来年(未来)のことを言うと鬼が笑うといい、昔を語るのは年をとった証拠だという。では現在はというと余りに目まぐるしく移り変わる毎日。誰もが刹那主義になりそうな危険性を秘めた今日この頃。だから笑われようが年寄り扱いされようが、昔を懐かしみ誰彼構わず話し、話題を共有したくなるのは現実逃避と言うより、疲弊した心身を束の間でも休めたいとする無意識のSOSではないか。タイムマシンで自由に時間旅行を楽しめたら?という問いに過去に戻りたいと答える人は多い。帰巣本能じゃないけどそこには充実も後悔も一緒くたんになった経験が詰まっているから自分を慰めるには打って付けなんだと思う。
夏を制せられるか否かの3年生のを見ていると知らず知らずに私が高校生だった頃を思い出す。(それもSOSと言えるかは不明だが)。受験生だった高3の夏は全く記憶が無い。ぽっかりと抜け落ちている。何してたんだろ? 高2と浪人の夏は鮮明に覚えている。全く質の異なる夏だったが・・・。私の母校は歴史が日学並みに有り、前身は農業高校だった。地元では愛された学校だったが偏差値は見事に反比例していた。だから受験!なんていう空気からはほど遠く、進路指導は就職の斡旋でしかなかった。バブル弾ける前だったので高望みしなければ何処へでも就職でき、高卒でも給料もそこそこ良かった。大学進学を考えていたのは30/500人ほど。実際、大学に行けるのは10/30人。先輩も同級生も皆、地元の企業に就職し、流行の車に女の子侍らせて青春を謳歌していた。ソアラ、180SX、スープラ、スカイライン、フェアレディZ、EUNOS、MR2等々。ちょっと気取ってマークⅡ、シーマ、クレスタ、クラウン、ローレル、グロリア、セドリック等々。数え上げたら枚挙にいとまが無い。矢沢やホットロードのカッティングステッカーを貼った車が溢れてた。こっちはいつになってもチャリンコなのに・・・いいなぁ・・・。
そんな千葉の底辺高から大学受験をしようなんて無謀でしかない。鬼も引き攣った笑顔になるはず。準動詞も用言も分からなかった。「earthquake」の意味もわからなかった。だから「びりギャル」と呼ばれる女子高生の受験体験記に「あっ、俺と一緒じゃん」と妙な親近感を覚えたくらい。そんな〝房総の馬鹿〟が教師になる!と思ったのは予備生の時。馬鹿が何、教えられんの?と更に馬鹿3にされるので誰にも言わなかった。それまではなんとなく大学いっといた方がいいっしょ!位のノリで勉強とは呼べない行為をしていた。自己満足。だけど目標見つけてからは意識変わったのを覚えている。自由を謳歌してる仲間と距離置いてひたすら勉強した。誘惑物に目を貸さず睡眠時間以外は全て勉強に充てた。苦しかったけど負ける気はしなかった。1時間かけて津田沼の予備校に行ってた。同じ境遇の仲間と将来を語り合った。なつかしいなぁ~
今でも何かで耳に入るとフラッシュバック出来る曲がある。そのころ井上陽水の「少年時代」が流行ってた。浜田省吾の「悲しみは雪のように」、槇原敬之の「もう恋なんてしない」もあったなぁ。ちょっと遡ってキョンキョンの「あなたに会えて良かった」、小田和正の「ラブストーリーは突然に」はイントロのチャカチャーンに痺れた人も多いはず。でーも私が一っ番高校生に戻れる歌はプリンセスプリンセスの「世界で一番暑い夏」なんです。それにまつわるエトセトラはあるのですがそれはまた何れ。
すったもんだして大学には入れたけど〝やったー!!〟というより〝よかったぁ・・・〟といった安堵のほうが大きかった。千里の道も一歩からというけれどほんとに時間かけて千里を踏破した受験勉強だった。
この度、高校生を励ますような内容をと依頼されたが、全く趣旨に反した内容になってしまった。勝手に昔を回顧して〝あの日に帰りたい〟なぁ、とか〝どんなときもぼくはぼくらしく〟って思ったりしたけれど、やっぱ18、9の頃は忘れられませんね。〝思い出が美しすぎて〟そう思うのではなく、将来を世間知らずのガキがガキの理論ながらも真剣に考えたからかもしれない。まさにハイティーンブギ。
よく過去を振り返るな、っていうけれど振り返られる過去を持っている方がなんか生きているって感じがする。まぁ後悔ばかりでめそめそしてるのは御免被るが。路頭に迷っても挫折しても駆け込める場所があるのって自力で乗り越えられそうな気がする。だから過去がある人はそれだけ人間の厚さ、深さを示してくれそう。だからといって遮二無二思いで作りをするのは馬鹿げているから、せめて今を必死になって生きろと諸君にはいいたい。極端だけど今死んでも悔いを残さないくらい生きろ。高校の夏が人生で一番、苦しくて狂いそうで、でも俺、生きることに一生懸命だったといえる瞬間にしろ。寝食忘れるほどに〝何か一つでも何か夢中になれる物を 何か一つ胸に持ってみろよ〟いいな?夏休みは後、何日?