3月13日月曜日大分県日田市オートポリスにおいて開催された令和4年度全国高等学校選抜自転車競技大会に高校生3名が参加しました。
オートポリスはオートバイや自動車レースが開催される場所で道幅も広く、とてもきれいな会場でした。
前日の夜は大雨で心配されましたが、幸運にも天気に恵まれ気持ち良くレースすることができました。
オートレースで使用される内側4.7kmを4周と、そこを飛び出してさらに激しいアップダウンを作った外側8.6km4周で行われました。
結果的には全国の壁は厚かったの一言に尽きます。出走者150名中完走はおよそ30名。にちがくは誰も完走できませんでした。
あとは出場者の感想で報告といたします。
Ryo
全国高等学校選抜自転車競技大会に東京都代表として出場しました。
スタート直後は、過去のレースの反省を活かして集団の前の方へ行くことができ、集団の雰囲気を上手く掴めたと思います。そして試走の時からわかっていましたが、レースに参加している誰よりも長い下り坂からの高速コーナーが下手で、前との差が離された上に無駄に体力を使ってしまいました。レース5週目から外周もコースに入り、高低差がさらに激しくなったのですが、6週目の後半の長い下りからの登りで先頭から離されてしまい、ギリギリまで粘り、ラスト1周の鐘まで聞けたのですが、残念ながら7週目で足切りとなってしまいました。
大分県まで遠征し、全国の強豪校の高校生と一緒にレースが出来たこと、立派な会場で走れたことはとても勉強になったのですが、DNFという結果となってしました。大分まで引率してくれた先生、応援してくれた方々、どうもありがとうございました。
>>>>にちがくでは一番最後まで生き残っていました。初めに先頭集団の方に付いたのが正解でしたね。下りの練習は日頃の練習ではあまりできません。部員のレベルも様々ですし、危険が伴うからです。このような大会を多く経験して下りで差がつかないようにするしかないですね。よみうりランドでも少しだけ意識しましょう。棄権にならない程度に。
Cloud
今回は自転車の全国選抜大会に出場させていただきました。結構自信はあったのですが結果を残さず途中でカットとなってしまいました。
真ん中でスタートしてから端の人が真ん中に寄ってきてどんどん後ろに下がってしまって第一集団から遅れてしまい、後ろの集団にいたけどペースが遅かったので単独走をしました。しかしなかなか追いつけず前との差がついてしまってカットとなってしまいました。自転車ではやはり位置どりも大切だと実感しました。この反省を生かしてまた頑張っていきたいと思います。
>>>>にちがくの他の2名よりスタート位置は苦手な集団のど真ん中でした。道幅は広いので、遠慮せずどんどん前に行くしかないですね。ここを何とかしないと次の関東も苦戦が予想されます。合宿では集団が作れないので、できるだけ自転車のレースに出よう。先頭集団の一つ下の集団が遅いと感じたとしたら、本当にもったいない。次はスタートからいかに前に行くかだけ考えておく、このような大会に出場して慣れる、しかないと思います。頑張ろう!!
Yamato
>>>>>家族の都合で山梨に一家転住。次はライバル同士です。関東大会で会いましょう。にちがくも絶対負けないように練習します。
今回の選抜大会はもう一つ私にとっては重要な意味がありました。
日本学園トライアスロン部が自転車ロードレースに出場し始めて9年。選抜大会が視野に入るようになった4年前から心に決めていたことを今回実行できました。
東海大学熊本キャンパスの震災遺構を訪問し、その地震の大きさを実感し慰霊することを決めたのが4年前。選抜大会が毎年オートポリスで開催されることを知った時からです。
トライアスロン部の創成期を支えてくれた大野睦君が2016年に震災の犠牲になって以来、どうやったら自分の気持ちを天国の睦君に伝えられるか言葉が見つからず、ずっとモヤモヤしていました。
「あれからもトライアスロン部を続け、一緒に練習を頑張って自己鍛錬してきたトライアスロン部の後輩がここまでレベルを上げて選抜に出場できるまでになったよ」「これも大野のような先輩がいてくれたおかげだよ」といつか言いたくて、今日まで頑張ってきました。やっと今回実現しました。
レースそのものは厳しい結果であったけど、また現在とこれからの部員が大野の後を脈々と受け継ぎ、「いつかこの地でより良い結果を残せるよう一層努力するよ」と心に誓い、熊本を旅立ちました。また来るぞ、大野。
東京に戻りお母様にもあれから初めて連絡を取ってみました。どうやら新しい農学部キャンパスが益城町に完成するにあたり震災を後輩に伝え、命を学ぶ農学部の建学の志として震災の記念碑を建て、そこに犠牲になった睦君を含めた3人の名前を刻むと大学関係者が大野さんに報告してきたとのことでした。とすれば、またさらに後輩と努力を重ね、その完成した記念碑の前で手を合わせるために選抜にまた出場しようという気持ちを新たにしました。