今回はコロナ対策を万全に顧問が2名引率できることが条件で合宿が認められました。合宿に伊藤先生が参加するのは初めてです。トライアスロン部の練習内容をじっくり把握してもらうにはいいチャンスでした。夜はこれからのにちがくについても大いに議論しました。今回の報告は伊藤先生のコメントになります。私はこれを読んで顧問として感動しました。ますますトライアスロンが好きになりました。伊藤先生、今度は一緒に大会に出ましょう!!
DAY1 8/1(月)
いよいよ合宿の始まり。学校から宿泊先である千葉県一宮町まで、総距離120キロをバイクで自走するのだ。
最高気温予報は連日35度。アスファルト上は灼熱である。部員はこの真夏のアスファルトの上で、これから4時間を優に超える時間を過ごすのだ。さらに連日の熱帯夜に苛立つ大都会東京の、交通量の多い摩天楼を疾駆する。
過酷、かつ危険を予想して進まなければならないから大変だ。
最初の休憩地、辰巳国際水泳場までは21キロ。バイクの隊列は甲州街道から新宿を抜け、半蔵門、日比谷、銀座を過ぎて行く。
皇居や日比谷公園で声を限りに鳴き尽くす蝉の音など、当然彼らの耳には入らない。
もちろん予定通りには行かない。
高校1生生のタイヤがパンクし、急遽サポートカーに乗車。タイヤを外し、車内でのパンク修理を余儀なくされる。こうした技術もトライアスリートには必須であり、格好の練習となる。
辰巳国際水泳場で小休止。
そこから車列は湾岸線を東に進む。
途中、部内最年少、中1の部員が鼻血を出す。
彼は他に比べれば身体からして一回りも二回りも小さい。だがこの合宿中、周りに負けじと頑張っていたのが印象的であった。
集団は湾岸道路に走り、東京ディズニーリゾート、千葉マリーンスタジアムを右にしながら浦安を抜け千葉市内へ。
市内を抜けて昼食場所のガストへ。
ここまで80キロ。
ガストの日替わりランチ、この日(月曜)のメニューはハンバーグとチキンステーキ。
大盛りライス(希望者)、さらにドリンクバーにポテトと、そこまでの疲労を回復するには十分な内容とカロリー量である。
ここからは房総半島を横断する。風景は緑を増しアップダウンとの闘いが始まる。
途中着いて行けなくなった部員を車に回収しながら進む。
車に轢かれたのだろうか。タヌキが可愛らしい腹部を見せながら道端に横たわっている。
「こうはならないように」
思わず手を合わせ、車列は進む。
16:00を過ぎ、宿泊先である千葉県一宮町少年の家に到着。
全員が無事であったのが何よりである。
到着し、クールダウンも兼ねて施設内のの芝生でジョグを行う。
初日の活動終了、夕食はなんとハンバーグ。
まさかの昼食とのワンペア。
どんなに過酷であろうと、日本の高校生、特に運動部の合宿の食事にはハンバーグがかけがえのない重要なアイテムであるという事実を、ドイツ・ハンブルグの市民はきっと知る由もないだろう。
ご馳走様でした。
19:00過ぎ、ミーティングおよび、堀越先生による、就寝前に行うべき体幹ストレッチ講座。
21:30就寝、明日に備える。
就寝時間過ぎ、さすがに各部員の部屋は静まり返っている。おやすみなさい。
DAY2 8/2(火)
5:30起床。
6:00から施設内の芝生でトランジションの練習。
トライアスロンはスイム、バイク(自転車)、ランの3つの種目を行うもので、競技においては、それぞれの種目から次への種目への移行技術も重要な要素となるのだ。例えば、スイムの後バイクに乗車する際の所作を並べるとこうなる。
①水から上がり濡れた体を気にする間も無く、駐車場所に停められた自分のバイクに駆け寄る。
②ヘルメットを手にして素早くかぶる。
③自分のバイクをトランジション・エリアを片手で押し進めて走る。
④そのスピードを殺さないようにバイクに飛び乗る。
⑤漕ぎ始めて安定したスピードになってからペダルに固定されたシューズを履く。
普段ママチャリに乗る時のことを思い起こして欲しい。
自転車の横に身を置き、普通は、身体の位置側のペダルに足をひとまず置いてから反対側の足をヒラリと後ろから回して乗車するのが基本である(人によっては後ろからではなく内側から回して乗る人も特に女性には多いだろう)。
しかしそれでは確実にスピードが殺される。というかほとんど停車しての乗車となってしまう。
些細なことだと思うかもしれない。しかしスポーツ競技である以上、すべてに技術が必要とされる。
