私は福岡ソフトバンクホークスのファンです。
今シーズン、ホークスは4年ぶりの日本一を目指して日本シリーズに臨みました。
貴重な優勝の瞬間をこの目で見る為、私も張り切って3日間横浜スタジアムへ応援しに行きました。しかし、結果は2勝4敗で負けてしまい、逆に目の前で相手チーム(横浜DeNAベイスターズ)の胴上げを見ることになりました。悔しさはもちろんありましたが、一プロ野球ファンとしては優勝の瞬間を見ることができた感動もありました。(写真も撮りました…)
短期決戦の難しさとして、ホークスの監督である小久保裕紀監督は以下のように答えていました。
「難しさというか、流れ。何のプレーかっていうのは別になかったんですけど。本拠地に帰ってから今日まで、そういう風に流れがこなかった。」
あぁ、「流れ」か。
スポーツにおいて、「流れ」という表現を用いられ指導や解説をされることが多い。しかし、私はその表現は適切なのか疑問に思います。
もちろんスポーツをする上で、メンタルは非常に重要なものといえるでしょう。
おそらく、多くの指導者は流れというものが本当に存在しているかどうかより、流れという言葉を使って選手の気持ちを落ち着かせたり、切り替えさせたりするために使っているではないかと感じます。
良い雰囲気で安定している状態を「良い流れ」といい、その場で選手の気持ちを乗せる意味合いで使い、逆に失点やミスを重ねてしまい、劣勢な状況である選手を、「ここ一本取ったら『良い流れ』がくる」、「今はただ我慢のときであり、実力では負けていない」と、気持ちを切り替えさせるために使っているのではないでしょうか。
このように指導者が試合中の選手のメンタルを安定させるために使うのはいいと思いますが、試合後の反省で使ったり、解説者が使ったりしているのはどうなのか…。
試合を客観的に観測し、生じた結果に対して優劣の判断を「流れ」という目には見えない概念に任せるのは、雑なように感じてしまいます。
また、私が危惧していることは、この「流れ」という言葉・概念が独り歩きして、何に対しても「流れ」を言い訳に使ってしまわないかということです。
先日、ある生徒が中間テストの点数を見て、「今回のテスト流れが悪いなぁ」と言っていました。
別の生徒は数学の授業中に「今日の数学流れが来ないから全然正解しないなぁ」と言っていました。
それは本当に「流れ」・・・?
あまり物事の結果を「流れ」という目には見えない概念に任せないようにしたいですね。
来年はホークス勝つと良いなぁ。