高校1年生、1学期の読書課題は、ドリアン助川『あん』を読みました。
日本学園では学期ごとに課題図書を設定し、「読書テスト」を行っています。今年の高校一年生最初の課題図書はドリアン助川氏の小説『あん』。映画化もされ、先日なくなった樹木希林さんが主役を徳江役を務め、大きな話題にもなった作品です。私は3年前にも本校の高校生に読んでもらいましたが、考えさせることも多かったのか、生徒たちの反応がとてもよい小説でした。
『あん』に登場する「天生園」は、「全生園(ぜんしょうえん)」といって東京の東村山に今も存在し、1996年に「らい予防法」が廃止され、隔離政策がなくなった後も多くの元患者(回復者)が暮らしている、私たちの身近に実在する場所です。
数年前に生徒たちにこの小説を課題図書とした際、この施設を訪問しました。併設されている国立ハンセン病資料館は、古代から続くハンセン病患者への差別の歴史、ハンセン病患者に対して過去において政策として行われた事柄や、「全生園」での人々の暮らしについても展示されています。
○「ハンセン病」の歴史
皆さんはジブリのアニメ映画『もののけ姫』を観たことがありますか。映画の中で、エミシ御前が組織する「タタラ場」で、「石火矢(いしびや)」を作っている人々が描かれています。彼らは全身を包帯で巻かれていますが、実は彼らはハンセン病を患った患者たちです。『もののけ姫』は室町時代の設定とされていますが、中世の時代においても差別され、社会の中で冷遇されていた人々を、エミシ御前は「石火矢」を作らせるという形でタタラ場の中に受け入れていたという設定がされています。
明治時代になり、「らい菌」が発見され、ハンセン病は細菌により感染する病だと分かり、国は1907年に制定された法律により、まずは放浪している患者を施設に隔離し始めます。さらに、国は1931年には「らい予防法」を制定し、全ての患者の強制隔離政策を始めます。実はらい菌の感染力は強くありません。しかし、恐ろしい伝染病であるというイメージを作ることによって、ハンセン病患者の隔離を推し進めます。また、「無らい県運動」という、自分たちの県からハンセン病をなくそうという運動が全国的に行われ、患者は密告され、患者を出した家族に対する差別や偏見が助長されていきました。
『あん』の中でも出てきますが、患者は隔離された生活を強いられるだけではありません。園の中での生活は自分たちで全てまかなうことが基本とされ、患者は、農作業、建築など様々な仕事に従事させられました。もちろん、病気により手足が思うようにならない方もいたわけです。さらに、患者間で結婚をする場合、男性患者は、子どもを作れないように断種手術を受けさせられ、女性も妊娠しても堕胎手術を受けさせられるという、偏見に基づいた、医学的根拠のない誤った知識による甚大な「人権侵害」がなされていました。
そのような「らい予防法」が廃止され、隔離政策に終止符をうったのは1996年。ほんの23年前のことです。
○「全生園」
その療養所である「全生園」には、私が訪れた3年前の時点では177名の回復者(元患者)の方々が暮らしているとのことでした。すでに特効薬が開発され、全員が完治、今はハンセン病の「患者」はいません。もちろん、隔離政策がなくなった今は、療養所の中で暮らさなくてはならないというわけではありません。しかし、数十年もの間隔離されて暮らしていたのに、すぐに社会の中でうまく生活できるわけでもありません。親類や縁者の元で暮らしていても、やがて園に戻ってきてしまう人も少なくないそうです。
『あん』の中で、千太郎とワカナちゃんが徳江さんに会いに行った時に面会に使っていた食堂も園の中にあります。その時、私も立ち寄ってみました。店内には、物語に登場する「塩どら焼き」が売っており、思わずうれしくなりました。
そこでは、映画『あん』の製作に携わった女性の方が、映画の完成後、食堂の経営に携わっており、色々な話を聞くことができました。特に印象的だったのが、Mさんという今も全生園に暮らしている元患者の女性についての話で、彼女は、東京コレクションというファッションショーにモデルとして出演依頼を受けて、出演したという話でした。
またMさんは、映画『あん』の中で、徳江さんの友人であるヨシコちゃんの、病気の後遺症で曲がってしまった指の実際のモデルとなった女性です。映画『あん』の中で手のモデルとなったので、映画のエンディング・ロールで出演者として名前を出すことになったのですが、彼女は自分の名前を出すと、飲食店を経営している兄に迷惑がかかってしまうと考え、名前を出すことを受け入れませんでした。そのことを彼女の兄が聞いて、「そんなことは気にしなくて良い、お前は自分の思ったとおりに生きろ」と言われたそうです。そんなこともあり、ファッションショー出演の依頼が会ったとき、迷わずに出演を決めたとのこと。
ファッションショー当日、彼女はどういうわけか2時間涙が止まらなくなったといいます。そして、後になって初めて、これが生まれて初めて流す「うれし涙」というものだと気づいたのだそうです。八十を上回る人生の中で、想像を絶するくらいの「悲しみ」や「悔しさ」や「怒り」の涙を流してきたことでしょう。そして、人生の中でうれし涙を流すような喜びに出会ったことが今までに全くなかったということに私は愕然とさせられました。
しばらくすると、食堂にちょうどMさんが現れ、私もお話をさせていただきました。「もう、八十過ぎのおばあちゃんよ、おしゃれなんかしないわよ」と言いつつも、七十過ぎのうちの母親が着ることなど考えつかないような、美しい光沢のブルーの布でできた服を身につけていました。
どんなに苦難な状況にあっても、どんなに辛い思いをしても、夢を見続けようとする、難しいことですが、そんな人間の強さに心打たれました。
『あん』という小説が感動的なのも、徳江さんの最後まで夢を見ようとする姿勢ゆえなのだと思います。
『あん』を読んだ一年生諸君も、ハンセン病資料館と全生園にぜひ一度訪れてみてはどうでしょうか。現在では、園内は誰でも入れて、地域の方々が散歩を楽しんでいるそうです。訪れた際は、「なごみ」という食堂に行っていると良いと思います。きさくなスタッフの方々が色々とおしゃべりしてくれると思います。