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バスケットボール部

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2019年度新人戦大会(結)

投稿日2019/11/29

「徒然草」で兼好法師が語っている。

 木登り名人が人に頼んで木を切らせた。降りる際、ひょいと飛び降りれるほどの高さになった頃「過ちすな。心して下りよ。」と声をかけた。言われた人は「?」でしかない。名人曰く、「失敗は『もう大丈夫!』と安心した瞬間に起こるもの」と。確かに…。

 

 これから大事に挑まむとする者に生じる不安と逡巡、そして俄かに芽生えた驕りや慢心。敗因は誰の目にも明瞭だろう。頬を伝う涙、焦点のあっていない宙を泳いだ目、床に顔が付きそうなほどに項垂れた頭。「敗北」よりも「後悔」、この半年の答え合わせの結果を誰もが受け止めなければならない。

 これまでの4戦と打って変わって追われる側から追う側に。同点で迎えた後半戦はわずかながらリードを保つ。♯6が放った3Pはきれいな弧を描いてネットを通過する。思わず、ガッツポーズ。苦しい時の渾身の一投に、皆気持ちが奮い立ち追い風になる予感。敵は終始ゾーンディフェンスでゴール下を死守する。ドライブで切り込むも長身のセンターに行く手を阻まれる。運よく貰ったファールなのにフリースローも入らない。次の一手、外のシュートが入らない。ならばディフェンスで、となるが終盤勢いづいた♯4、7に点差を縮められる。5Q半ばまで10点以上のリードもあれよあれよと詰められ、逆転に。1Qの入り方で28個の歯車に狂いが生じ始めた。それは修正されたようで最後までかみ合うことはなかった。リードを許し、何とか同点、逆転、少しリードとなった4Q。窮地を脱したことで「もう大丈夫だよ」という心を悪魔が囁いて回ったのか。ファールトラブルを回避する消極的フィジカルな面も一因だが「こころ」が全てを左右した。

 リードされているとき、リードしているときの心の在り方(創り方・維持の仕方)が全員に問われた。誰かが「こんな時だからこそにちがくバスケ貫こう!」「安心している場合じゃない、何やっているんだ!」などと檄を飛ばすものがいてもいいのでは?監督が「お前ら何やってんだよ‼‼」と叱咤したら、委縮するかもしれない。でも仲間に言われたら「そうだ!」とか「此畜生!やってやんよ‼」と気持ちリセット→鼓舞になる。その役割を私は某選手に求めているのだが、まだ自信がないのかな。悲しいことがあっても笑顔を無理にでも作ると脳がそれに見合った信号を送り、和らげてくれるらしい。仏頂面の私が言うと「お前にだけは言われたくない」と反発の声がかかってきそうだが笑顔の効用は心身にプラスしかもたらさない。監督に言われる前に仲間内で解決することができたら、もっと強くなる。心身ともに。個もチームも。

 言葉少なく学校に帰り、ミーティングをする。各々の反省を総合してキャプテンが方向性を確認する、決める。

 でも目標は変わらないのだが、どうしたらそこまで行けるのか行き方がわからない…と不安な気持ちを吐露するキャプテン。さっきの今で気持ちを整理するのを高校生に求めることは酷なことは重々、承知の上。負け方が負け方だけに「たら」「れば」が目の前をちらつくだろう。前を向こうにも過去が気持ちを阻む。

 だが諸君、過去10年間で東京都からインターハイorウィンターカップに出場した学校はどこか知っているか。八王子や実践などに交じって、にちがくもその1校なんだよ。実践に土をつけてもいるんだよ。もしかしたら選手に恵まれていたからという見方もできよう。でもうちの監督はインターハイの行き方を知っている人なんだよ。インターハイの地を踏んで全国で戦える実力と精神を築ける人なんだよ。だから都大会の相手が因縁の相手であっても、過去最強の相手であっても、にちがくは劣ってなんかいないんですよ。相手にとって不足なし!と闘志燃やせ、監督にしがみつけ。仲間でもっと切磋琢磨しろ。練習中時間を止めて「お前!なにやってんだよ」「そんなんじゃ勝てねぇんだよ!」ともっと仲間同士でやり合え。監督が〇×△を決めるのではなく、諸君が動き「〇」状態になるまで続けろ。監督はプロデューサーであり、ディレクターである。戦う諸君を先導し支えるのだけれど全ては諸君が主役なんですよ。都大会まで時間は1ヵ月余。期末考査や修学旅行もある、年末年始で世の中の雰囲気がほんわかしたものになる。モチベーションの維持こそ難しいはずだが今回の敗北で過去を真摯に振り返り、正対したはず。「過」ちの「去」った時間ではなく「温故知新」の精神であれ。反省の仕方を過つな!

 

「後悔」とはそれが客観的にいかなるものであったかを確定するに留まらない。(略)「後悔」とは過去を解釈することそのことであり、その解釈を通じて未来を形成すること。まさに根源的な精神活動というわけです。こうした根源的精神活動としての後悔に「自由」という概念が呼応しており、我々は後悔するがゆえに自由という概念を精巧にこしらえ上げるのです。過去には「今から遡って変えられない」という意味がもともと含まれており、その中核には「今や取り返しがつかない」という思い、取り返したいのだけれども取り返しがつかない、という嘆息があります。この嘆息とは別に、過去が単に「過ぎ去った時」として存在しているわけではない。単なる「過ぎ去った時」としての過去とは「そうしないこともできたはずだ」という後悔の感情を捨象した抽象形態に過ぎない。(中島義道 『後悔と自責の哲学』)

 

 覚悟決めろ‼ 勝ってやる‼ではなく負けてたまるか‼‼の気持ちで一意専心バスケに励め。

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