運動能力の差を埋めるのは容易ではない。しかし、こういったトランジションの技術は練習次第で誰でも習得できるのだ。
起床すぐの重たい身体にムチ打ち取り組む部員たち。
「おい、ヘルメット忘れているぞ!」
中2の部員に顧問の檄が飛ぶ。
前日自分の身体を120キロ運んできた疲労もあるだろう。
東京で普段惰眠を貪る私たちに対して、日の出も早い房総半島の朝は容赦をしない。
6:00、それは起床していたとしても、生活の中でそれは何かの準備をしている時間であり、駆けずり回る時間ではない。
気が抜けても無理はない。
それでも高2を中心としたメンバーは気を抜かずに取り組む。
感心を通り越して、感嘆しかない。
朝食を摂り、この日のメインは海での練習。
一宮海水浴場に移動し午前中はスイム、スイムからバイクへのトランジション実践練習、さらにランへの移行を行う。
一宮は東京オリンピックのサーフィンの会場になった場所である。
サーフィンのためのビーチは駐車場も有料で、人も多くなんだか揚々(yo-yo)としているが、海水浴場はライフセーバーさんによれば「その辺に車も自転車も停めて適当にやってください」という感じで、平日ということもあり閑散(kan-san)としている。
ライフセーバーさんたちは、常に海の中での我々の動きに注目してくださる。ありがたいことだ。
トライアスロンの練習にはお誂え向きである。
陽も上がり気温も増してきたが、やはり海は気持ちがいい。
テンションも上がる。
堀越先生と筆者は、生徒が泳ぐコースを指定するブイを持ち海に入る。30メートルほど沖に出てプカプカ浮かぶ。本当は足がついているけれど。
部員はそのブイの外側をぐるりと、かつ寄せる波に負けずに泳ぎ、陸に上がりバイクへのトランジションをおこない、その後短距離ではあるがラン。
ビーチでは、若者や家族連れがこの暑い夏のイベントを楽しそうに過ごしている。
片や我々は、押し寄せる波に向かって全力でエントリーし、世界のサーファーを魅了した波に負けず泳ぎ回り、浜に上がり自分のバイク目掛け走り、濡れた身体などものともせずバイクに跳び乗り、さらにビーチ沿いの舗装道路を走るのだ。
バカンス盛りである夏のビーチを舞台にした、この何とも言えない落差が痛快ですらある。
宿に帰り、昼食。宿に帰るのも一々バイク乗車なのだから大変だ。
午後は再び同じビーチでスイムとランのアクアスロンを行う。
午前中同様私たちがプカプカ浮かんだブイの外側をおよぎ、今度はそのままビーチの端から端まで砂上を素足で走る。
これも海水浴で行楽する家族やらカップルやらをものともせずに駆け抜けるのだ。
それを数回繰り返し、最後はチームを作ってリレーを行い、ビーチでの練習は終了。
当たり前のようにバイクで宿舎に戻る。
夕食は「ガッツリメニュー」。
唐揚げやら生姜焼きやらで、疲れた身体をハイカロリーで補修する。
この日の夜も集合し、まずは、この日の朝から参加してくれているトライアスロン部OBであるY君にによる「練習後にやるべきストレッチ講座」。
Y君は現在スポーツトレーナーとして働いている。
夕食時のやりとり、「堀越先生、ちゃんとやれるのかって不信な目してますね。自分、45分で5千円もらっているトレーナーなんで。そこんとこよろしく」「おお、任せたわ」という感じで始まった講座。
自分も一緒に取り組んだが、理論がちゃんとしていて、その行為が何のためなのかを重視した、適切な言葉も含めた効果的なストレッチであった。
で、その後はミーティング。
まずはOBとして参加してくれている4名が「自分がなぜトライアスロンを始めたのか」と「トライアスロンをやって何が活かされているか」について話してもらう。
「色々な人との繋がりが財産だ」
「努力が大嫌いだったが、少しは頑張れるようになった」
「トライアスロンが自分の未来を開いてくれた」
そして、次は現役部員がなぜトライアスロンを始めたのか、さらに、どんな選手になりたいかについて語る。
中でも面白かったのは、「自分は将来消防士になりたいと考えていて、トライアスロンで体を鍛えることももちろん大切だけど、トランジションが早くなることは
そのまま一刻も早く行動することで人命を救えることにつながる。だから自分は頑張りたい」
これは唸らせられた。
自分のやっていることに、自分なりの意味を見つけ出せるってイカしていないか?
