毎年、戦争に関する本を必ず読むようにしています。小説であれ、評論であれ、極限状況に置かれた人々の心情をリアルに想像しながら読むので、読み終わった時はかなり疲れています。
今年の本は、第11回アガサ・クリスティー賞大賞受賞作、本屋大賞受賞作逢坂冬馬著『同士少女よ、敵を撃て』です。どこの本屋に行っても入り口に大量に平積みされていますので、この印象的な表紙に見覚えがあるのではないでしょうか。
1942年、ヒットラー率いるナチスドイツによってソビエト侵攻が行われていた時代、母親をはじめ親しくしていた村人全員が虫けらのように殺害され、故郷は思い出とともに焼き払われてしまった少女セラフィマを主人公とする物語です。彼女は復讐を心に誓い、優れた狙撃手として「成長」していきますが、たとえ敵であっても人を殺すことに葛藤があり、命にこだわり続けるのです。戦場の狙撃手でありながらそのこだわりを捨てずにいることは、自らの命を危険にさらすことでもあります。しかし、そういう姿に親近感を抱く人も多いでしょう。セラフィマとともに緊迫感あふれる戦いの一瞬一瞬に引き込まれ、時間を忘れます。
折しも今年2月25日、ロシアによるウクライナ侵略戦争が始まりました。私など、21世紀の現代に小さな民族間の対立はあっても、大国による侵略戦争は起こりえないのでは、と漠然と考えていましたが、現実に起こってしまった。
戦争は人間をいともたやすく悪魔に変えます。この小説よりさらに悲惨を極めた現実が、今度はウクライナの各地でこの瞬間にも起こっているのではないでしょうか。また、エネルギーや食糧不足など、この戦争の影響はグローバルに広がり、対岸の火事とのんきに構えていられなくなってきました。
今起きている戦争と小説の立ち位置は全く異なりますが、戦争を現実感をもって感じとるには、実にタイムリーな出版だったと思います。作中ウクライナ人の狙撃手が死の間際に叫んだソビエト国に対する言葉は、二国間の確執が根深いものであったことを伺わせます。著者逢坂氏もこの戦争が1年前に起こっていたなら、この小説は世に出ていなかったという主旨の発言をされていました。
とはいえ、私たちの命を支える地球に目を向けると、温暖化による異常気象、大洪水、昨年はオーストラリアを、今年は南ヨ-ロッパを襲った熱波、それによる森林火災、終息の兆しの見えないCOVID19などなど…。ここ数年の地球環境の悪化は私たちに、戦争なんかやっている場合じゃないぞ、人類が危ないぞ、と警鐘を鳴らしているように思われてなりません。
一刻も早い戦争の終結、または休戦を成し遂げてウクライナに平和が訪れることを、心から願っています。