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トライアスロン部

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卒業にあたって

投稿日2019/3/21

3月9日(土)高校卒業式でトライアスロン部から5名の部員が巣立っていきました。この3年間を振り返ってコメントしてもらったので、紹介いたします。

油井明澄(部長)
自分は、単願で日本学園に入学しトライアスロン部に入部しました。
1年の時は最初の部活で怪我をして思うように練習が出来ず焦りました。けど最初の大会で先輩方と一緒にレースをした時は憧れと、この人達に負けたくないと思いました。そこからは練習を沢山しました。その中で自分は3種目の中で自転車が1番得意だと気づき高体連の自転車競技の部に出場してこの中で勝ち残り関東大会、インターハイに行きたいと言う目標が出来ました。そして初めてのデュアスロンのU-19の大会に出れました。その中で1年では自分、2年で斉藤先輩、3年で浅野先輩という学年で1人ずつという形となりその中で1番を絶対に取りたいと思いレースに望み勝つことが出来たということは自信に繋がったレースでした。
2年では後輩が入ってきてその中でスイマーが多くて自分は勝てなくなるかもしれないという焦りが出てき彩の国、渡良瀬では何とか勝てましたがギリギリでほんとに焦ってたことを思い出します。その中で自分も速くなったことを実感しました。それは記録会でランので後輩に負けたくないと思い9分台を出すことが出来た。こういう切磋琢磨出来るのは日本学園であったからだと思う。
3年では、部長となりチームをまとめつつ自分が率先して何事もやらないといけない立場となりました。その中で高体連で関東大会に出場することが出来さらに自信になりました。けれど関東大会は中止となりインターハイという夢は敗れました、ほんとに悔しかったこれが理由にならないけど自分の中で練習しても意味がないと思ってしまうようになりだんだん練習にも行かなくなってしまった、部長としてなんでこんなことをしてしまったのだろうかとほんとに後悔している、後輩に最後まで部長としての姿を見せることができなかった後輩に申し訳ないと思う。そして同級生にも心配をかけてしまったほんとに申し訳なかった。
そしてその時は自分は仲間に支えられていたと感じました。多分は自分は同級生がいなかったらレースでは結果を出せなかっただろうほんとにありがとう。
そして顧問の堀越先生には、たくさんのアドバイス、たくさんの励ましの言葉を貰ったその言葉をいかしてこれからも頑張ろうと思う。
最後に日本学園トライアスロン部の保護者さんにはたくさんお世話になりましたありがとうございました。

>>>中学生までバスケをやっていて運動神経の塊のような選手でした。スイムも初心者で6分丁度くらいから5分12秒まで短縮。もっと毎日真剣に泳いでくれればさらに伸びた可能性は大いにありました。1年生は自分が伸びるをの感じて面白くて仕方なかったと思います。確かに後輩がスイムが得意な選手が多く焦ったでしょう。それでもバイクで楽々抜いていく姿に頼もしさを感じました。その後輩もトライアスロンに慣れてくると本気でやっても勝てない時は悔しかったでしょう。そこで「得意な道で成功すればいい」という校祖の言葉にもある通り、高体連自転車競技でトライアスロン部初の関東大会出場を達成してくれたのは歴史に残る快挙です。この伝統はきっと後輩が継続してくれるでしょう。学校が垂れ幕を用意しましたからね。関東大会が雨で中止となり、東京都予選の結果そのままがインターハイ出場権利を得るという決定はとても悔しかったのは痛いほどわかりました。自分のすべてを奪われる気分です。まだ立ち直っていないのではないかと心配ですが、持ち前の明るさで将来を生きてほしいと思います。自転車レースはまだたくさんあるし、国体や日本選手権を目指すこともできます。また明澄君をきっかけにお姉さんがトライアスロンに挑戦しています。そのサポート、練習相手となり、二人で競技力を高めていくのもいいなあと想像しています。楽しみにしています。

