3月9日(日)高校卒業式ではトライアスロン部から6名の生徒が巣立ちました。
この学年はほぼ全員が大学でもトライアスロンを続けることが決まっており、これからも大会で会えるはずですのでとても楽しみです。
彼らの卒業文集を掲載します。部活から学んだことが彼らの人生に少しでも息づいていけばありがたいです。
Ryo
私の高校生活はあっという間でした。毎日同じ時間に家を出て、毎日同じ電車に乗る。毎日15時に授業が終わり、毎日部活に参加する。これの繰り返し、それなのにこの生活に飽きることは1度もありませんでした。
私は、中学もこの場所を選んでいて、全く新しい環境という訳ではなかったのですが、担当してくれる先生、クラスの仲間、高校生として使える学校内の活動スペースが増え、心は新鮮な気持ちで高校生活が始まりました。1年生の最初の時の記憶はほぼ無いのですが、友人が作れるかや授業のスピードについていけるか不安で学校に行くのが辛かったです。
2年生は、高校生活の中で最も濃い年で、自転車の選抜大会、トライアスロンの全国大会に出場し、普段よりも多くの経験をすることができ、2年生で出場した地方大会で優勝をすることが出来ました。体育祭では、前日の大会で足を怪我してしまったため、競技は一切出ずに応援に力を入れました。また、犬を飼い始めたり、ライブに初めて行ったのもこの年です。2年生の最後の方に、修学旅行で沖縄に行きました。飛行機が墜落したら、本州と沖縄の境目の海に骨を沈める覚悟で挑んだのですが、墜落することなく無事に沖縄に到着しました。沖縄では美ら海水族館、ガマ、万座毛、などの観光をしたり、様々なご当地グルメを堪能し、沖縄の悲惨な歴史を学びました。
3年生になると、「あっという間に高三になった」という気持ちが強く、1日1日を楽しむつもりで過ごしました。高校三年生の夏は、トライアスロンの競技に力を入れていて、3つの大会で優勝し、この年も全国大会に出場することができました。
そして、5年間続けていた、トライアスロン部を引退し、後輩に自分たちの代わりを引き継ぎました。顧問として私を成長させてくれた堀越先生、6年間ありがとうございました。
大学に入っても勉学と練習に励み、精進していきたいと思います。
>>>>にちがくでトライアスロンを始め、この6年間で大きく成長した選手です。400mスイムは7分以上かかっていたのに、今では4分30秒まであと数秒。バイクもみるみる力を付け関東大会出場2回、全国選抜にも1回出場し、トライアスロン部で初めて高体連全国大会に出場しました。ここまで成長したのも、中学での卒業論文でトライアスロンでの高い目標を掲げ、日々努力してきた成果だと思います。部長としても後輩の面倒をよく見て、卒業式後も3月末の合宿までトライアスロン部に多大なる貢献をしてくれました。こちらこそありがとうと言いたいです。
Makishi
私は兄に憧れトライアスロンをやりたいと思いこの日本学園に入学しました。幼い頃から水泳に通っており、中学では陸上部に所属していたので運動には自信がありました。ですがトライアスロンはそんな甘いものではなく、初めは結果を残すことが出来ませんでした。部活の仲間は1年生から全国大会に出場しており自分も出場したいと思えました。2年生からは一つ一つの練習を大切にし、実力の高い仲間についていくようにしました。その結果3年生になると全国大会に出場する事ができ、仲間と同じ土台で競い合うことができるようになりました。とても楽しい3年間でした。大学になってもトライアスロンを続ける予定なのでより高いレベルで良い結果を残せるよう頑張っていきたいと思います。
>>>>トライアスロンが甘くはないとわかっただけでも収穫で、その後もコツコツ練習を積み、今では本当に速くなりました。さらに体力をつければ今まで追いかけていた友人も追い越すことでしょう。ロード競技では関東大会出場、スイム400mは1分20秒は短縮、ランの3000mも9分30秒を切るほどになりました。なぜかプールやトラックでの競技会で記録がイマイチ伸びなくても、外に出ると何故か速い。ここが強さです。もっと強くなるには記録をつけることです。計画を立てることです。この2つとも苦手ですよね。これらをやって神奈川国体代表になって下さい。
Cloud
