教育を意味するeducationとは、「潜在的な力を引き出す」という意味ですが、どちらかというとこれまでの日本の教育は、teaching (=教え込むこと)が多く、学習者に考えさせアイデアを引き出したり、議論を通じて論理的な思考訓練や問題解決能力の養成をして、潜在能力を引き出すという教育はあまり行われてこなかったのではないか。
学校の現場では、教科書の教材の内容について、生徒にこの問題についてどう思うか? と問えば、彼らなりに、考えて発言をしてくる。
自分が体験したこと、経験したことをふまえて、考え、整理し、発表する力が、本校の創発学につながる。
教科書を教えるのではなく、教科書で教えると言われるが、今回、2年生の授業で、「世界で最も貧しい大統領 ホセ・ムヒカ」を学習した。「豊かさとは何か、人生で大切なこととは何か。」の問に、授業を通して考えた。英語の授業で、内容を読み終えたところで、英語で、考え、議論し、発表ができるまでいたらなかったが、教材を通じて、課題を投げかけることができた。
いろいろな考えが出てくることで、普段発言しない生徒も自分の意見を述べることがわかる。
英語の教科書は、各課のテーマは、環境問題(エネルギー)、自然科学問題(地球温暖化)、社会問題(制服)、医学問題,などが取り上げられていて、指導する立場からも課題が多い。日々学習である。
ある課題、テーマについて、日本人が論理的な志向・表現能力が苦手だといわれてきたのも、学校教育
の場で、あらかじめ用意されている答えを導き出すのではなく、正解のない問題を扱うことで、順序立てて、考え、議論をする中で、問題解決をはかることで、社会、経済、政治、科学、世界を見る目が育つ。
高校時代の世界史の先生は、全て論述試験で、大問が5題出され、○○について、論ぜよ。という試験
であった。時代の年号、事柄を暗記していても、試験には出なかった。年号、時代の出来事を自分で整理し、まとめらないといけない。今振り返ると、大変な試験だったが、記憶に残り、考えさせられた試験でした。
今、学校現場では、基礎学力の低下の問題よりも、学習意欲の低下が問題になっている。このことは、
別の機会に述べたい。