杉浦先生の漢詩「自訟」について少し話をしましょう。詩は「登嶽小天下 自誇意気豪 其奈山上山 仰之一層高」です。読み下し文にすると「嶽(がく)に登って天下を小(しょう)とす、自ら誇る意気の豪(ごう)なるを、其(そ)れ山上の山を奈(いか)んせん、 之を仰げば一層 高し」となります。
杉浦先生が、いつ、どんな時にこのような詩を詠んだのか不明ですが、汗をかき息を切らして頂上に着いた時には「目標の山を登りきったぞ!」という気持ちになったのが想像できます。頂に立ち、登ってきた道の遥か彼方を望んでみると、今まで大きく見えていた社や屋敷などが小さく見え、その小ささに対し自分が大きくなったことを感じずにはいられなくなります。さらに清々しい空気を胸いっぱいに吸い込み、辺りを見渡すとどこまでも続く青い空、遠くには多くの山々が連なって見え、その展望の素晴らしさに暫し充実感と満足感を味わったことでしょう。するとますます自分の気持ちが高ぶり「どうだ一山征服したぞ!」と気持ちにさえなります。
ところが、息を整えて落ち着いてみると、今登ってきた山よりも更に高い山々が目の前に広がっているのがわかってきます。苦労して目標の山を登ってみたものの、まだ高い山はあるではないか。これをそのままにしておいてよいものか。今度は、その山をどうしてくれようと腕組みをしたのではないでしょうか。(山を登ったことで満足している自分が小さく見え、こんなことで満足していてはダメだと思ったのかもしれませんね)
杉浦先生は明治・大正の大教育者です。生徒諸君の前で詩を吟じることもしばしばあったようです。きっとこの詩も何かの機会に披露されたのではないでしょうか。この詩を通して生徒諸君に伝えたいメッセージは、何だったのでしょう。
目標を立て、それに向かって邁進し、貫徹した時には大いに満足感を味わいなさい。けれども、それはほんの一時のこと。それに満足し歩みを止めるのではなく、さらなる高みへの目標を立て成長して欲しいということでしょう。
ここまで話すと、ちょっとお臍(へそ)が横に付いている人は「なに、高い山なんて言ってもエベレストに登ったら、それ以上に高い山はないじゃないか」となるでしょう。でも、どうでしょうか。「高い山に登る」と高さだけを競ったら、それ以上はないかもしれません。でもエベレストに登ると言っても気候のいい時期に登るのと秋季や冬季に登るのでは同じ山でも様相が変わります。また登りやすいルートで登るのもあれば、難易度の高いルートで登る。さらには少人数や単独で登攀する。あるいは無酸素で登るなど、同じ山を登るにしても工夫次第でいろいろな登り方ができ、心がけ次第で自分への挑戦ができます。
学びも同じで、例えば数学の問題を解くにしても力技で強引に解く方法もありますが、公式などを使ってできるだけシンプルに美しく解く方法もあります。どうやって美しく解くか工夫することで新しい発見が生まれるかもしれません。
自分の立てた目標をどのようにして達成してゆくか。また達成したらそれに満足せずに新しい目標を立て、常に自分を奮い立たせ、工夫してさらなる目標に邁進し自分を成長させてゆくことが大事だと先生は伝えたかったように思います。
今日から二学期が始まります。杉浦先生のメッセージを深く読み解いて、自分への挑戦課題を明確にし、新たな目標を立て、自分の成長の糧としてください。
(写真は今日の始業式で全校生徒の前で話をする水野校長)