他にも
「人から応援してもらえる選手になりたい」
「小さい頃水泳をやっていて、陸上部にも入っていたがこれといって本気になれなかった。本気になってみたいと思ってトライアスロンをやろうと思った」
など。
話は勢い、堀越先生はなぜトライアスロンをやっているのですか?という質問に。
堀越先生は、「あまり話したことがないが」と前置きして、トライアスロン部を作ったいきさつ、その後の部の歴史に触れる。
そして、自分の目標として「117歳まで生きて日本人の最高寿命を更新すること」と述べる。
彼は実は筆者と同い年である。
「おいおい、まだ半分生きてないのかい!」
全く凄い人である。
いい雰囲気でミーティングは終わり、就寝。
この日もOB部屋以外はあっという間に静かになった。
DAY3
この日も5:30に起床し、朝練。トランジションの練習。
さらにOB参加のT君から、体幹トレーニングと筋トレの指導。
T君は在学中とは比べられないほど筋肉隆々である。
今回の合宿には4名のOBが参加しており、随所で部員にアドバイスや励ましを送ってくれた。
I君は感情を表に出すタイプではないが、自分の得意領域であるバイクのメカの部分について部員に色々とアドバイスをしていた。
Sさんは日体大4年の女性。実はトライアスロン部には女性のOBがいるのである。
彼女は、高校時代どうしてもトライアスロンがやりたくて堀越先生の門を叩いたと言う。以後3年間本校のトライアスロン部の中で練習に励んだのだ。
Sさんは合宿初日から参加して、折に触れて時には我々教員以上に熱心に指導に当たってくれた。
そんなOBの協力に支えられた今回の合宿であった。
朝食後、部屋を片付け、いよいよ学校へ帰る。
DAY1の逆で、バイク自走で学校に帰るのだ。
全員が各々バイクにまたがりスタート。
一宮市街を走っていく。
往路と違いやはり疲れもあるはずだ。最初の休憩地まで2名が落車。
幸い大事には至らなかったが、自転車には落車はつきものである。
それでも、車列は東京を目指して走り続ける。
筆者は、部員のバイクの往復の際、自動車に乗り、車列の先頭部や最後尾についてサポートしたのだが、一番感じたのは、10数台が縦に並んで、街道を走っていく車列の美しさである。
車の運転をしていたので写真を撮れなかったのだが、隊列を乱さないようにしてペダルを漕ぐ車列の姿は美しいとしか言いようがない。
ツール・ド・フランスなど世界を代表する自転車競技の車列を思い起こしていただきたいのだが、山野でも都会でも、その姿はどこでも映える。
自転車競技ファンを魅了しているのはその光景だと思い至る。
往路で昼食を摂った同じガストで、市街地に入る前に早めの昼食。
日替わりランチ、この日(水曜)のメニューはおろしハンバーグと春巻きやらなにやら。
合宿中、まさかのハンバーグのスリーカード。
それでも文句を言わず、大盛りライスも含めて嬉しそうに平らげる部員たちの姿を、ドイツ・ハンブルグの人々は全く知らないだろうと思いつつ、ここからが
最後の勝負どころ。
車列は湾岸通りを進む。
ここで堀越先生が全体から遅れ始める。
彼は往路復路はおろか、3日間ほとんどの合宿練習メニューを生徒同様にこなしているのだ。そんな彼が生徒を先に行かせ、自分のペースで走り始めた。
湾岸道路は直線が永遠と続く。
完全試合に沸いたマリンスタジアムや、ウオルトの熱意に狂うディズニーなどに、部員は往路同様一瞥もくれずにゴールを目指す。
残り21キロ地点、晴海国際水泳場で最後の休憩。
すでに落車や疲労でサポートカーに回収されている部員も数名。みんなで声をかけあい、バイクにまたがり続ける部員たちの復路の完走に向けて鼓舞する。
最後の区間、学校を目指してスタート。
しかし試練は終わらない。
直後、雷鳴が東京の空に轟き、大雨が車列に容赦なく降り注ぐ。
大雨に打たれ、ずぶ濡れの中、晴海、銀座、日比谷、四谷、新宿。誰もが知る都会の道を走っていく。
夏の痛ましい驟雨はいつしか収まり、甲州街道を進んだ部員の車列は世田谷の住宅地を進み、とうとうゴール。
杉浦像はいつもより少しだけ目を細めていた。
いやあお疲れでした。
筆者は初めて参加したが、大いに楽しませてもらった。
これだけ過酷な競技に挑むのだからそれだけでも凄い。
実は筆者はスイムとランはやるのだが、バイクは体だけではできないのでやろうとも思わなかった。
もちろん今もそう思わない。
しかし、少しだけ興味は湧いた。
この合宿はOBのサポートだけでなく、OBとして全日程参加してくれたSさんの両親であるY夫婦が、サポートカーの並走から部員の飲料補給その他、合宿中の生活全般にわたってサポートして下さった。聞けばSさんが部を巣立った後も積極的にサポートを申し出てくださっているとのこと。
夏の貴重な数日を合宿のために割いて下さり、時に私たち教員以上に部員に厳しくも温かく接してくださり、本当にありがたい限りである。
この場を借りて感謝をお伝えします。
さて、鉄人予備軍、トライアスリートたちよ。
3日間、過酷なトレーニングであったがよくやり抜いた。
海が怖く、入ることができなかったが、この期間で克服した選手もいる。
諸君は、この合宿から何を得ただろうか。その成果が現れるのは今後であり、私も大いに楽しみにしたい。