長身で3Pを打ってくる♯14に注意、というスカウティング情報。どんな相手でも安定したペースで臨めば恐るるに足らず。ところが1Qの猛攻も束の間、ファールトラブルによる歯車の乱れから同点にされる場面もあり。そう簡単に突き放せない。焦りこそ無けれどがフラストレーションは溜まる一方。=相手の思うつぼ。「やるべきことをやれ!練習通りにやれ!」とベンチから声が飛ぶ。どんな局面にもぶれない沈着冷静さを維持し続けることが常勝チームの武器。勝負事故、勝つことが求められるも同じ勝利でも「勝ち方」が問われる。此度の勝ち方は「心」の未成熟さを浮き彫りにさせた一戦に映った。準決・決勝戦までの1週間、思わぬ余波が生じなければいいが…。
早朝、駅路から見える高台から雪を被った富士山をしばし眺む。公式戦に晴れた日の富士山とは縁起がいいやと験担ぎも込めてしばし拝む。(「おや、富士」というI氏の捉え方とは違う。悪しからず)
私にとって今日は1支部Best4決めという大切な意味と特別な想いを併せ持った一戦であることから静粛な思いを抱き臨んだ。会場にいた方々には「日本学園vs自由ヶ丘」は40分/24時間であったろうが、私には10年分の価値が籠められた試合だった。色濃き10年が走馬灯のように去来した40分だった。
「困ったときに助けてくれた人が先生だったから」、教職を選んだといってもいい。生徒から「なぜ先生に?」と問われることがある。若い頃は〝金八先生に影響を受けて〟などと嘯いていた。それもこの年になって漸くしっくりする答えが得られた気がする。助けてくれた高校教師も予備校の先生との出会いも「一期一会」過ぎない。でも私が歩むべき道筋を教えてくれた「縁」でもあった。その縁が今、具体的な形となってにちがくにいる。そしてその縁が様々な形を産み出した。
支離滅裂な話の展開に「?」といった感を抱かれるだろうが、実は自由ヶ丘学園のS先生とは十年来の関係である。にちがくに赴任する前からお世話になっており、よく練習試合をやって下さった。部員が少なくて風前の灯火のような時も吹けばぶっ飛ぶような弱小のチームでも快く、合同練習も行ってくれた。どれほど有り難かっただろう。私はバスケを〝させてあげられる〟、部員は〝させていただける、することができる〟という安堵感と感謝でしかなかった。かつて某高校に練習試合を申し込んだところ、〝強いの?〟と一蹴されてしまったことがある。S先生はもっと俯瞰的に物事を見、私たちを助けて下さった。義理人情を大切にする方だった。酒を飲むと熱くバスケへの思いを語ってくださった。バスケが紡いだ縁、といったら気障?安っぽい?感じ。でも今もって先生への敬慕の情は不変なり。そのようなこれまでの山あり谷ありの物語を共有せし故、今日の一戦の意義は子細を語るに及ばず。
駒場会場はこれも縁の深い会場。審判をして下さった方も縁深い方々。なにもかもお誂え向きなこの状況に竹内まりやの歌がBGMのように思い出される。
…袖振り合うも多生の縁と 古からの伝えどおり
この世で出逢う人とはすべて 見えぬ糸でつながっている…