天気予報では午後から降雪の予報。都心でも積雪?と言われた弥生3月、門出の日。にちがく勢だけでなく我々教師にとっても今日の「ハレ」の日は特別な日(さむ~い曇天ながら)。
卒業に際し、今、何を思う?恐らく感慨に耽っているのは見送る側だけで彼等の目には未来しか映ってないはず。きっと「嗚呼、高校3年間は・・・」と懐かしむのはもっと遠い先のことだろう?
東京都1位、全国大会出場という決してぶれることのない目標に向かってバスケを続けてきたにちがく勢よ、今でも「バスケはお好きですか?」という問いに、今、どう答える?
私がバスケを始めたのは中学1年の真ん中頃。文化部に籍だけ置いて幽霊部員だった私は顧問の先生に誘われるまま借り入部。全くの初心者だったので体育館の隅っこで1人でボールと戯れていた。面白くもなんともなかったが居場所と仲間ができたことで毎日に励みが生まれた。そこそこ強かったその中学校。反して私の技術はたいして向上しなかった。でも練習後の部室でのおしゃべりや下校中の買い食いは楽しかった。
高校も迷うことなくバスケ部に入部。毎日練習に明け暮れた。練習後は皆で海に行くのがお決まりのコース。時間は私たちのためだけに流れているようだった。弱いチームだったけど居心地は良かった。今が楽しければそれ以上何も望まず。将来のことなんて考えたこともなかった(と思う)。
馬鹿が「教師になる!」「教師になったらバスケ部!」と夢を抱いた20歳。それから幾歳月、月日は流れ今に至る。
にちがくのバスケに出会って早10年余。目標貫徹のための徹底ぶりや勝つことへの執念などこれまで見たことのない世界はマイ・レボリューションでしかなかった。私がプレーするわけではないのだが、手に汗握るとか負けて何日も憂鬱な気分を味わうなんて経験したことがない。
それだけ高校生に、にちがく勢に魅せられたといえよう。
音に聞いたこの代。
ふとしたきっかけでめきめきと頭角を現した選手がいた。
いぶし銀の働きをする選手がいた。
恵まれた体を活かしゴール下を脅かした選手。
吠え、自身を鼓舞した選手。
常時冷静沈着な左腕のシューター。
支部大会優勝と4強入りにチームを牽引した選手。
縁の下の力持ちとして陰日向に咲いた選手。
・・・。
もう少し、君たちのプレーを見ていたかった・・・。
春は走馬灯のように記憶が浮かんでは消える季節。卒業式はセンチメンタルな気分に塞ぎ込む瞬間。だから自然と口数が少なくなる。笑顔で見送ってあげるのが最後の責任だと思うが私には・・・。
蛇足になるが卒業式の退場に際し、懐かしい歌が流れた。桑田佳祐の「あした晴れるかな」だった。小田和正の「ラブストーリーは突然に」とかチャゲ&飛鳥の「SAY YES」だったらゾクッとするのだが桑田のはじんわりと染み込むような感じ。
♬「在りし日の己れを愛するために
想い出は美しくあるのさ
遠い過去よりまだ見ぬ人生は
夢ひとつ叶えるためにある」♪
体、仲間、大事にしろよ、じゃ、またな。
にちがくの自称応援団長でした。