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高校修学旅行 高2

「沖縄修学旅行へ向けて映画を鑑賞しました」鈴木賢先生(高2学年主任・社会科)

投稿日2024/12/16

 高2学年は、12月に沖縄へ修学旅行に行きます。修学旅行へ向けて、沖縄の自然、地理、沖縄のことば、琉球王国の歴史と史跡について学びました。最後に、沖縄戦と沖縄本島にある戦跡について、生徒たちと資料を読み合わせました。沖縄戦と戦跡について、資料のまとめとして、期末試験最終日の午後に映画「島守の塔」を鑑賞しました。
 「島守の塔」は、沖縄県最後の官選知事である島田叡と元沖縄県警警察部長の荒井退造を中心に、沖縄戦の状況を描いたものです。生徒たちは、映画を真剣に見入っていました。此度の映画鑑賞が、生徒たちがより深い視点を持って沖縄修学旅行に取り組むきっかけになってくれれば何よりです。

 

 高2学年の生徒が書き綴った「島守の塔」感想文の一部です。

 

・島守の塔の市長として沖縄に送られた島田さんが気になり調べてみました。島田さんが沖縄の市長じゃなかったら被害がさらに大きくなっていたそうです。島田さんは映画の中盤に台湾に行ってくると言っていました。ですが何をするかは言っていなくて調べたら約3000石(450トン)の米を確保していました。この米のおかげで餓死者が減ったと言われています。また疎開の促進をして九州や台湾などに約8万人を疎開させました。他にも戦争中に米軍に見つかって捕虜になっても乱暴されないから安心しなさいなど、戦争中も積極的に生き残る術を伝えていたらしいです。この時いろいろなガマに訪問し、「あなたたちは生き残らなければいけない。生き残って沖縄の復興や伝統を守りなさいと伝えていました。」また沖縄語で命どぅ宝(命こそ宝)という言葉をたくさんの人に伝えていました。このような島田さんの行動によって戦争の被害が抑えられました。米軍の上陸から二ヶ月がたった6月に今の糸満に位置する轟の壕と呼ばれるガマにいた島田さんは県庁の解散を宣言し、その翌朝右腕の荒井さんと一緒に陸軍の司令部があった本島最南端の摩文仁へと向かいます。ですがついた直後陸軍の司令官が自決し、事実上沖縄戦の敗戦が確定しました。島田さんはその後荒井さんと一緒に玉城に向かいます。ですが玉城には現れず、海岸線を歩く姿を最後に消息を断ちました。島田さんはなぜ縁のゆかりもない沖縄でここまで尽力できたのか不思議に思いました。

・この時代の陸軍は人が何人死んでも日本が勝てば関係ないという考えを持っていました。ですが現在の自衛隊は人の命第一優先で行動しているので島田さんの考えが現代の考え方に影響を及ぼしているのかなと思いました。私はこの映画を通して戦争は悲惨なことだと再認識しました。また実体験や、その当時のことは今後も語り続けるべきだと思いました。

・島守の塔を見て、いや一人一人の生き様を見て、生きることは何よりも大切だと感じた。特に吉岡里帆が初めは軍国主義教育を受けていた弊害で国のために死ぬことが唯一だと思っていたが沖縄県知事からの生きろという言葉で最後米兵に投降を促された時に投降することを選んだシーンは映画の中で監督が一番客に見せたいシーンだったと思われる。

・今回初めて島守の塔という映画を鑑賞させていただきました。私は今ままで一度も沖縄での戦争を舞台にした映画や本などを見たり読んだりしたことがありませんでしたので、今回の映画鑑賞の感想に関しましては大変複雑な気持ちです。なぜ複雑な気持ちと考えてしまったかというと、まず一般市民という沖縄県民の方々が無惨に爆撃で殺されてしまう可哀想と考えてしまう点や、日本軍の総力戦という戦いでの沖縄県民を見捨て日本本土を守るという行動を行った点、そして、もともと日本軍がアメリカの真珠湾に攻撃することが通信障害により奇襲攻撃となってしまったことでアメリカの市民を巻き込む無差別攻撃という点を考えてみると、日本もアメリカもどっちもどっちと考えれてしまい複雑な気持ちと考えました。

・島田叡知事と荒井退造警察部長の姿勢には、命を守るという信念が一貫しており、観客として胸を打たれました。戦況が悪化する中で、「死んで国に尽くす」ことが美徳とされた時代にあって、彼らがあくまで住民の命を最優先に考え続けた姿勢は感動的でした。また、その決断の重みと孤独さが、観る者に「指導者とは何か」を問いかけているのではないかと思います。

・かつて沖縄であれほど激しい戦いがあったことは歴史の授業などでしか取り扱われたことがなかったので実際に映画を見てどのようなことがあったのかを知れてよかった。多くの人が家を捨ててガマに逃げたのに日本軍によってガマを横取りされアメリカ軍に投降せざるを得ない人などもいてとてもかわいそうだった。また、島田さんや荒井さんなどが県民の命を守るために奔走する姿や、戦争の悲惨さ、沖縄で起こった地上戦の激しさなどがよく伝わってくる良い映画だと思った。

