先日、NHK制作(撮影に3年の月日を費やしたスペシャルドラマ)
「坂の上の雲」の再放送を観ました。
この作品は、司馬遼太郎の小説を再現したドラマで、松山出身の正岡子規と秋山好古、真之兄弟3人の若者を中心に、激動の明治時代を壮大に描いた物語です。
〜まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。
小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の間、読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。誰もが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない…
…この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どのように振る舞ったかという物語である。
主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれない。
ともかくも、我々は3人の人物の跡を追わねばならない。
四国は伊予の松山に、三人の男がいた。
この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。
その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇蹟を遂げた。
もうひとりは、俳句、短歌といった日本の古い短詩型に新風を入れてその中興の祖になった、俳人正岡子規である。
彼らは、明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。
登っていく坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を登ってゆくであろう〜
冒頭から、司馬遼太郎氏の美しい日本語の表現に次第に魅せられていきます。ドラマではナレーターが語る度に、その時代の人物になったかのような高揚とした自分を感じる事ができるのです。
しかし、今回私が改めて驚いたのは、ここに日本学園の校祖である、杉浦重剛先生が深く関わっていた事です。
主人公の二人正岡子規と秋山真之は、大志を抱き故郷松山から上京します。そして、共立学校で学び、明治17年揃って念願の大学予備門(現在の東大教養学部)へ入学を果たしますが、この時の大学予備門の校長が、杉浦重剛先生でした。
誰もが新しい「国家」の中でもがき、模索している時代に、国を動かす程の人物の育成にご尽力を尽くされていた杉浦重剛先生について、学びたいと強く思いました。
また、それと同時に、明治大学付属世田谷校に向けて過渡期を迎えた日本学園において、改めて杉浦重剛先生の大切にしてきた精神、教育観を考えなおす必要があるのではないかとも感じました。
「我国は古より能く外国の文物を学び、その長を採り、我が短を補ひて以て自国の文明を進展せしめたり。故に今後と雖(いえど)も、固より彼の長を取りて我が短を補ふこと(人の長所を見習い、自分の短所を補うこと)肝要なりとす。英も学ぶべし。仏も学ぶべし。然れどもこの精神に至りては断じて古来の美を消磨(しょうま)せしむることあるべからず」
これは、杉浦先生が仰っていた言葉だそうです。日本学園が長い間培ってきた教育観、精神を礎(いしずえ)に、新しい学校へ発展できるよう、私たちに何ができるか考えていきたいと思います。
また、若い世代の生徒の皆さんにも、改めて杉浦先生の教えを学ぶ機会があると良いと感じました。