あした、春が来たら君に会いに行こう 夕立が晴れて時が止まる場所もう一度
ついこの間、新年が明けたと思ったらもう2月中旬。新人戦都大会で負った傷も漸く癒えてきたところ。にちがく勢は春に向けて立ち止まる暇もなく練習、遠征と自身の鼓舞に余念はない、はずだが入試のシーズンということもあって何だか師走並みにバタバタして落ち着かない。そんな中、たまにはいい報せも耳に入ってくる。例えば2名の部員が支部選抜選手に選ばれた、とか体調を崩していた部員が復帰したとか。不思議なもんで身の回りの些細なことに気持ちがほんわかしてくる。
そうそう、バスケと全く関係ないほんわか私事を一つ。先日、携帯電話に覚えのない番号からの着信が頻繁にあった。?と思いながら折り返しかけてみると教え子だった。どうやら先日に友人と酒を飲んでいたら私の話題になり、無性に会いたくなったらしい。そこで小さな手掛かりを頼りに私を探し、漸く辿り着いたとのこと。
「俺のこと、覚えてますか?」忘れるわけがない。
彼は初めて担任を持った時の生徒で今は大学を卒業し、サラリーマンをしているそうだ。高2の2学期、彼は学業を疎かにし、アルバイトにはまってしまった。当然、学校は休みがちに。私は彼のアルバイト先に赴き、説教。頑なに彼は私の話を拒否し、挙句、俺は学校を辞めてここで一生働く!家も出て自立する!とまで言う。“勉強も中途半端にガッコウ辞めるような人間を世界のマックが相手にするか‼‼ ふざけんな馬鹿野郎‼‼”と店外に聞こえるほどに怒鳴りまくった、怒りまくった。言うべきことは言って、捨て台詞のようにガッコウに来い!と吐いてそこを後にした。それは勝算の低い賭けでしかなかったが、一度突き放して放置した。2,3日してひょっこり登校してきた。照れくさそうなツラして。頭冷やしました、もう大丈夫っすと。その後は生活のリズムも落ち着いて無事卒業をしていった。
そのバカからの電話によってずっと忘れていた当時に一瞬でフラッシュバックした。学則処分を受けた者達、衝突を見守った学園祭の劇と合唱、私の誕生日を祝ってくれたこととその波紋、不登校気味の子の家庭訪問、家庭内の不和に巻き込まれた子、コーヒーを飲みながらの早朝講習等々。懐かしいなぁ、俺も年をとったなぁ。
「先生、飲みに行きましょう!いつなら大丈夫ですか!皆に声かけます!」話は終始、彼のペースで瞬く間に決まり、3月に会うことになった。これも教師冥利に尽きるといっていいのでしょうか。
ほんわかな出来事をもう一つ。12月に修学旅行に行った2年生が皆で小遣いを出し合って、布施先生に土産を買ってきた。食べることが好きな先生に敢えて、シーサーの置物を買ってきた。拙いというか不器用すぎるその理由になんとなくジンとくる。
「先生が自分たちを3年間教えてくれたその証を形で残したい」と。それは今、先生の机脇で鎮座している。シーサーは守り神だという。どうぞにちがくバスケ部を護り給う。
葱坊主みたいな頭したこの代は純朴という形容が似合う。だからそれが裏目に出て勝てる試合をふいにしてきたこともあった。悔しさ、不甲斐なさを風化させないために、春に上位に返り咲くためにこの冬は「忍」の一字を胸に練習に励んできた。結果が出ればこれも思い出に変わろうか。春は、啓蟄はそこまできている。にちがくの芽吹くのはあとちょっと。花サクのももうちょっと……。
「布施先生、飲みに行きましょう」と彼らが照れくさそうに誘うのまだちょっと先かな。
日々の何気なく、他愛のないことに敏感でありたい。そして細やかな幸せを感ずることに感謝。