人の手とアイディアが何かを生み出す、その創造の瞬間に立ち会えること。何もなかったところから少しずつ形づくられていくそのさま、誰かと何かを作り上げること。そうして生み出されたものに「失敗」は一つとしてなく、その過程こそが人間を成長させると思っています。2024年も生徒たちは、そんな瞬間と過程をたくさん見せてくれた1年間でした。
本校では20年ほど前から、オリジナル教育プログラム「創発学」に取り組み始めました。日々鍛える知力と感性は「創造」と「発信」の質を高め、特色ある体験型行事・クラブ活動・日常のあらゆることを通して、生徒一人ひとりの「豊かに生きる力」を培います。自己を見つめる時間・他者と協働する「仕掛け」を日常にたくさん散りばめた場所、それが日本学園です。
気づけばもう年の瀬ですね。5日後に「沖縄修学旅行」を控えて思い出しますのはやはり、秋の文化祭で高校2年生の彼らが発揮した「創発力」です。高2Eでは「日学流星群~プラネタリウム~」を企画しました。
【高2E集合写真】
文化祭での私の「仕掛け」は、「役割ごとのチーム分け」と「チームリーダー」を決めることだけでした。そうして生徒たちが、日頃の「創発力」を発揮する瞬間を待ちます。
学習と同じですね。生徒自ら課題を見つけ、「学びたい」「創りたい」と踏み出す一歩。人間を突き動かす動機として、そんな主体的なエネルギーに勝るものがほかにあるでしょうか。
「プラネタリウムチーム」の始動はWくんでした。「ホームスターで投影するならドーム型じゃだめだ。家の天井みたいなのを教室のど真ん中に作ろう」
さあスタートです。こうなると男子は本当に早い。木材を買い、測り、どんどん組み立てていく。安全にたくさんの方が入れるように試行錯誤し、意見が飛び交います。
それを見た「内装チーム」は、教室に一筋の光も入れぬよう真っ暗にすべきと動き出します。予算はメインに使いたい、暗幕を買ってばかりいられないと、段ボールをひたすら黒く、塗る、塗る。塗っては乾かし、手早く窓を塞いでいきます。
その頃「外装チーム」は、「天体をスプレーアートで表現しよう」と話し合っていました。・・・でも、どうやって?最初の一吹きの勇気が出ない。失敗したらどうしよう・・・
そんな胸中が顔に書いてあるようです。私にはそれがありありとわかりましても「失敗したっていいんだよ」などと言ってやることはしません。なぜなら、人間のやることに「失敗」など何一つないと思うからです。
しかしそれも、「経験」を積んだわれわれ大人だから言えることなのですよね。彼らはまず、やってみればいいのです。大人に言われるのと自分で気づくのとでは、天と地ほどの差がある。なんでもいいからやってみさえすれば、何かが生まれることに気づくのですから。そこに仲間と協働することの意味があるのですから。
晴れた空の下、新聞紙もしっかり敷いて準備は万端なのにいつまでも逡巡する彼らを、私もいつまでも見守っていました。
ついに誰かが、「教室で余っていた紙皿は?あれを使えば丸く天体が描けない?」「いいね、やってみよう」
高2Eの宇宙が創られ出す最初の一吹きでした。もう安心です。自分の手が生み出す宇宙に目がきらきらと輝き出し、金や銀のスプレーで思いのままに自由に天体を表現しはじめました。それを見届けて、私はそっとその場を離れました。
そのころ教室では「内装チーム」が、麻紐と水風船で「手作りランプシェード」を量産中。
それは当日、ドームまでのお客様の足元を照らす素敵な誘導灯として、真っ暗な宇宙空間にぽかりぽかりと美しく浮かんでおりました。
そのうち「外装チーム」が、紙皿&スプレーを駆使し完成した「天体アート」を次々と運び入れ始めました。外壁塗装職人さながらの器用さとチームワークで、細部までこだわる徹底ぶりです。
ひとしきり「創造」の熱がピークを過ぎると、意識は「発信」へと向かい始めます。それが作品なら他者の存在を意識して初めて「自己満足」の域を飛び出すのでしょうし、それが研究なら「社会貢献」への第一歩となるのでしょう。
文化祭では、お客様を意識した視点での創意工夫がいよいよスタートする瞬間です。一度創り上げたものであっても、ニーズに合わせて創り変えるやわらかさも必要と知ります。「創造」が「発信」へと大きく躍動し始めました。
人の手とアイディアが何かを生み出す、その創造の瞬間に立ち会えること。そうして生み出されたものに「失敗」は一つとしてなく、その過程こそが人間を成長させるということ。
生徒たちが創り出したなんともシュールで美しい世界観がご来場頂いたお客様の笑顔と歓声を生んだとき、私は改めてこの大切さを胸にたしかめていました。
ひとつひとつ形の違う「手作りランプシェード」は、まるで生徒たちのようです。パッケージされたものが教室に体良く並べられたのではない、生徒たちの素晴らしい個性。