1月の高校推薦入試から始まった入試も2月の中学入試を経て、14日の高校第2回入試で終了しました。ほっとする間もなく今月末には学年末試験も控えていますから、3学期は、教員にとって試験に追われる学期となります。
そんな中ありがたいのは、試験作成から採点、成績処理に至るまで大活躍してくれるIT機器です。お陰様で作業を能率良く短時間で終えることができました。授業もipadを使えば、重い「便覧」を持ち歩いたり、図説や資料などの副教材を作成したりする手間もありません。授業中の板書事項はあらかじめ準備したノートをPowerPointで写しだせば、何クラスも同じ内容の板書をしなくて済みますし、それを見せながら前回の授業内容の確認や復習をすることも可能です。宿題や小論文はアプリを使って提出させ、採点もの添削指導もipad上でできて便利である事この上なく、教育上のツールとしてその恩恵に浴していると言えます。
ところが2022年、生成AIのひとつチャットGPT(以下「チャット」)が登場して、にわかに心穏やかではいられなくなってきました。チャットは質問に対する回答や文章作成ができ、さらに高度な対話ができるようデータを蓄積し、自ら学習していきます。私たちが生まれた時から長い年月をかけて育んできた言葉をチャットはいとも簡単に操り、創造することもできる。しかし、使い方によっては、子ども達の発達に大きな影響を与えるとても危険なもののように思えます。既に、チャットを学校の授業で活用している学校もあり、そこではチャットの提案をオルタナティブなものとして参考にする、自分一人では考えられなかった深い学習ができると推奨していますが、そんなにうまくいくでしょうか。
チャットGPTの学校教育への導入について私が懐疑的になる理由は、
1.小学生はもちろんのこと、中高生はまだ言葉をつむぎ文章を作り出す文章修業の途上であり、せっかくの練習の機会をチャットによって奪われるのではないか。
2.安易な利用によって、大事な自分の考えや判断までチャットに依存してしまわないか。例えば、自分の意見を論述する課題が出された場合、はじめから「チャットに聞いてみよう」とチャットの意見を自分の意見として取り込んでしまうことはないでしょうか。
以上のことが、私の杞憂であることを願っています。与えられたテーマに対して自分はどう考えるかが何より大切なことであり、それを磨くために幼い頃から言葉を学び、言葉によって考え、創造的な活動をしてきたのではないかと思うからです。自分のオリジナリティを真ん中に据えて考える教育のあり方がこれからますます大切になると思います。
冒頭の話に戻りますが、今年度の入試が終わったということは、来年度に向けて新たな国語入試問題のテクスト探しが始まります。小心者の私は、「これ」というテクストが決まるまで、何を読んでも楽しめず、図書館や本屋巡りで落ち着かない日々が続きます。今年も新年早々「これ」を求めて大型書店を巡ろうとして、大事なことに気づきました。そういえば、テクスト探しはもうしなくていいのです。何しろ定年退職するのですから。そして、日本学園のこのコーナーにお邪魔するのもこれで最後となりました。皆様、今まで本当にお世話になりました。ありがとうございました。