――私の敵は私です ファイト!闘う君の歌を 闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を ふるえながらのぼってゆけ――
あの日も雨だった。雨の中、執念が勝利をたぐり寄せた。今日も雨。今日の雨は果たして吉と出るか、凶と出るか。一夜明けていよいよ決勝リーグの幕開けである。実践学園の気魄や如何に。雪辱に燃え、臨むのか、それとも全国への通過点に過ぎないのか。両者がそれぞれの思いを胸に、試合へ専心する。
試合の命運を決めたのはリバウンドだった。7点ビハインドで迎えた後半戦はまだ慌てるような時間でも点差でもなかった。しかし、にちがくはセカンドチャンスをいかせなかった。否、無かったと言ってもいいだろう。相手は1回のオフェンスにおいてセカンドチャンス、サードチャンスをリバウンドによって確実にものにし、突き放しにかかる。一時は15点まで離される。リバウンドセンスは天賦のものではなくタイミングと度胸だと聞いたことがある。またNBA選手で屈指のリバウンド王デニス・ロッドマン曰く、「リバウンドは掴むものではなく、触るもの」ともいう。伸ばした手が虚しく空を切るほどにボールが触れない。オフェンス、ディフェンス共にリバウンドがとれないことはやがてフラストレーションとなり、流れを掴めない。焦りや不安も手伝ってかベンチもコート内も誰もが静か。せめてもの救いは応援団の圧倒的な声。逆境はピンチに非ず、チャンスを生み出す(自分と向き合う、試されている)原動力なり。それなのに・・・。
8点ビハインドの最終ピリオド、勝負の行方や如何に。点差は縮まらず時間は刻々と過ぎていく。自ボールにしようとファールゲームに持ち込むも残念ながら最後までセカンドチャンスは手にできないまま終了を告げるブザーが体育館にこだまする。
雨は彼等に勝利の代わりに課題を突きつけてきた。「今日の敵は誰?」と。否定されることを承知で辛辣な物言いをする。今日の敵は自分(自チーム)に然り、自分と戦い、自分に敗北を喫したのである。実践学園に敗れしはそれが具現化したものであることは疑う余地はない。従って自分に克たなければ八王子学園戦も成立学園戦も同じ轍を踏みかねない。では如何にして克つのか、練習していれば自ずと分かってくるという質のものではなければ熟考したから答えが出るというようなものでもない。それは何かの拍子に雲散霧消するようなものと言っていいか。なぞなぞのようなこの問答は他力では無く自分の力で探すべし。そしてその答えを全員が共有することで漸く克つための権利が与えられる。WinterCup出場を画餅に終わらせないためにも残された時間の中で見つけ出して欲しい。ヒントになるかは分からないが1つ。「犬を散歩している人には3種類の人がいる。犬に引っ張られている人と引っ張っている人、そして併走している人。さてどの形態が理想の散歩で、犬といえるか。」人間の苦悩を犬の散歩に関連させるのは不適切だろうが一番わかりやすいはず。答えの先には継続して実行できるかという次の課題が用意されている。必ずや11/10 、11/11は覚醒して臨むことを求む。皆はいつも試されているのだ。自分に克てるか、克とうとして何をするのかということを。
――「心技一体」――あまりに重く深い言葉を彼等は背負わされている。