私が最近読んだ、「教育哲学問題集」という本を紹介します。著者は、元千葉大学教授の宇佐美寛という方です。教育現場での様々な授業実践や思考指導の問題点が、指摘されています。例えば第7章では、「中学生からの対話する哲学教室」(シャロン・ケイ、ポール・トムソン 著 河野哲也 監訳)という本について批判が展開されています。
*「中学生からの対話する哲学教室」の引用
本文
隆史は落ち込んでいました。これまで、隆史の住んでいる市では貧しい学生にたいしてバスの運賃の補助を行ってきましたが、それを打ち切ろうとしていると聞いたからです。いま、隆史は友人や近所の人たちといっしょに抗議活動をしています。バスターミナル前の道に見張りを立て、補助金が復活するまでバスのチケットを買わないよう、人々に訴えるのです。隆史は現場に到着すると、友人の優香のところに駆け寄りました。
隆史 (優香に手を挙げて挨拶をする)やあ、心配そうだね。なにかあった?
優香 うん・・・正直にいうとね、この抗議活動を考え直しているのよ。歩道をふさいで、世間に迷惑をかけているわけでしょ。このせいで、バス会社だけじゃなく、他の多くの企業に多額のコストを負担させることになるわ。彼らがしたことに抗議しているっていっても、同じことをするのは偽善的に思えて・・・。
隆史 でも優香、アメリカやドイツでは、市民の不服従は憲法で認められているんだよ。法律を破るっていっても、ちゃんとした理由があるんだ。実をいうとぼくは、「これで十分だ」なんて思っていない。テレビのリポーターに興味をもたせるためには、窓を何枚か叩き割るべきなのかもしれない。さあ、やっちゃおうぜ。(隆史はいこうとする)
優香 (叫んで)ちょっと待ってよ。暴力的なデモは憲法で禁じられているのよ。人のもの
を壊したりだれかを傷つけたりしたら、自分たちは市と同じアホな集団だといっているようなものだわ。
隆史 (優香のほうに顔を向けて)うまいこと抗議をしたいんだったら、アホにだって
なるべきなんだよ。
優香 そんなことはないわ。私たちは、市議会に書類で申し入れるべきなのよ。バスの補助金にこだわる理由を、全部伝えるの。
隆史 (怒って)君がほんとうに心配しているのなら、もっと勇敢に立ち向かうはずだよ。これは、深刻な問題なんだ。多くの人たちの生活が、危険にさらされているんだ。書類を出したって、しょせんは自己満足じゃないか。ぼくは結果がほしいんだ、いますぐ。
隆史は、野球のバットをカバンからとりだすと、ズンズン歩いていってしまいました。優香
は手で口を覆って、そこに立ちつくしていました。
問題
「中学生からの対話する哲学教室」の「まえ書き」には、「ふたりの意見の不一致は、ある問題についての2つの哲学上の立場を例示して」いると書いてあります。それに対して宇佐美は「現実に生きていて問題だと思う事態は、(中略)二つの立場などで見通せるものではない。三つ以上の立場が有ったり、それぞれの部分が重なりあっていたりする(中略)画然と二つの立場が対立するなどと考えるのは、哲学の幻想である」、と批判している。
また宇佐美は「いったい、何故バス運賃の補助を打ち切ろうとしているのか。つまり、市の行政当局や市議会(の打ち切り賛成議員)には、どんな言い分があるのか。それを全然知らない状態で、何が考えられるのか。なぜ打ち切り措置は悪いことだと決めてかかるのか。反対運動などするべきではないのかもしれない。また、事実を知れば反対の方法も変わってくるのかもしれない。市の予算の構造は、どのようになっているのか。支出を削るべきところ、増やすべきところは、どこか。相手の言い分を聞こうともせず、実状を調べようともせずに反対する(反対の方法を考えさせる)とは何ごとか。子供たちは『相手の意見は聞かなくてもいい。事情を調べなくてもいい。とにかく隆史と優香との態度のみについて考えよ』と教わりつづけているわけである。『知ろうともせずに(限定された範囲をあてがわれるままに)考えよ』という悪しき『かくれたカリキュラム』を教えられているのである。(中略)
まともな教師ならば、もしこの資料があてがわれたとしても、まず次のように発問するはずである。『この資料だけではわからない(もっと知りたい、知らないと、それ以上考えられない)事実は何か。挙げなさい』」
ディベートや話し合いの授業を企画する際に、留意しなければならないことが指摘されていて目から鱗が落ちました。単純な二項対立的なディベート授業の危うさが指摘されていて、自らを戒めさせられる内容でした。