朝も夕も混んだ京王線。車内は老若男女問わず、誰しもがスマート・フォンと戯れている見慣れた光景。試験シーズンには高校生がノートや参考書を広げていることもあるが、新聞、書物を読んでいる人はまず、いないのが日常。競馬新聞と赤鉛筆を手にした人たちの集中ぶりが懐かしい。今は車窓に目を遣り、多摩川を見る人もいない。朝日に目を細める人もいない。あの小さな機器は誰をも虜にする魔力を持っている・・・。私はいつも本か新聞を読んであるが、きっと端から見れば私の方が希有な存在に映るだろう。まっ、私は私。
小春日和の今日の授業。
2年生を教室から中庭に連れ出し、皆で読書に勤しんだ。持論だが読書に読み方も作法もないと思っている。下手に型にはめてしまうと本の持つ耽美な世界を堪能できなくなる。だからできるだけリラックスした雰囲気で今日は読めるよう細かな指示は慎んだ。生徒たちは各々の姿勢で限られた時間を楽しんだ様に思う。部活の声をBGMに読み耽っていた。季節柄、風は時折冷たく吹くも日の光は暖かく、日向ぼっこも楽しんだ。故寺山修司が「書を書を捨てよ、町へ出よう」という著書を出した。〝若い人達は、あんまり本にばかり齧り付いてないで、つまり、街はもう書物なんだから〟と書物から学ぶのではなく社会を感じろ、というような「ハウツー人生の歩き方」なる内容だ。でも皮肉にも今はその逆が求められる。「ネットを捨てよう、本を読もう」と。
今日の授業はのんびりした時間、でも貴重な時間を生徒と共有することが出来た。
たまにはこんな授業もいとをかし。