此度、部員のために尽力して下さったK教諭、Y教諭、S教諭、H教諭、審判をして下さった皆さん、応援に駆けつけてくれた保護者、ご家族の皆さん、会場を貸して下さった高校の方、3校の選手を支えて下さった多くの皆さん、この場をお借りし御礼申し上げます。真にありがとうございました。
梅雨が明け、からっと晴れた過日に、日頃より懇意にさせて頂いている学校と交流試合が挙行された。この試合は事実上、3年生のために企画されたもので、有耶無耶になった引退を具現化し、送り出してあげる目的の下に行われた。周知の通り、関東予選、インターハイ予選は何れもコロナ禍の煽りを受け中止となった。6月下旬に「2020 Tokyo Thanks Match」と称された代替試合の発表もあった。目標なきモチベーションの維持は困難であったがその公式戦によってにちがく勢は再び、闘志新たに再始動することが出来た。
ところが他校を見渡せば、より良き進路実現を果たすためにバスケから離れ、勉強に専念している者も多いと聞く。鬱屈とした日々を強いられた結果、節目もなく引退、気持ち切り替え次に進むことは生徒には酷でしかない。理性でわかっても感情が追いつかない。
そのような救済策ではないが、3年間の集大成ときちっとした引退へと導くために企画されたこの試合は多くの保護者の声援の中、無事に幕が上がった。
会場高の教諭を軸に様々な懸念事項を払拭するための、入念な打ち合わせと徹底された環境整備を図られた。ただ「バスケを愛する生徒のために」という憑かれたような一心な思いが誰もをを奮い立たせていた。
久しぶりにユニフォームに身を纏った選手達のプレーは公式戦さながらであった。堪えることを強いられた長い冬の時代を経てのプレーは水を得た魚でしかない。私はステージ上でずっと観覧していたが時折、目頭が熱くなったのはいうまでもない。普段はプレータイムの少ない3年生がコートに立つと一際、会場は盛り上がる。彼らにシュートを決めさせようとチームメートはアシストに徹し、パスをどんどん回す。見事、シュートが決まれば会場はもう揺れんばかり。応援は万が一を慮って、拍手のみに制限されたがその拍手の大きなこと。
充実した1日は写真撮影で締めくくられた。どの学校の選手達にも涙はなく、皆、満足げないい表情を浮かべている。湿っぽい雰囲気とは無縁ながら、後ろ髪を引かれる思いで会場を後にしたこととお見受けする。
終わりよければ全てよし、とは古から伝わる言葉。今日、引退された諸君、この日を忘るる事勿れ。漸く打たれた終止符に、気持ち切り替え次に進まれたし。でも焦りは禁物。以下の文言はこれからの道標となろうか。労いの言葉に換え、餞の言葉とする
「人の一生は重き荷を背負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず」
徳川家康の遺した言葉らしいが、私には山本周五郎が著書『長い坂』(著:山本周五郎)の中で三浦主水正に呟かせた方が脳裏に残っている。
また別の著書ではこうも言っている。
「一足跳びに山の頂上にあがるのも、一歩一歩としっかりと登ってゆくのも、結局は同じこと。 むしろ一歩ずつ登るほうが途中の草木や風物を見ることができるし、一歩一歩を慥かめてきたという自信をつかむことができる。」
解釈は最早、無用だろう。