――『ちょボラ』ちょボラとは「ちょっとしたボランティア」の略で、AC(公共広告機構)が提唱したキャッチフレーズである。ボランティア団体に入ったり、被災地に行くといった大がかりなものでなく、日常の中で出来るちょっとしたボランティアをすすめるものである。CMではゴミ箱の周りに散らばったゴミを片付ける。車椅子の人のために道をあける。子供が横断歩道を渡ろうとするとき、一緒に渡る。老人がバスから降りようとするとき、手を貸すといったことが紹介される。(日本語俗語辞書)――
学校からの帰り道、自宅のある最寄り駅で白杖を携えて歩く男性の姿を時々目にする。介助者もなく一人で歩いているので表情に特に動きはない。一点を見つめた感じで白杖を操る。周囲の雑音の合間を縫ってカツ、カツという絶え間ない音だけが響く。全盲なのか弱視や視野狭窄なのか分からぬが杖を目の代わりに歩くその姿は私の歩みを鈍らせる。それからその方の行く先を見、転んだりぶつかったりせぬようにと要らぬ心配をしてしまう。次いでどうして白杖をつくようになったのか、生活の不便は、心の有り様は等と考えてしまう。私は幼い頃から目だけは大切にしろと両親からうるさいほどに言われてきた。その甲斐もあってかこの年になっても眼鏡のお世話にならない程度に視力は保てている。それだけに視力を失った人を見るといかんともし難い思いに見舞われる。
つい先日のこと。晴れた休日に思いがけずその方を駅ではなく家の近くでお見受けした。その時は一人ではなく小学生と思しき女の子と並んで歩いていた。娘さんは介助をしている素振りを感じさせない寄り添い方で、お父さんとのおしゃべりを楽しんでいる。――お父さんの表情は―― 。柔らかな表情で優しげに応えている。時折、2人に笑みがこぼれる。勿論、会話の内容は聞こえないがあまりにもほのぼのとした雰囲気の二人に目が離せなかった。どこにでもいる当たり前の父娘の語らい。それなのに筆舌し難いほどに美しい。
かつて登戸の駅で階段から落ちそうになった白杖を持った方を抱きかかえたことがある。川崎で登りエスカレーターに乗っていたら、前の女性が貧血だろうか、仰向けに倒れて来てやはり抱きかかえたこともある。咄嗟のことだったが我ながらよく、体が反応したものだと思う。
1995年1月に起きた阪神淡路大震災に端を発してボランティアを推奨するような運動が社会現象のように全国に拡がった。学校も例外ではなく定期的に全校で居住地区を清掃したり、福祉施設を慰問するなどそれぞれの解釈で積極的に取り組んでいた。
そもそもボランティアとは「無償かつ自発的に社会奉仕活動に参加したり知識や技術を提供すること」と定義されている。どうも敷居が高い感じがするがちょボラだったら誰もが簡単に出来る行為と思う。むしろいつもやっていることってボランティアだったの?と気づくかもしれない。〝やってあげているのだから〟という考えではなく、何かの拍子に「ふと」「おもわず」動いた気持ちが成せる業であろう。
3年生の進路実現のお手伝いで小論文指導や面接の練習につきあう。皆、世の中を難しく、将来を漠として捉えている。でも肩が凝ってしまう程に真面目に考えている。真剣に考えることも大切だが「ふと」「おもわず」の衝動的な行為、ちょボラをヒントに将来を考えたらもっと楽しいものになるのではと思わずにはいられない。肩肘張らずリラックスし過ぎずが理想だがやや難しいか。1,2年生が早かれ遅かれ進路を考えるときが来る。今のうちからちょボラをたくさん経験していたほうがきっとスムーズにことが運ぶと思う。以上、話があちらこちらに行きましたが、言いたいことを老婆心から申し上げさせていただきました。