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バスケットボール部

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つれづれなるままに ~関東大会予選まで1ヶ月をきって

投稿日2019/4/5

平成が始まったとき私は高校1年生だった。子供ながらも初めて体感する空気にただならぬモノを感じ、うっかり不謹慎な発言でもしようものなら、どやされるだけなんでただ大人しくしていた。昭和天皇の崩御との訃報に正月ムードを自粛ムードへと一変させ、故・元小渕官房長官によって、しめやかにではあるが新元号「平成」が発表された。皆、沈鬱な面持ちで受け取るも、新たな時代の幕開け、なんてことからは縁遠かった。それ程までに昭和天皇の崩御は戦争を知る年配層にとっては大きなことだった。霊魂を悼むなんていう言葉で纏められるものではなかったはず。

 4月1日に新元号が発表された。社会は新しい時代の到来を予感し、俄に浮き足立ち始めた。ところが此度は天皇は存命中の退位とあり打って変わってのお祭り騒ぎ。新元号と同名の方を特集してインタビュー、お菓子や歌を作って話題作りとただでさえ落ち着かない社会がもっと混沌としたモノになった。(きっと2020東京五輪はもっと無防備で隙だらけで、渋谷のハロイン如きの乱痴気騒ぎなんだろうと思うと今からうんざりする。杞憂であればいいが。)

 新元号の発表によって「平成最後」という7音節はこれまで以上に無闇矢鱈と使われるようになった。居酒屋の席に着いたサラリーマンがおしぼりで顔を拭いながら「とりあえずビール」というが、それと同等と言えるほど「平成最後の○○」は意味を持たない日常の常套句となって使われている。

 しかし敢えて捻くれたモノの捉え方をすると、最後だから何なの?最後だから一生懸命やろうとか思い出を作ろうってことなの?となる。逆にすると最後でなければ漫然怠惰とか刹那的に生きていても何とも感じないんでしょ?ともなる。よく生徒に〝今、この場所に存在してこの授業を受けているという証、夜眠る前に布団の中で1日を振り返って思い出せる時間の過ごし方をせよ〟という。簡単に言うのなら今を生きろ!(Seize the Day)ということ。だって後悔先に立たず、覆水盆に返らずですから。・・・It is no use crying over spilt milk・・・。

 この春休みは忙しかった。否、誰もが今を生きていたといった方が適切か。21日からの栃木遠征を皮切りに4泊5日の奈良・静岡遠征が実施された。どのチームも県下4強にあり、4月から始まる関東大会予選やインターハイ予選を視野に入れた此度の機会はこの上ない検証の場であった。そうあるはずだった。ところがどのチームも4強でありながら長身選手や留学生を擁さず、平均身長はにちがくと然程変わりはしない。それなのににちがくにはないものを武器に、ではなく習得仕切れていないものを完成された状態で持つ。あれよあれよと主導権を握られ、劣勢に追い込まれて行くにちがく。コートの内外は当然、静か。布施先生の叱咤激励の声だけが木霊する。なぜ、しゃべらないの?コミュニケーションをはからないの?勝っているときに盛り上がっているのだったら本当の応援とはいえないんじゃないですか。劣勢の時こその応援により、コート内の選手も奮い立つんでしょ?そうでなければ単なる弱いモノいじめですよ。それとも〝俺タチノ チームッテ サイズ、チイサイジャン、留学生モイナイシ・・・勝テナイノハショウガナイヨネ!?〟と心の片隅で嘯いていたことが覆されたから?それとも相手のプレーに見惚れていた?脱帽?そういう後ろ向きな姿勢と雰囲気はにちがくが克服せねばならない一面。

 疲弊していたといえば同情に価するが体力・技術云々に非ず、心の面で劣っていたのは最早、敗北でしかない。せめてもの救いは、公式戦でなかったところか。次に、明日に今日を繋げるには如何にしたらいいのか。それを個人では無くチームで考え、答えを見いださなければまた同じ過ちを繰り返す。そして負ける。授業で習ったろ!?「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」って。辛らつな言葉や正論には反発はつきもの。だが真摯に受け止めて初心に立ち返ることも必要。「温故知新」の意味をチームで考えるべし。人は一人では生きられないとはよくいったもんだ。チームで今を生きるとはなんぞや・・・。

 