・島守の塔を観て思ったことは、この時代の人は今の人と比べて自分の命に対する価値観が違うなて思った。映画の中では生きて逃げるより自決した方がマシだとか、お国のために命を尽くしますだとか死ぬのは恐ろしいと思っていたて思うけど、国民一人一人の戦争に対する覚悟が違うなと思いました。もちろん自分たちは戦争を経験していないから本当の恐ろしさはわからないけど、このような映画や経験した人の話などを聞いてこれから先伝えていくべきだと思いました。

・私はこの映画を見て、戦争の悲惨さを学び、2度と起こらないようにして行かなければならないということを学びました。また、若い人から老人までさまざまな人が犠牲になったことがわかった。映画の中で特に心に残った場面は、子どもが泣いて銃を向けられている場面で、それほど緊迫した状況であることがわかった。

・新しい沖縄の知事になるということは死を意味することだったけど、それでも命が惜しい人達のために自分が行くと決断をして、最後まで沖縄の人たちの命を優先したことは誰にでもできることじゃなく、知事が島田さんだったからもっと犠牲者が出ていたと僕は思う。最後に島田さんと、荒井さんは野球をしようと言ってどこへ行ったのかが不思議。アメリカの兵に捕まったのか、自決をしたのか、どちらにしろ消息不明だったのは悲しい。

・私は、今回で初めて沖縄に行くことになりますので、正直知識に関しては周りより疎いです。だからこそ、この映画を見るまでは軽い気持ちでいました。そんな気持ちも、数時間であっという間に変わりました。戦争自体が重い話ですが、沖縄の戦争に関しては、アメリカからの襲撃の頻度が他の戦争より多かったり、島なのもあって、海を使って逃げる際に突然襲われるなど、見るだけで精一杯な状態が再現されていました。私自身、こういった話の内容はすごく苦手なので、映画鑑賞中では一瞬吐きそうになってしまいました。ですが、こう言った歴史ともちゃんと真正面から受け入れないといけない事が今回で、改めて分かりました。また、修学旅行の際、おそらく民泊の方々は優しく接してくれますが、私たちはその方たちが過去にどう言った歴史を見てきたのか、忘れないでおこうと思えました。

・自分はこの映画だけではなく、鹿児島の知覧の特攻隊を見たことがある。そのことを踏まえて、戦争には関係のない沖縄の一般市民の人たちも国のためだと戦争に参加せざるを得なかったかとをしり、日本の本州の方とは違う犠牲が出ていると知った。また、戦争に参加させられていたのに急に解散命令がでて自刃やどうしていいかわからず困った人も多いと思う。市民だけでなく、軍人も若くして戦争に駆り出され多くの命が亡くなった。このような悲惨な戦争は二度と起こしてはいけないと痛感した。

・この映画で、戦争による沖縄の住民の被害は計り知れない程のものだったと改めて知ることができた。アメリカの攻撃で無差別に人々が殺され、多くの死体が横たわる光景は悲惨なものだった。また戦争で怪我をした人々を看病していたのは、本来学校で勉強をしている女の子だったのが戦争の悲惨な状況を表していたと思う。特に戦争に参加している男の子が、学校に行きたいと強く望んでいることが描写されたり、その男の子が戦争で犠牲になったりするなど、今の私達では考えられない生活があった。この映画を通して、今の平和な生活が当たり前だと思わずに、大切に生きていこうと思う。

・気付いたことは、平和は大切にすべきということです。なぜなら、戦争が起きている時には国同士が互いにぶつかり合っていたから起きていたからです。そのことにより、国民は巻き込まます。地位が高い人は、兵器や日本の国民と争っている国を、敵とみなして殺し合いをさせるようにします。主に「敵に捕まると男は肉にされ、女は乱暴される」や「国のために自決しべき」などもナショナリズムが関係していると思いました。また、標準語以外では敵のスパイとするという言葉は、衝撃でした。沖縄戦などの時代は、沖縄の理解が進んでいなかったとも受け取れます。国の領地争いが、人と人を傷つけてさせると思いします。その上で、国が今の時代互いに手を取り、助け合う必要があるのだと再認識しました。考えたことは、国の国民として一致団結は必要ですが、他の人々とも理解が必要ということです。1945年(昭和20年)の頃には、日本という1つの国がありました。ですが、沖縄などの周辺諸島にアメリカ軍やイギリス軍が上陸しました。その頃から、攻めてくる軍は、敵と認識してしまっています。おそらく、この頃から、沖縄の人々は、このように思っていると思います。ですが、もし銃などの武器を使わずに手を取り合っていたら良好な関係が築いていたかもしれません。と、僕は思います。そして、争いが始まります。この頃から、敵としての理解が進んでいると思います。次に、子どもや家族についてです。1〜9歳くらいの子どもや家族と国を出ます。ですが、中学生や高校生は、戦争に参加させられています。男子は、特攻隊や知らせ係をします。女子は、ひめゆり学徒隊などの看護や死体運びをします。また、怪我がひどい人には、上からの命令で体に毒を入れて死なせてしまいます。戦場という中で子どもや女性は、男子と平等でないと思いました。さらに、学校で学びたいのに、戦争に参入していた子どもいました。だから、今の日本の平和を大切にしながら、今の自分ができる範囲で生きていこうと思います。

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