北島翔(副部長)
トライアスロン部での3年間は私にとっては自分の弱い部分を強く痛感するきっかけとなりました。例えば、今まで疎かにしていた柔軟です。柔軟をする事によって股関節や肩関節の可動範囲が広がり足や肩が動きやすくなります。しかし、股関節や肩関節は簡単には柔らかくならない上に、柔軟はとても痛いのでなかなか続きませんでした。その結果、いつまでたっても身体が硬いままで他の人より遅くなってしまった原因の1つです。ここから学んだことは、強くなるためには多少きつい事でも必要ならば根気強く続ける事の大切さです。
2つ目は自分の意見を通すことの必要性です。私は今まで他人の意見に従ってばかりでしたが、それでは他人が失敗してしまった時に人のせいにばかりするようになってしまいます。実際、高校1年生の時には陸上部のイベントとトライアスロン部の練習が重なったためどちらかを選ばなければなりませんでした。その時、私は親や先生からは陸上部のイベントに行っていいと言われました。しかし、部員からは練習に来いと言われ、私が戸惑っていると部員から「 自分で決めろ 」と言われました。その言葉を言われた直後は「 お前が言うな 」と思っていました。しかし、よく考えてみると陸上部のイベントに行くのもトライアスロン部の練習に行くのも最終的に決めるのは自分であると気づきました。
なので、それからは他人の意見だけではなく、自分の意見を通していこうと思いました。
これらの事を今後の糧にして将来に生かしたいと思います。3年間ありがとうございました。

>>>3年間誰よりも一生懸命に練習をしてくれました。その練習の前には準備体操が必要でその一つが柔軟です。最近は動的ストレッチを行う方がいいと言われています。練習後にも柔軟です。それはゆっくり伸ばす静的ストレッチがいいそうです。それをうまく実践できていませんでしたね。肩甲骨回り、股関節周りが硬いままでした。これは普通の生活をするにおいても柔らかい方がいいので、せっかく気づいたのですから継続してやりましょう。また、北島は人が良すぎるところが確かにありました。何事にも自分の意見を持ち、その根拠もしっかり考えて正々堂々と言える人物になって下さい。十分それができる力はあるはずです。期待しています。

 


伊倉大晴(副部長)

 

僕は高校3年間トライアスロンを取り組んできました。しかしトライアスロンへの意欲が同時に入部した2人より少し劣っていました。けれどもトライアスロン部でよかったと思っています。僕が入部した当時の部は先生と部員が一丸となって作り上げていく部活だったのでとても温かく感じました。先生とぶつかることは何度もありましたが、そのおかげで成長できた点も多くありました。たまにあった理不尽なことも今となっては笑い話です。それはそれとして僕は部内ではムードメーカー的な立ち位置になり合宿などで皆が過ごしやすくなるようにしていました。そうしたら卒業式の時に後輩から貰った色紙には合宿が面白かったみたいなことが結構書かれていたので良かったなと思った反面、肝心のトライアスロンについてのことがあまり書かれていなかったのを見て「あぁ、本当にムードメーカーだったんだなぁ」と思いました。(本当は色紙貰えて嬉しかったです。ありがとうございます。)これからの部活は大会上位を目指す競技思考と部活としてやりたい人と分かれるそうなので各々頑張ってもらいたいなと思っています。とにかくちゃんとご飯食べて、寝て、部活に励んで貰いたいです。また僕は今後出られるときにトライアスロンの大会に出場するつもりなのでトライアスロンは趣味として続けて行けたらいいなと思っています。また僕は大学を目指してもう1年勉強をします。僕の目指している道は少し変わっていて決して楽な道ではありませんがトライアスロンのように駆け抜けて必ず合格を掴み取ります。また僕の代は誰一人大学で部としてトライアスロンを続ける人が居ない、そもそも誰も大学進学ではなく専門や浪人なのに驚きました。みんなにもやりたいことがあるようなので各々頑張って夢叶えて欲しいなと思います。最後になりますが、僕は3年間とても楽しかったです。色々な思い出が溢れてきます。蛇口のように。ジャー。とにかく日本学園はいい学校なのでもし奇跡的にこれを読んでいる小中学生がいたら是非とも入学してトライアスロンを始めてみてはいかがでしょうか?そして堀越先生をはじめ、キャプテン、部の仲間たち、トライアスロン連合の方、保護者の方々、関わった数々の方にお世話になりました。本当にありがとうございます。僕は幸せです。
 
>>>確かに本当にすばらしいムードメーカーでした。ありがとう。伊倉くらいの才能のある選手が、もっと努力してくれればいいのにという気持ちから、楽しむよりもっと真剣に取り組むことを求めすぎたのかもしれません。
これからの部活は競技思考とそうでない人とありますが、この共存は難しいのですが、何となく形が見えてきました。「喜びを分かち合い、感動を共有する」ことがトライアスロン部の目的ですが、競技思考の選手であっても、エンジョイでやる選手から応援される選手にならなければきっと結果はいいものでなありません。強化と普及の2面性が共存できる部活を目指しているので、決して分かれるわけではないですよ。あと1年立派に努力して、成功をつかんでください。

