今の季節に日本学園の校門をくぐると、銀杏の黄色とイロハモミジの紅色のコントラストが鮮やかに目に入ってきます。植物に興味があり、数年前に植物辞典を探していた所、フリマで「原色牧野日本植物図鑑」購入し、愛読していました。この図鑑は、植物図の大家である牧野富太郎の植物のイラストに彩色したもので、繊細なイラストで描かれています。
最近、オークションで購入したものに、寺崎留吉著「日本植物図譜」(正編)(春陽堂)・「寺崎日本植物図譜」(平凡社)があります。
寺崎留吉氏は、明治35年から昭和15年まで日本学園の前身である日本中学の教員を勤めていて、その間、北海道から沖縄、台湾、中国まで植物の採取を行い、その後樺太や千島(色丹・国後・択捉島など)へ足を運び約4000種の植物を採取し、イラストで残してきました。昭和8年に「日本植物図譜」の「正編」を、昭和13年に「続編」を自主刊行しました。ちなみに日本学園には、寺崎氏の植物標本が保存されています。
下の図は、「日本植物図譜」からの「イロハモミジ」のイラストですが、モミジの葉の細かいところや種子の羽根型のところが丁寧に描かれています。「イロハモミジ」の種子は、鳥が羽を広げたような形をしていて、風によってプロペラのようにクルクル回転しながら遠くまで飛んでいきます。子孫を残すための戦略です。自然とは、すごいです。また、植物の特徴を捉え、写真が自由に取れなかった時代にイラストで図譜を作成したことも素晴らしいです。植物図鑑と言えば、牧野富太郎著が有名ですが、寺崎留吉著の「植物図譜」も全く劣らないできで多くの人に愛されてきました。
ちなみに、「日本植物図譜」(正編)(春陽堂)の表紙を開くと「謹ミテ此小著ヲ杉浦重剛先生ノ霊に捧ク」という言葉があります。君たちも知っているように「杉浦重剛先生」とは、日本学園の創立者です。
日本中学は、昭和11年に世田谷区松原の地に移転してきていますから、寺崎先生が校舎の周りに植えた植物もあるかもしれません。
ぜひ、歴史ある日本学園には、植物を愛した寺崎留吉という先生が勤めていたということを記憶して欲しいものです。