昨日あたりから気温が30度を超え、半袖で歩く人を多く見かけるようになりました。そんな中間試験の真っただ中にこの文章を書いています。
何か気の利いた文章を書こうと気合を入れて何度かパソコンの前に座ってはみるのですが、全く筆が(キーボードが?)進みません。焦って思考をこねくり回しているうちに、文章が出てこないのは、最近ちゃんとした本を読んでいないからではないかということに思い至ったのです。
通勤で乗る電車内では、端末でSNSやWEBライティングを眺めていることが多いですが、これらの媒体では、一つ一つの文章をできるだけ短く書くというのが基本になっていて、しかも紋切型の口調が多いように思います。こういう短い文章に慣れてくると、ズバッと一つのことをキャッチコピーのような形で出されないと読む気がしなくなってしまいます。私の場合、読む気がしないならまだしも、硬質な長文を読む筋力?がどんどん低下しているように感じるのです。
デジタル媒体は速読向きで、その速度に慣れてしまうと、人は深く考えることに時間を割かなくなり、短絡的になりえるのではないでしょうか。
AIだのデータサイエンスだのDXだのと、身の周りがどんどんデジタル化されるとはいえ、その前後には必ず文章を読んで、文章を書くという行為はつきまといます。また、あなたたちが高度な学問を修めたいのならなおさら文章と深く関わらざるを得ません。ですから、やはりできるだけ早く、文章を読んで学び、文章で人に伝えるべきことを伝えられる能力を身に付けることは、相当にコストパフォーマンスがいいと私は思うのです。
翻って目の前の自分の本棚を眺めてみると、メルロ=ポンティ、ラカン、蓮見重彦に柄谷行人…長年積読になっている本が何冊も鎮座していて焦ります。重たくて長い本で、且つ簡単には読みこなせずに、「いつか時間が取れた時にじっくり読もう…」というやつですが、さすがに何十年も生きていると、そんな時が天から降ってくることがない…ということに気が付きます。時間は自分で作り出すしかないのです。
夏休みには国語科の課題として読書が課せられる学年が多いと思います。読書の経験は読解力の涵養に直結し、大げさでなく全ての学問の基礎となります。またラッキーなことに、この力は日々の鍛錬でいくらでも伸ばすことができるのです。いきなり難しい本を読まなくてもよいので、まずは興味のある分野の雑誌などからはいって活字に慣れることをオススメしたいです。そしてそのときは是非、紙媒体で。
(写真は、昨年度教え子にオススメされた本の一部です。好みは人によって様々ですね)