土田夕亮

高校1年から3年までトライアスロン部に所属していました。自分は中学の時にロードバイクの魅力に知りました。そんな中で高校を選ぶ最中に見つけたのが日本学園のトライアスロン部でした。自分がやりたかった自転車競技も組み込まれ、小学校の間は水泳をやり、中学では野球部だったので体力には自信があったのでトライアスロンをやろうと決意しました。
1年の時はすごく良い先輩方に迎えられて毎日が楽しかったです。1番の思い出はゴールデンウィークの檜原村合宿です。初めての合宿で、自転車の基礎を学んだり、個性のある先輩方とも仲良くなれる機会でした笑。
2年の時は後輩がたくさん入ってきて部活が活気づいてきましたが、後輩が言うことを聞かなかったり、同級生の中でも亀裂が入ったりと苦労が多かったと思います。2年になって初めてのトライアスロンの大会に出場して完走した時の達成感は忘れません。
3年になり新入生が入りトライアスロン部がさらに活気づいたと思います。3年では修善寺で行われた高体連の自転車競技の大会に参加しました。トライアスロンとは大会の雰囲気も違い東京の強豪達が集まりすごく刺激を受けました。最後のトライアスロンの大会は渡良瀬でした。ランの時に共に頑張ってきた部員達に「頑張れ!あとちょっと!」と声を掛けてもらいすごく頑張れた大会でした。最後に後輩達に生まれて初めて胴上げをしてもらったのは一生忘れないです笑
3年間あっという間でしたが毎日の部活が嫌な時期や楽しかった時期がありましたが結果的に見るとやっていた練習が意味あることだったと思います。
最後に堀越先生、稲子さん、白石さん、福渡さんをはじめとする渋トラの方々にすごく感謝しています。全くトライアスロンを知らなかった自分達にトライアスロンを1から教えて下さり、毎回のように遅刻してくる自分達を叱ってくれたり、トライアスロン以外の人間性を学ばせてくれました。ありがとうございました。
この3年間のトライアスロン部の経験を活かして今後の大学生活では自転車競技の方に専念します。頑張ります。

>>>2年生の時点で少し練習から離れ、3年でロード競技に出てそれなりの結果を出していただけに、2年生でもっと本気で追い込んでいれば油井と同じように関東に行くことができたのではないかと感じていました。部活が終わってからの方が礼儀正しく、練習に参加してくれ、後輩に対するアドバイスも的確でとても成長したなあと感心させられます。今後も後輩の指導のお手伝いをしてください。

 

近藤大洋
なんとなく入部してみたトライアスロン部、最初は活動曜日や活動時間で1番安泰そうだという理由で入部した。前までメジャーなスポーツ野球をやっていたことで世間からはマイナーにみられがちなトライアスロンを軽視していたかもしれない。練習もサボることがほかの部員よりも多かったかもしれない。そんな中、時間は過ぎていき三年生引退シーズンが近づいた時、下総デュアスロン大会が開催されることを知りなんとなく出場しようと思った。でもやはり出るからには本気で取りくんでみたいとは思ったので、今までにないほど本気で努力したし工夫もした。その練習期間中にトライアスロンとも自分なりに向き合えたと思うし、仲間とも切磋琢磨できたと思う。そして本番当日を迎え怪我もなく無事にレースに出れた。しかしレース途中何度か逃げ出したくもなった。そんな時準備期間のことを思い出しあまりいい順位とは言えないがなんとか最後まで完走することができた。完走した時は気持ちよかった。
ここで伝えたいのは何事も準備をしてきた人は粘り強く戦えるということです。粘り強く戦えることで人からの感動も生まれるし応援もしてもらえるとわかった。そんなこともあって最後はトライアスロンという競技がとても魅力的に思えるようになった。トライアスロンで学んだ粘り強く戦うことを今後も生かし色々な人に伝えることができたら嬉しいです。最後にこんな僕でも面倒を見てくれた先生方コーチ方々にとても感謝しています。ありがとうございました。

>>>大学受験のため本気で勉強したいからと4月のプール掃除と共に退部しました。もともと1年生の時にNGPでオーストラリアに行き、英語では英検2級も取得して、部活の中では一番勉強をしていました。「何事も準備をしてきた人は粘り強く戦える」ということが分かっただけでも素晴らしい。勉強もトライアロンも継続力が大切。強い精神力が必要です。培ったその力で自分らしい結果を期待しています。

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