創発学担当 国語科 伊藤悟史
この1ヶ月半、オンライン英会話にはまっている。とにかく楽しい。ほぼ毎日30分、海外の人と話すのだ。英語の上達が目的ではあるが、オンライン英会話が面白いのは、世界中の人と話すことが可能であるということだ。
英語を話せると、いわゆるネイティブの人と話すだけでなく、英語が母国語でない国の人々、多くは行ったことも話したこともない国の人々と話すことができる。
このひと月半で私が会話した人々は、フィリピン・セルビア・ザンビア・ハイチ・キリギス・パナマ・マラウイ・エジプト・北マケドニア・モロッコ・モンテネグロ・アルゼンチン・ジンバブエ・ブラジル・ジャマイカ・ネパール・インドネシア・インド・ボスニア・ヘルツェゴビナと19カ国に渡る。
フィリピン・ブラジル・インドなど、日本でも接することが多い国の人々以外は、一生の間に会うことなど考えなかったような国の人たちと言ってもいいかもしれない。
セルビアの若者との会話では、私が国語の教員をしていることを話すと、彼は日本の著名な小説家の名前を次から次へと挙げ始めた。夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、村上春樹、桐野夏生、東野圭吾・・・。おいおい、自分はセルビア人の小説家なんて誰も知らんがな。
モンテネグロの男性には好きな映画について質問され、「ゴッドファーザーだ。特にPART1の最初の30分、マーロン・ブランドの演技が最高だ」などとちょっとかっこつけて答えると、彼は「この映画を見たことがあるか」と、マーロン・ブランドの凄さ、見るべき映画について私以上に饒舌に話し始めた。
エジプトの23歳の若者はサイコパスな映画が大好き。デビッド・フィンチャーの映画やケビン・スペイシーの演技について大いに盛り上がる。彼は若者らしく「Cool!」を連発する。
パナマの50代後半の男性との話では、「あなたのキャリアについて教えてほしい」と言うと、今ひとつ伝わらず、パナマの国の歴史についてひとしきりレクチャーが始まった。彼は祖国の独立までの経緯について熱をこめて話す。
中央アジアのキリギス(キリギスタン)の大学生の女性とは、キリギスの気候や観光について話した後、将来の夢について尋ねると、彼女はこのまま大学に残って教員になりたいと言う。
ザンビアの大学で学ぶ女性は、有名なビクトリアの滝の魅力について話してくれる最中で、回線が数分乱れた後、「あなたの国で一番深刻な問題は何か」と私が尋ねると、「職がないことだ」という。ザンビアの主な産業は鉱山(銅)と農業で、「コロナ禍の中、オンライン英会話のチューターは手っ取り早い賃金稼ぎなのだ」と。
マラウイの若者は、私が東京の中心から電車で1時間の所に住んでいるというと、「電車で1時間なんて考えられない。私たちは乗り合いのバス(トヨタのハイエース)で首都の中心まで30分だ」と言う。
ジャマイカの60歳の女性は、原色が映える服に身を包み、ものすごくゆっくり話す英語を駆使し、私がつたない英語で何を言っても、満面の笑みで「グッド!」「グッド!」を繰り返す。
That’s the world.これが世界だ。
ネットでつながった画面の向こうに、見ず知らずの国の見ず知らずの人がそこに確実にいて、そして会話をする。そして、それらの人には私たちと同じように好きな映画や小説などがあり、それについての知識を持ち合わせている。たとえ同じ国の人であっても、英語のスキルも違えば、話し方も「乗り」も、ユーモアのセンスも感性も全く違う個人・個性がそこに存在している。そして、若者のみならず、尋ねるとそれぞれの将来の夢や希望を口にする。
世界地図の中で「名前」くらしいしか聞いたことのない国、まず自分が旅行先にとして選ばないであろう国に、私たちと同じように生活している人がいる。当たり前のことなのだが、その事実そのものが何だか驚きなのだ。
このコロナ禍の中、確かに嫌なことが増えた。社会や周囲の状況に多くの人が幻滅している。いらだちをすぐに人に向ける人も増えた。それは無理もないし、時に私も嫌になることはある。
しかし、この社会の向こうには「知らない」社会があって、実は「知らない」とは思い違いであって、ほんの少し手を伸ばせば、チャンネルを合わせれば、互いを知るチャンスがいくらでもあるのだ。この閉塞した状況もほんの少し手を伸ばすことでいくらでも解消できる。そして、それはたとえ同じ社会に身を置いていても同じなのかも知れないことに思い至る。
素敵な時代である。そこに大いなる希望を感じる。
コロナ禍の先に、果たして私たちは自由に世界へ身を置くことは可能になるのか。全く未知数ではあるし、その可能性は以前より低いと言わざるを得ないだろう。しかし、私のマインドはすでに「ボーダー」を越えた。コロナの先へ。それは今すでに始まっているのだ。