かれこれランニングを始めて3年。
少々前ですが、3/13(日)に、フルマラソンを初めて走りました。その時のことを書きます。
地獄を見ました。
初フルマラソン、高を括ってました。
第7回スポーツメイトラン府中多摩川風の道マラソン大会、というイベント。
フル走るなら、近いし手軽でいいかとエントリー。
目標は「サブ3.5」。3時間半を切る。密やかに狙ってました。
ハーフマラソンの大会は2回出場したことがあって、2回ともほぼ1時間35分で完走。
2月に30キロ走をやった時、イケる感じもあった。
府中市、多摩川に架かる是政橋下に集合。
土手に設定された、一周10キロのコースを約4周。
スタート。
3分の1、14キロ地点まではいい感じ。キロ4分35秒ペースをキープ。
しかし、何かおかしい。
両腿が、じわりじわりと張ってきた。
さらに、暑い。
この日の予報は「最高気温20度」と3月とは思えない暑さ。
すでに両腕は揚浜式塩田状態。
どうする?ペースを落とすか?
あとどれくらい?今どれくらい?
なんか頭がぼやけてきた。
自然とペースも落ち始める。
そして21キロの給水地点。
コップに手を伸ばそうとペースを落とした瞬間、とうとう右脚の太腿が攣(つ)る。膝の上,触れば皮膚の下で筋肉が鳥の胸肉のように固まってるのが分かる。
ストレッチしても歩いても痛みが解消しない。
どうする?オレ。
今まで運動している時に脚が攣ることなんてなかった。
今でこそランニングなんかやっちゃって、いけしゃーしゃーとレースなんかに出ちゃっているけれど、学生時代から脚が攣るほど本気で運動に取り組んだことなんかなかった。
こういう時どうすればいいのだろう?
レースはまだ半分を過ぎたばかり。
走らなければならない残りの距離を考えると,途方に暮れる。
とにかく前に進まないと永遠に終わらない。
しばらくはだましだまし走ったけれど、30キロを過ぎて、気持ちが全く入らなくなる。
ここから先は、少し走って攣りそうになったら歩いて、の繰り返し。
キロ7分から8分までペースが落ちる。
絶望的な気分。何も楽しくない。
なぜオレは走るのか?
なぜ走るのか?
いやあんた歩いてるじゃん?
繰り返される自問自答。
いっそリタイヤする?
何度も何度も考える。
しかし、初マラソンでリタイヤすると、もう2度目はない気がする。
とにかく痙攣する脚を運ぶ。
前に進めば、この苦しみもいつかは終わる。
止まない雨はない。
明けない夜はない。
走っては歩き、走っては歩きを何度も繰り返す。
前ヘ進むことしか頭にない。
帽子もかなぐり捨て、脚を運ぶことにひたすら集中する。
最期の闘いに挑む能登殿の心境(平家物語参照)。
何とかラスト5キロの給水所に到着。
紙コップを手にして通過した時、バナナが目に入る。
前に進みたい気持ちをバナナが押し留めた。
貴重な10メートルを戻ってゲット。
黄色い表皮を剥いた中から現れた、純白のバナナの美味かったこと。
ねっとりした甘さが全身に染みる。
食卓に置いてあっても、もう何年も口にしていなかった。
今までごめんよ、バナナ。
この味は一生忘れない。
「おっしゃ!」
思わず気合が声になる。
「頑張ってください!」
給水所のお姉さんの応援を力にして、最後の旅に出る。
しかし、地獄はこれからだった。
ラスト2.5キロの給水所で立ち止まった瞬間、それまで攣(つ)っていた右脚の外腿ではなく、とうとう裏腿までもが攣る。
まるで手羽元のような肉肉しさで痙攣している。
しかも、裏腿を伸ばそうとストレッチをした後、脱力すると今度は外腿が攣る。その外腿を伸ばして、元に戻そうとすると、再び裏腿が悲鳴を上げる。
裏腿を立てれば、外腿が立たず、外腿を立てれば裏腿が立たず。
さらに厄介なことに、右腿のストレッチのために左脚を曲げ、それを再び伸ばすと今度は左腿が攣るという。
ついに、自分の身体の筋肉たちが互いにトレードオフし始めたのだ。
これには参った。にっちもさっちもいかない。
それでも、一箇所ずつ入念にストレッチを繰り返す。
各筋肉の言い分に丹念に耳を傾ける感じ。
同じ給水所で、同じような症状だろう、女性ランナーが苦痛に顔を歪めストレッチしている。
ストレッチすること5分、何とか走れそうだ。
ストレッチが効いたのか、ラスト2キロはキロ5分ペースまで回復。
そして、ゴール。
長かった。本当に長かった。
辛かった。本当に辛かった。
記録は、3時間58分44秒。
何とか4時間は切って完走。
後半の、3分の1は歩いたけれど。
うーん、正直やっぱり悔しい。
暑さを舐めていたというか。
でもいい経験だなと。
最近ランニング中にヘビロテしている宇多田ヒカルさんが、
「手に入れたものがその人を作るのではなく、頑張っても手に入れられなかったものがその人を形作る」
みたいなことを言っていて、なんて良いこと言うのだろうと。
意味のない経験などない。
この経験から、自分の身体について、気持ちについて分かったことがあるはず。
また次を目標に走ります。
日本学園を代表する「アスリート」と言えば、山岳部顧問で世界の名峰をものにしている「ミスターストイック」高橋先生、あるいはトライアスロン部顧問の「鉄人」堀越先生なわけで、日本学園の教職員の中で、今後は「そちら側」に自身がカテゴライズされるだろうことが何よりもうれしい。
10月の本校のマラソン大会、できれば生徒と走りたいなあと。可能ならうれしいです。
以上、全くもって私的なお話で失礼いたしました。