僕がこの3年間で最も苦労し、そして最も成長したのはトライアスロン競技であると思います。僕は小学生の時からトライアスロンを行っていた。始めたきっかけは特になく、父に勧められたからという理由で始めました。その時は空手や陸上競技など様々な競技を行っていたのでトライアスロンには関心が湧きませんでした。しかし、やるからには頑張ろうと思い、小学3年生の時、初めての大会に出場しました。結果は4位で表彰台に上がることはできなかったけどまさかこんな高い順位でゴールできると思っていなく、すごく嬉しかったし、すごく嬉しい気持ちになりました。もっと頑張れば優勝できると思うようになり、兄と練習を頑張るようになりました。この事がきっかけでトライアスロン競技を現在まで続けて、日本学園トライアスロン部に入部しました。
日本学園トライアスロン部では競技以外にも以外にも技術力向上のため、自転車競技にも力をいれて入学してすぐに自転車の大会に出場しました。
関東大会予選だったのでレベルが高く、緊張感がより増してしまったのもあり、先頭集団で落車をしてしまいました。初めての落車でとても悔しい経験をして来年こそ関東大会に出場したいと思い、トライアスロン競技と自転車競技の練習を必死に打ち込みました。その成果もあり、2年生では関東大会に出場することができ、トライアスロン競技でも全国高等学校選手権で6位入賞することができました。
僕は嬉しい気持ちと達成感に溢れ、また、「何事にも努力する」ことの大切さを学び、人一倍努力して頑張ろうと思うようになりました。
3年生になり、関東大会は余裕を持って出場決定することができ、次はインターハイ出場することに視点を置きました。
関東大会では自転車競技の人たちにはスプリントでは勝てないと思っていたので集団の前の方でレースを展開するように意識しました。そのおかげでスプリントの時に前の方で戦うことができて無事インターハイ出場を達成することができました。初めて自転車競技での全国という舞台で戦うということで緊張と不安に押し潰されました。人数が多く、落車のリスクがあったので前の方で走ることを決めました。レースの中盤、人数があまり減ることはなく、やはりレベルが違うと感じました。終盤になっていくにつれてペースが上がっていき、心拍が早くなり、足に疲労感を感じるようになりました。
そしてラストの直線でスプリントになり、結果は143人中21位に終わりました。ゴール直後は完走したという嬉しさが勝ってガッツポーズをしました。そのくらいこの試合にかけて頑張っていたからこそのガッツポーズであると思います。
ここまで成長できたのは先生や親のサポートがあったのとライバル心を持てる仲間が身近にいたからであり、特に先生と親には感謝しきれないと感じています。先生は生徒のことを1番に考えてくださってくれたり、親はとても忙しい中でも大会に引率をして選手へのサポートを必死に行ってくださったり、数えられないくらいの感謝の気持ちでいっぱいです。またライバル心を持てる仲間がいたことで練習への取り組む姿勢が変わったし、切磋琢磨することで互いに強くなれたと思います。
次は日本体育大学のトライアスロン部に入部します。大学での目標は勉学に励みながら競技面ではインカレ出場、そして日本選手権出場を果たしたいと思います。そのために毎日練習に励み、目標に向かって頑張っていきたいと思います。
>>>>>まずはじめに驚くのは、すごくいい作文を書けるようになったことです。いつも部活の文章をホームページに掲載していますが、深く考えて書いて欲しいなあと思っていました。こんなに考えて自分の気持ちを振り返られるようになれば、もっともっと強くなれます。今回の文章では本当に本気で頑張っていたことがよく伝わりました。親への感謝は忘れずに大学でも小さい目標から少しずつ大きくしていこう。私も目標にしていたインターハイを達成してくれてありがたいと思っています。ここまで来るのに約20年ですからね。Ryoとともに3月末の合宿まで後輩に技術を伝え、先頭を走って背中で見せていました。いつまでも後輩の目標になるよう、さらに人間力を向上し、競技力を上げてください。
Ryunosuke
