実家から自転車10分くらいのとこに母方の実家がある。小学生の頃からいつも暇なおばあちゃんはよく私を呼び出した。買い物や草刈り、畑を耕すこと等、呼ぶ理由は何でも良かったに違いない。用事が済むと2人でのんびりお茶を飲みながら世間話をして小遣いを貰って帰った。7歳の時に亡くなったおじいちゃんは長い間病気で寝たっきりだった。記憶と言えば、薄暗く陰気臭い部屋に敷かれた布団に横たわって吸い飲みで水を飲まされていることくらい。〝ちゅうき〟という病気らしかったが、話もできずいつも咳き込んでいた。
それだけに小遣いをくれ、私のどうでもいい話に付き合ってくれるおばあちゃんが大好きだった。とぼけたところがあっておやつにペヤングソース焼きそばを作ってくれたのはいいのだが、お湯と一緒にソースまでいれてしまったり。小遣いを1,000円と10,000円を間違えて返しに来いと電話がかかってきたり。武勇伝は星の数。
でも成長とともに遊びに行くのは年に数えるほどになった。薄情な話だがあれほどおばあちゃんっ子だったのに、私は大学進学で上京すると学業と生活することで精一杯になり思い出すことも少なくなった。
そんなある日、母からおばあちゃんの訃報が届いた。享年80ちょっとじゃなかったかな。寂しさよりもおばあちゃん孝行をしてこなかった薄情な自分を恥じた。お通夜、告別式に参列したが、久しぶりに会う叔父さん達と何を話したのか、どんな式だったのか全く覚えていない。
生活や仕事を理由に彼岸も盂蘭盆も墓参もいってない。ましてや線香なんていつあげたことだろう。
あの日から早、30年余。今年もおばあちゃんの命日がくる。12月24日。
世間はクリスマスムード一色。年の瀬も押し迫り誰もが気もそぞろ。
私のクリスマス・イブは1人厳かにおばあちゃんを想い、偲ぶ日。
「あばあちゃん記念日」が今年もやってくる。沢山の思い出の詰まった抽斗を開けてしばし童心に戻ろっか。
『徒然草』「人の亡きあとばかり」というお話があるけど私には無縁のお話かな。