サッカーの日本代表に多くの外国人が監督を務めた。多くの監督がいる中で私は「トルシエ監督」が選手に残した言葉が好きだ。
一学期終業した君たちにトルシエ監督が残した言葉を紹介しよう。(朝日新聞天声人語より抜粋)
2002年6月18日宮城で行われたワールドカップ決勝トーナメントで日本はトルコに対し-1と惜敗した。
試合終了後、一人一人の肩をたたき、抱擁(ほうよう)しながらトルシエ監督は選手をねぎらった。選手は唇をかみ、うなだれ涙を流していた。こんなとき「よくやった」と言っても仕方ない。選手にとっても「負けた」という悔しさだけだろう。
ワールドカップの日本代表は敗退した。ここまでよく来たと言う思いと、ここまで来たらもう少し上へという思いが交錯(こうさく)する中での対トルコ戦だった。実際チャンスはあった。しかしゴールを割ることはできなかった。
スターを集めたフランスから1点も得点することができないまま敗退した。サッカー熱でいうと当時出場国中では最下位であろう米国がベスト8に勝ち進んだ。いろいろある大会だ。できればもう少し日本代表の試合を見たかった。
「日本は作法を重んじる国だ。ぼくの息子たちにはリアリズムを忘れることなく、エレガントにプレーするよう命じよう」。4年間日本サッカーを育ててきたトルシエ監督は、自著『情熱』にそう記した。ぼくの息子たちとはもちろん選手たちのことだ。「リアリズム」とは一種のずるさで、例えばそれはファウルぎりぎりのプレーで相手選手を阻(はば)む。「エレガント」、つまり上品で美しく。この両立はなかなか難しい。しかし、トルシエ監督の目標に日本選手は近づいたのではないか。
私は思うが、夢のみを追いかけ、現実に目をそむけることは自己の成長のプラスにはならない。だからと言って現実のみを直視した生活も、これもまた同じく自己の成長にはつながらない。
これから進路選択をする君たちへ。夢や希望と言う大きな目標を持つことは大切だが、現実も直視すべきではないか。だからこそ『リアリズムを忘れることなく、エレガントに』ではないか。2学期にコース選択をするために、この夏休みは自分の将来を想像する時間を設けてほしいと考える。