私はトライアスロンに打ち込むために日本学園に入学しました。最初の頃は頭の中がトライアスロン1つで、毎日授業が終わったら直ぐに部活に行き1番最初に準備を開始したり、部活がない日にはチームや個人で練習を行いました。そしてU15日本選手権の出場権を獲得し、今まで以上に一生懸命練習に励みました。そんな中、新型コロナウイルス感染症拡大の影響でU15日本選手権は中止、その年の大会は全て中止・延期になり、モチベーションは地のどん底にまで落ちました。しかしそれでも立ち直り、次の年のU19日本選手権を目標に練習を開始して2ヶ月後、新型コロナウイルスに感染しました。体力はどんどん衰え、後遺症で咳が残り、完全に治ったのは感染から2ヶ月後でした。4月の終わりから死ぬ気で練習し直し、U19出場基準を突破、完全復活してU19初出場を果たしました。その年はひと段落つき、3学年に進学しました。3学年進学と同時に目標大学を順天堂大学に決め、勉強と競技実績共に前進する為、文武両道を目標に頑張ることを決めました。最初の目標として、U19出場を目標に認定記録会に出来るだけ行き、少しずつ記録を更新することを目指しました。その結果、出場権を得ることができ、無事に完走することができました。そして、U19が終わった次の日から受験勉強に集中し、あまり練習ができていない状態で最後の高校生選手権を迎えました。大会前日夜から会場の佐賀県唐津市はゲリラ豪雨に見舞われ、そのまま早朝になりエリアメールの警報で起きました。そして、安全を考慮して大会は中止となりました。横では、後輩が悔しがっていましたが、正直心の中では、「お前らはまだ来年再来年あるだろーが」と思いながら悔しい気持ちを抑えていました。ですが、私はまた直ぐに受験勉強に方向を向けて頑張り、それから毎日のように18:30まで学校に残って勉強をしていました。そして、受験は無事に終わり、高校生最後の大会である、日本エイジグループチャンピオンシップに出場しました。正直あまり練習が積めておらず、バイクとランを中心に短期間で練習を死ぬ気で行い挑みました。スイムでは出遅れてしまいましたが、練習を積んだバイクで差を縮め、ランでいつも以上の走りができ、19歳以下の日本チャンピオンになって高校生最後のトライアスロン大会を終えることができました。また、その3日後無事に順天堂大学スポーツ健康科学部に合格し、新たなスタートラインに立つことができました。将来の目標は明確には決まっていませんが、一生懸命に取り組む選手や生徒に教える立場になりたいと考えており、機能解剖学とコーチング学を大学で学びたいと考えています。まだまだ、勉強も競技もこれからが勝負なので、日々一歩ずつ前に進んでいきたいです。そして、今まで生きてきた中で1番お世話になった堀越先生。今まで本当にありがとうございました。これからも顔を出せる時には出したいと思っています。また、後輩達は日本の高校で唯一あるこの日本学園トライアスロン部をこれからも守り抜いていって欲しいと心から願っています。
>>>>>いやー、これは泣けるよ。苦労してきたのが、昨日のことのように思い出されれます。何故か大事な大会の前に病気になってしまうというケースが多くありました。それでも乗り越えてくれました。結果的には進路決定を含め、全てうまくいったことは、計画力と実行力、そして日頃の自己鍛錬のおかげです。これからも良い結果、自分が歩みたい道に進むには、日々精進が必要です。やり方は教えたので、自分で精一杯考えて生きていこう。また順天堂の練習環境は私も練習に参加して見せてもらいましたが、にちがくと比較にならないくらい素晴らしいものでした。ここで真剣にやれば絶対速くなります。また練習参加しに行くのでよろしくお願いします。
Shunsuke
私はこの日本学園での3年間で人生の青春というものを心から感じることができました。その中でも特に印象に残ったものは部活動です。
