ行き、しっかりと過去と向き合うとも思っています。イチャリバチョーデー。しっかりと心に刻みます。
高2Ⅾ組 リョー 沖縄の人の優しさ
修学旅行を振り返って学んだことは、沖縄の人は心が広い人や笑顔の絶えない人、優しさで溢れている場所だということ。そう感じることができたのは、現地の人とのディスカッションや民泊のお父さんお母さんとの交流で、ディスカッションで交流した大学生の方は優しく話しやすかった方で、話を聞けば、初対面の地元の人ともすぐに仲良くなれたという話や、交流している時も常に耳を傾けてくれて、会話に馴染めたというのが印象的です。民泊では特にお父さんとの行動をする時間が多かったのですが、その中でもお父さんは、いつでも笑顔が絶えない人で、毎回会話をする時は笑顔で話してくれて、自分たちにもノリよく接してくれる優しい方で、ドライブ中などのお父さんとの会話は純粋に楽しかったです。お母さんと交流することは多くなかったですが、料理のことについて話してくださる時であったり、時々何か手伝うときなど常に優しく接してくださり、とても過ごしやすい民泊での3日間だったなと思います。修学旅行が始まる前は民泊に対して正直あまり良いイメージを持っていなかったのですが、振り返れば本当にいい人柄のお父さんお母さんの元で過ごした民泊が、修学旅行の中で一番思い出深いです。今回の修学旅行での現地の人との交流は、沖縄のこと、人についてより知れる機会になり、また行きたいと思えるきっかけになりました。
高2Ⅾ組 シーサー 沖縄について
関心を持ったのは、沖縄戦についてです。実際に見たことは、沖縄戦の道具や当時の様子、戦後の証言者です。当時の着ていた服や日用品です。また、亡くなっている人の写真を見ました。医療器具や水筒、不発弾も見ました。平和の礎では、国藉関係なく多くの人が亡くなっているのを見ました。中には、米軍以外の外国の人もいました。気づいたことは、戦争の原因は、上級階級の人が関係していることと兵器が使われていることです。さらに、国全体が国民を先導することです。沖縄県平和祈念資料館では、近代化を急ぐ日本は、沖縄戦以外にも満州事変、日中戦争、アジア・太平洋戦争を起こしています。一方琉球政府では、武力を背景にした「琉球処分」を進めたからです。沖縄県では現地の人を戦時動員体制にすることにより急速に日本化を急進させたからです。満州事変から、凶器を使用しています。銃や戦車、ミサイルが使われました。手榴弾、黄リン弾などの毒を使ったものや自決ようにあるものも含まれています。自身が考えたことは、今の日本は、とても平和だと思いました。犯罪があまり起きず、無差別テロがあまり起きていないからです。沖縄戦以降は、日本は戦争にないです。ですが、武力は、持っています。戦争に巻き込まれる不安がありながらも日常を暮らしていきます。今起きている戦争では、自分は、無力なので平和を祈り続けます。
高2Ⅾ組 ユート めんそーれ,沖縄
今回,自分が沖縄に行ってみていろんなことを経験することができた。まず初めに自分が感じたことは戦争のことをあえて残すとこで後世に語り継ごうとする意思を感じ取れました。例えば、一日目に行ったガマやひめゆり平和祈念資料館でガマは戦時中に使っていたビンやかまどを残すことで過酷さを知ることができたし、ひめゆり平和祈念資料館は実際の写真や動画で過酷さを教えてくれたり,また資料館の外にたくさんの死んだ人の名簿がずらりと並んでいて戦争で亡くなった人たちへの敬意をも知ることができました。次に自分が感じたことは沖縄の文化について学ぶことができました。食文化については民泊で実際作ってみたり、食べてみたりすることで東京と沖縄の味付けの違いを学んだり栄養バランス良く食べられるように工夫していることも学ぶことができました。また言語の使い方の違いも学ぶことができました。東京ではあいさつで「こんにちは」を使うけれど沖縄では「はいさい」を使うことを知り同じ日本でもこんなに違いがあるのだなと驚きました。
高2E組 コバ 沖縄の食文化
私は食文化を最も興味関心を持った理由として、私は食べることが好きだからだ。そこで私は沖縄の郷土料理を食べた。また、民泊の際に作り方をもしえてもらった。例えば、沖縄そばや人参しりしり、イナムドゥチなどの作り方を教えてくれた。また、沖縄のデザートとしてサターアンダギーやシークァーサージュースなどの作り方も伝授してもらった。他にも、アメリカから伝わったものとして、ブルーシールやA&W、Jimmyなどのチェーン店があった。そして、私は実際に沖縄に行き、気付いた事として沖縄に行く前までは沖縄料理は濃い味付けがされていると思っていたが実際沖縄修学旅行を通して、濃い味付けがされている料理がなく、むしろサッパリしていて、食べやすかったと感じた。
