この文章が公になる頃には立飛の体育館が揺れているかな、今日は授業があって応援には行けませんがつれづれなる思いに駆られて拙文を懲りもなく書いてみました。
週末に控えた東大和南戦まで僅か4日しかない。 授業が終わるとすぐに体育館に向かう姿はいつもの見慣れた光景でも心中やいかに。惨敗で終わった4強決め。満身(心)創痍のまま「希望」を携え、立ち向かった足立学園戦。それは応援のため会場に足を運んだ教員が担任する生徒たちの身を案ずるほどの模様。
日もとっぷりと暮れた頃、体育館にはバスケットシューズとボールの律動的な音、そして途切れることのない気合いの入った声が響き渡る。
「何で!追わないんだよ! 諦めてんなよ!」「勢いにのまれて、負けて悔しくないのかよ!」「悔しいです!」「ピストルで示したのかよ!」「いいえ!」「動けよ!」「話せよ!コミュニケーション!」「やらせてください!」「必死さが感じられないんだよ!」「何で飛び込まないんだよ!」「さぼるな!」「そんな弱いシュートは長身の選手には通用しないんだよ!」「はい!」「声出せよ!」。まるで蜂巣をつついたように声が飛び交う。
にちがくには留学生はいないから、長身の選手が少ないから、病み上がりの選手がいたから負けた?・・・違うことは分かっているな。不安か?怖いか?諦めたか?・・・じゃあどうする? お前等、どこよりも練習しているじゃないか。それが自信だろ、武器だろ?それでもまだ一抹の何かを隠せないならば払拭するためにもっと練習しろ。今が、正念場なんだよ。
もしかしたら世評は与しやすい相手と過小評価するかもしれない。〝にちがく、恐るるに足らず〟などと。でも、ただ、ひとこと云っておくが、他人の評や風説に迷わされるな。事を行うなら、自分で是非の判断したうえでやれ。稀勢の里も言ってたけど「勝っても負けても正々堂々」としていろ。それが応援してくれる(ファン)方達への礼儀でもある。
生粋のにちがくファンは例えどんなに落ちぶれようともエールを送り続けてくれます。窮地に立たされようとも見守り続けてくれるものなんです。虎になって煩悶した李徴をやさしく見守った月のようにね。安心しろお前等には月のような穏やかさと太陽のように情熱的を帯びた多くの人々が陰日向無く支えてくれている。それを誇りに自分たちが尽力するにちがくバスケが正しいことを証明してみろ。繰り返すが今が正念場。心強く、志高く持つことで運命を変えてみろ。武運長久を祈る。
――「あやまちのない人生というやつは味気ないものです、心になんの傷ももたない人間がつまらないように、生きている以上、つまずいたり転んだり、失敗をくり返したりするのがしぜんです、そうして人間らしく成長するのでしょうが、しなくても済むあやまち、取返しのつかないあやまちは避けるほうがいい、-」――(『橋の下』)
――「なんであろうと、人間が本気でやることはそのままで立派だ、人のおもわくなんぞ気にするな」―― (『虚空遍歴』)
――「人間の真価は、その人が死んだとき、なにを為したかで決まるのではなく、彼が生きていたとき、なにを為そうとしたかである」(『ながい坂』)
山本周五郎