私は部活動で3年間トライアスロン部に所属していました。1年目は何もかも全てが自分にとって初めての経験でこれからここでやっていくことができるのかとても不安な気持ちでいっぱいになりました。しかし部活動で知り合った高校での新しい友達の支えのおかげでなんとか乗り越えることができました。2年目は自分にとっての後輩たちが新しくトライアスロン部に所属し、その中でも特に吹奏楽部からトライアスロンを始めようと考えていた後輩にとても印象が残っています。自分の時よりも過酷な環境の変化だったので最初にその後輩と出会った時はすぐに諦めるだろうと考えていたけれど、その後輩は決して諦めることはなく、少しずつトライアスロン部という環境下に適応していき、立派な部員の一人として皆に認められました。私はその後輩の自分の道を曲げず、諦めない姿を見てとても感動し、自分もこれからもっと練習して行こうというやりがいにつながりました。3年目では、引退レースのことが特に印象に残っています。今まで部活動で磨いてきた競技を全て出し切り、後輩たちに元気よく見送ってもらいました。そして最後の3年生全員でゴールテープを切ったあの瞬間はこれからの人生においても忘れることはありません。
私はこの日本学園での3年間の部活動で人生の青春というものを感じることができました。この3年間は長いように見えてとても短く感じました。これからまた大学という新しい環境下に足を踏み入れることになりますが、高校と同じく楽しみながらやっていきます。3年間ありがとうございました。
>>>>>トライアスロンがShunsukeに果たした役割は本当に大きかったのですね。人生の選択に関わるきっかけもトライアスロンから。スイム・バイク・ランのあいだにあるトランジションも競技時間。このトランジションを誰よりも速くしようと、この速さが消防士の初動への速さにつながるはずだ、となりたい職業へつながりました。もう中途半端ではやめられないですね。後輩もShunsukeの誓願での元気の良さは忘れられませんし、いつも励まされたと思います。トライアスロンは引退のないスポーツですから、これからもお互い切磋琢磨していきましょう。立派な消防士になって下さい。
Chungnam
高校3年間で特に印象に残っていることは大学受験です。自分は高校3年生になるまで一ミリも自主学習をした事がなくて、大学受験という大舞台で戦えるほどの学力もなく偏差値は驚異の35を叩き出していて、自分の学びたい学問に進める為に必要な学力が偏差値50必要という現実を突きつけられ高校3年生の間に偏差値を15上げる挑戦をしました。最初は10分も椅子にすわることができず何度も諦めそうになりました。しかしどうしたら効率的に学力を伸ばせるのか毎日試行錯誤し、だんだんと勉強時間と質が上がり6月頃には一日4時間、8月頃には一日8時間勉強するようになっていました。トライアスロン部で培った根性がここで発揮されたのではないかと思っています。しかし冬になり受験の日が近づくにつれて心が不安定になりマイナス思考になってしまい質も時間疎かになってしまいました。どんな結果になっても受け止めて自分を育てるための肥料にしたいです。受験の一番の収穫は受験期間の間に勉強の魅力に気がつけた事です、これは勉強に限った話ではなく様々な事にも当てはまる事だと思います、人間食わず嫌いは簡単ですがそこからは何も生まれないのでイヤイヤでもいいので食べてみることの大切さを感じました。学園生活の感想は、授業中に内職を極めていたので見開きの参考書やトライアスロン部での活動、友達、人間関係などが出てきます。どれもいい意味でも悪い意味でも今の自分を構成する大切な要素に感じます。後輩達へのメッセージは、「悔いの無い選択をしてほしい!たとえ選択した道がイバラの道でも僕は応援するよ!一緒にがんばろ!!」です。また一緒にロードバイク乗りにいこうか。日本学園卒業後の抱負は、大学に行って生物学を学び尽くして、生物三昧な生活をする!です。生物は奥が深いのでこれからの自分の人生を彩らせてくれること間違い無しです!
>>>>2年生の後半から悩みながら勉強と部活の両立を頑張っていました。部活動は3年はじめから一度退く決意をし、勉強に打ち込みました。特に生物には力を入れて、自分の夢の実現に突き進みました。同期もみんなChungnamを気にかけていたし、Chungnamも同期とともに引退レースをしたいと強く思ってくれたことは嬉しかったです。トライアスロンで培った根性、それを忘れずに頑張りましょう。
進路実績
日本体育大学体育学部 3名
順天堂大学スポーツ健康科学部 1名
帝京平成大学救急救命 1名
麻布大学獣医学部 1名
中学の卒業式も3月にありましたが、あと3年後高校卒業の時にコメントを掲載します。