 先日の朝の講習で山田真茂留著の評論を解いた。筆者は「人々は雨後の筍のように次から次へと現れる文化的産品の中から好きなモノをその時々の気分に応じて拾い上げる。(これを渉猟分散型の文化消費パターンと称するらしい)だから現代人は文化が極端に欠乏した時代を生きていると言える。それが各人が個室に閉じこもりインターネットに没頭したら〈普通〉の対面型コミュニケーションが図れず、外出が厭われるのではないかと懸念される。ところがそれは杞憂で、一部を除き然したる理由も無く、友だちと一緒にいることを好み、私語に興じる。一緒にいられない場合は携帯を通じてひっきりなしに連絡を取り合う。」と述べる。そしてその理由を「何とか親密なコミュニケーションを展開することを通じて生の意味を確証しようと試みる」からとし、「若い世代ほど身近なコミュニケーションへの耽溺は極端な形」と結ぶ。

 この合宿中に幾人かの生徒に申し上げた。スポーツに限定では無く全てに言えることだが、〝自分を優先する事勿れ〟と。「情けは人のためならず」と違って見返りも何もないかもしれないが、チームスポーツに携わっている者としては、己のことよりもまずはチーム事情に通暁していることが最も求められる。よくラグビーで引き合いに出される「one for all, all for one.」という言葉。「1人はみんなのために、みんなは1人のために!」と誤訳されるのだが、本当は「1人はみんなのために、みんなは1つの目的(勝利)のために」という意味である。つまり、目的のためにチームが団結することが必須で、利己主義であっては例え・・・・・・としてもそれを完遂することなぞ画餅におわる。従い個人→チーム→勝利になるためにはコミュニケーションのあり方を再考しなければならない。スキルや努力とは質の異なったエッセンシャル・スパイスが必ずや大きな武器になることは周知のことだからだ。「生の確証」を若人が意識しながらケータイを悪戯しているとは思えない。でも大袈裟でも、俺たちは今を生きているんだ!と双手を挙げて叫べるよう、君たちはもっと話し合った方がいい。

 誰かに手を差し伸べられて、ではなく誰かが「こんなんじゃ!勝てねぇよ!」「俺たちの目標って何なんだよ!」と叫ばなければ駄目だ。外では無く内から発信しなければ駄目だ。諸君は練習ゲームで悔し涙を流すことが出来るか?すぐに過去のモノとなってしまわないか?(かつて京北高校の選手は練習試合でも負けると号泣したらしい)。

 インターハイ出場ハ俺タチノ総意デス  ハジモガイブンモカナグリステテミンナデハナシアイマシタ  センセイ、ドウシタラ モット強クナレルカ オシエテクダサイ  ソノタメニハ ドンナコトガアッテモ弱音ヲハカズ、クライツイテイキマス  ゼンインガ オナジツヨイキモチデ、オナジホウコウヲミテイマス。コジンヲ ユウセンセズ チームヲタイセツニシマス

 

 余談ですが3月30日、1年生に問うた。〝にちがくバスケの武器は何だ?〟すると全員が〝ディフェンスからのブレイクです!!!〟と即答した。ちゃんと分かっている、浸透していると思ったら嬉しかった。そして彼等は結果を出した。こんな感じに41名がall for oneの意味を再吟味されたし。大人でもコミュニケーションの大切さは分かっているもののそれが他者との関係構築のため上手に作用しているかと言われると・・・。自信たっぷりに大丈夫!と言い切れる方は如何ばかりか。それを生徒に求めることは酷かもしれないが、彼等なりの答えを導き出して欲しい。

 関東大会予選まで1ヶ月をきった。出場する320校のチームは最早、士気高揚と推測する。今、「心」の側面がチーム課題の一番に来ている学校はどれほどあるだろう。もしかしたらそれは疾うに克服して次の課題に頭を抱えているかもしれない。にちがくは部旗に記された文言を今、再咀嚼しているところ。時間は限られているかもしれないが、試合まで残り14秒までもがいて欲しい。あれ?、もしかしたら答えを出すことよりも出そうとするその姿勢こそが未来の運命を左右するのかもしれない。若い頃、よく生徒に言った「考えながら行動しろ、行動しながら考えろ、止まるな、守りに入るな」と。永ちゃんも言っている「オレっていうのはね、メチャクチャ安心してないと気がすまない男なんだよ。でも、やってることは、 常に不安だらけ。どういうことかって言えば安心したいがために、行動する。だから、行動が早い。」と。もがけ、苦しめ、丸裸になれ。4月29日、今年のにちがくは、と言った人達を見返してやろう。強さと直向きさと熱い魂を引っ提げてコートで魅せよう。

 

--君の心へつづく長い一本道は      いつもぼくを勇気づけた
  とてもとてもけわしく細い道だったけど   今君を迎えに行こう
  自分の大きな夢を追うことが        今までぼくの仕事だったけど
  君を幸せにするそれこそが         これからぼくの生きるしるし--「青春の影」財津和夫

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