高2E組 ナカ 実際に宿泊してみて
実際に宿泊してみて気づいたことは考えていたよりも米軍基地の影響が多いことです。基地に近くでなくとも戦闘機が訓練で飛ぶこともあるため騒音が気になった。沖縄に住む大学生の話だと基地があることによって他国から守られている点もあるらしい。その大学生は基地には賛成だが基地の面積を少し減らして欲しいとのことだった。移動の際にかなり基地が邪魔になるらしい。他に気がついたことは道が渋滞しやすいといということ。ガイドさんも民泊先に人も言っていたが沖縄には電車がないため長い距離を移動するとなると車という選択肢しかないためらしい。交通関係では他にも郊外に街灯がほとんどないということ。車で山の上に登って夜景を見に行く際に街灯がほとんどなく車のライトがあるとはいえ少々怖かった。その暗闇の中をお祖父さんが1人で散歩していたことにはもっと驚いた。
高2F組 ハレ 沖縄の歴史に触れて
私が一番興味関心を持ったことは、沖縄で起きた戦争についてです。正直、私は戦争のことについてあまり興味がなかったし、それほど現実味がありませんでした。しかし戦争で使われていた、ガマや資料などを実際に訪れ、感じてみてみることによって、実際に戦争がここで起きていたんだと深く実感できました。特に私の心に残っていることは私と同じくらいの年齢の人たちが、戦争に行くように教育されていたことです。今の時代ではあり得ないことが起きていたんだと深く心に刻まれました。他にも沖縄にある米軍基地の問題など、戦争の延長線で起きてしまった問題など、実際にその場に訪れたり、現地の人の意見を聞くことによって、その問題をより深く考えられました。
高2F組 イワ 沖縄を知る
今回沖縄県での修学旅行で特に沖縄県に住む人々の暮らし方に関心をもてました特に沖縄の人は海は入って楽しむものではなく見て砂浜で楽しく食事などを楽しむものということは今回初めて知れました。他にも沖縄ではお墓は恐ろしい場所ではなくご先祖と共に楽しむ場所という東京じゃ考えられない自分にはない感性でした。今回修学旅行で沖縄県の文化、歴史など全ての事を知れました。次回沖縄へ行った際は今回訪れた経験を生かして何倍も沖縄を楽しみたいと思っています。
高2H組 ショー おきなわ
実際に沖縄に行ってみて、東京都は全く違った環境や景色文化などがありました。1日目には、戦争に関してのことを体験しました。平和記念館に行ったり、鎌の洞窟に入ったりしました。ガマの洞窟はとても暗く、現地の人の感覚を味わい召した。そこで改めて戦争は残酷だなと感じました。2日目には、実際に米軍基地の近くに行きました。そこにはかず多くの戦闘機がありとても迫力がありました。3日目には、美ら海水族館に行きました。とても綺麗でした。4日目からの2日間は民泊の体験をしました。沖縄に住んでいる人の手伝いをしたり、一緒に遊んだりしました。また、ご飯がとても美味しかったです。沖縄そばとサーターアンダーギーがいちばん美味しかったです。5日目は、畑仕事をしました。やってみてとても大変でキツかったです。沖縄は、とても暖かくて海も綺麗で自然が豊かでとても素敵な場所だとおもった。将来、また沖縄に行ける機会があるとしたら、もっと詳しく体験をしてみたい。
高2H組 キリ はいさい沖縄
沖縄に行ったのは初めてでもっと三角屋根の家やシーサーが多いと思ったけど、意外と栄えてるところはビルや四角い建物がおおくて、びっくりしました。自分が行ったホテルは、ベランダから海が少し見えて夕日が綺麗でご飯は朝も夜もバイキングで、自分が好きなものを沢山とったり食べられたりしかもマンゴージュースが出たり全てとても美味しかったです。ホテルは近くが海だったり、イルミネーションだったり、ゲーセンがあったりコンビニがあったり、充実していました。2日目、コース別で自分はシュノーケリングで海に行って、魚たちに餌を上げました。シュノーケルは口呼吸なので普段あまりしなく鼻呼吸なので呼吸が難しくストローの口のところに海水が入ったり、鼻呼吸になってメガネのところに海水が入ったり大変でした。ねでも海はとても綺麗で心も清らかになりました。3日目からは民泊になってホテルを離れ民家に泊まることになりました。自分は、東村というところに泊まることになり、周りには木や小・中学校しかなくシーンとしていました。家の前の芝生のところにはバスケットゴールがあり、民家に行って早々みんなでバスケをしました。民泊の人はおじいちゃんとおばあちゃんであちらからも自分家のように過ごしてと言われて伸び伸び過ごしました。ご飯も美味しいのもあったのですが、自分は好き嫌いがおおく、頑張って食べました。民泊を離れるのは悲しかったけどいい思い出ができました。機会があればまた沖縄に行きたいです。